第八十五節:夜闇の攻防
第八十五節:夜闇の攻防
静まり返った夜の庭に、二つの影が潜んでいた。采女たちは息を潜め、蘭雪の合図を待つ。
(相手は警備の宦官ではない。ならば、何者かの差し金……)
蘭雪は素早く状況を判断すると、目配せで指示を出した。
•霍玲瓏と楊霜 → 影の動きを封じるため、静かに背後へ回る
•李紅梅と王茜 → 万が一の戦闘に備え、前方で威嚇
•沈芷蘭と馮蓮 → 院内の巡回宦官を引き寄せ、敵の逃走を防ぐ
•周雪音 → 蘭雪と共に待機し、機を見て援護
「今よ!」
蘭雪の合図とともに霍玲瓏と楊霜が影へと忍び寄る。だが――
「……!」
侵入者の一人が気配を察し、鋭く振り向いた。その刹那、霍玲瓏が動く。
「逃がさない!」
鋭い手の動きが夜闇を裂き、敵の片腕を掴む。しかし、もう一人の侵入者が素早く短剣を抜き放った。
「危ない!」
王茜が駆け寄り、霍玲瓏の背後を守るべく動いた。
その間に、李紅梅が拳を固めて前へと踏み込む。采女とはいえ、彼女は武官の娘。力には自信があった。
「……っ!」
敵は意表を突かれ、地面に転がる。その隙に楊霜が縄を投げ、相手の手首を絡め取った。
捕らえられた侵入者
騒ぎを聞きつけた巡回宦官たちが駆けつけ、捕えられた侵入者たちは縛り上げられた。
月光の下で姿を現したのは――
「……采女?」
そこにいたのは、宮中の下働きの采女だった。
采女たちの間に、ざわめきが広がる。
「なぜ、あなたたちがこんな真似を?」
蘭雪の静かな問いかけに、捕えられた采女たちは俯いたまま口を閉ざした。しかし、その震える指先が、彼女たちの動揺を物語っていた。
(誰かに命じられたのか、それとも……)
「いずれにせよ、事情を聞く必要がありますね」
霍玲瓏が冷静に告げると、李紅梅が腕を組んで頷いた。
「だが、問題はこの者たちの背後に誰がいるのかだな」
蘭雪は静かに捕らえられた采女たちを見つめる。
(沈貴人? それとも葉貴妃? あるいは――)
背後に潜む影の正体が見えぬまま、夜は更けていく。
捕らえられた采女たちは、蘭雪の寝宮の一室に拘束されていた。月光が窓から差し込み、彼女たちの青ざめた顔を照らしている。
「……まだ口を割らないの?」
李紅梅が苛立たしげに腕を組みながら、沈黙を貫く二人の采女を見下ろした。霍玲瓏も冷静に観察しながら、静かに言葉を投げかける。
「あなたたち、誰の命令で動いたの?」
しかし、二人は硬く唇を結び、視線を床に落としたまま動かない。
蘭雪は彼女たちの様子をじっと見つめ、ふと気づいた。
(怯えている……ただ捕まったからではない。彼女たちは “何か” を恐れている……)
沈黙が流れる中、馮蓮が静かに言葉を挟んだ。
「このままでは、彼女たちは処罰を免れませんよ」
「……!」
采女たちの肩が微かに震えた。その反応を見逃さず、蘭雪は柔らかな声で問いかけた。
「もし話せば、助かる道があるとしたら?」
一人の采女が顔を上げかけたが、もう一人が鋭く睨みつけた。
「ダメ……話せば、私たち……」
かすれた声が漏れ、すぐに彼女は口を閉ざした。
(やはり……彼女たちは口封じを恐れている。となれば、背後にいるのはただの采女や妃嬪ではない)
蘭雪はふと、ある名を思い浮かべた。
「もしかして――魏尚が関わっているの?」
その瞬間、二人の采女の表情がこわばった。
(やはり……魏尚の動きと無関係ではない)
霍玲瓏が蘭雪を見つめ、低く囁いた。
「宦官長が関わっているなら、この件は軽々しく扱えませんね」
蘭雪は静かに頷いた。
「いいわ、今日はもう休みなさい。無理に聞き出そうとしても無駄ね」
采女たちを見張るよう指示を出し、皆を解散させた。
その夜、蘭雪は机に向かい、事態を整理していた。
(沈貴人、葉貴妃、そして魏尚……それぞれの動きが重なり合っている。誰が真の黒幕なのか……)
考えを巡らせていると、不意に灯りの向こうから声が響いた。
「随分と遅くまで考え込んでいるな」
「!」
振り向くと、月光の中に沈逸の姿があった。
「何の用?」
「少し、手がかりを持ってきた」
沈逸が差し出したのは、一枚の布切れだった。そこには、見覚えのある刺繍が施されていた。
「これは……」
「沈貴人の宮の寝具の一部 だ。つまり、捕えた采女たちは最近、沈貴人の寝宮へ出入りしていたということになる」
蘭雪はゆっくりと布を撫でながら、沈逸を見上げた。
「つまり……沈貴人が関与していると?」
「それはまだわからない。ただ、一つ確かなのは――誰かが沈貴人を利用しようとしている ということだ」
沈逸の言葉に、蘭雪は目を細めた。
「面白くなってきたわね」
彼女は再び机に向かい、新たな策を練り始めた。




