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第八十二節   采女たち

 第八十二節   采女たち


 静寂の中、蘭雪は一歩を踏み出した。


 采女たちが控える広間に足を踏み入れると、七人の視線が一斉に向けられる。沈芷蘭は柔らかな微笑みを浮かべているが、その目の奥には冷静な計算が滲んでいた。王茜は顎を上げ、露骨に値踏みするような視線を向けてくる。馮蓮は静かに観察を続け、李紅梅は腕を組み、無言のまま様子を窺っている。周雪音は所在なげに視線を泳がせ、楊霜は何も映さぬ目で沈黙を守る。そして霍玲瓏はどこか面白がるように唇を歪めていた。


 この者たちは、私に従う気などさらさらない。


 それも当然のこと。采女たちは本来、皇帝に仕える存在であり、蘭雪に忠誠を誓う義務はない。だが、今この場において彼女たちを統率する役目は蘭雪に与えられている。采女の監督役として。


 ——それは、決して安泰な地位ではなかった。


 監督役とは名ばかりのもの。采女たちの振る舞いや教育を指導する役目ではあるが、采女たちを完全に掌握できるわけではない。彼女たちの背後には、各々の后妃や派閥が存在し、その意向に従う者もいる。つまり、采女たちを動かすことは、后妃たちの勢力図に関わる問題でもあるのだ。


 そんな微妙な立場にある蘭雪が、どれほどの影響力を持つことができるか——それを確かめようとする視線が、目の前の采女たちから伝わってくる。


 ならば、こちらも試させてもらうとしよう。


 蘭雪は静かに微笑み、ゆっくりと口を開いた。


「皆、このたび采女の監督を任じられました蘭雪です」


 穏やかな声が広間に響く。すると、全員が一斉に礼を取る。だが、その所作にはそれぞれの心情が滲んでいた。沈芷蘭と馮蓮は優雅に、王茜はわずかに遅れて頭を下げる。李紅梅はぞんざいに、周雪音はぎこちなく、楊霜と霍玲瓏は形式的に礼を取った。


「ここでは、皆が秩序をもって務めを果たせるよう、規律を重んじます。しかし、それだけではなく——共に学び、成長していける場であることを願っております」


 柔らかな微笑を浮かべながらも、視線は鋭く。全員を見渡すと、霍玲瓏がくすりと笑みを漏らした。


「素晴らしいお言葉ですわ、蘭雪様。ですが、采女たちを束ねるというのは言葉ほど簡単なものではございません」


「その通りですわね」


 王茜がすかさず言葉を重ねる。「監督役といえども、采女の心得を学ばれて間もない方がどこまでできるのか——」


「ならば、確かめてみますか?」


 蘭雪は穏やかに微笑んだ。


「これから数日の間に、私がどのように采女たちを指導するのか、ご覧になればよろしいでしょう」


「まあ……面白いですわね」霍玲瓏が扇を軽く揺らした。「では、楽しみにしております」


「ええ、私も楽しみにしております」蘭雪は静かに言い放つ。


 試されるのは、むしろお前たちの方よ。


 そう心の中で囁きながら——蘭雪の新たな闘いが、幕を開けた。



 蘭雪が采女たちの監督役を命じられたとき、彼女たちの間にざわめきが走ったのを覚えている。采女とは、后妃や貴人たちに仕えながら後宮での務めを学び、やがては誰かの側近や、あるいは昇進の機会を得る存在。いずれも野心を抱き、しのぎを削る者たちである。彼女たちにとって、突然現れた蘭雪が指導者となることは、受け入れがたい事態だっただろう。


 ――だが、私は彼女たちを従わせねばならぬ。


 皇后の命により、蘭雪は采女たちを統率する立場を与えられた。だが、単に上からの命令だけでは、彼女たちを真に動かすことはできない。ならば、まずは彼女たちの実力を見極めることが肝要であった。



 翌朝、蘭雪は采女たちを一堂に集めた。広間には、沈芷蘭を筆頭に、馮蓮、王茜、李紅梅、周雪音、楊霜、霍玲瓏が並んでいる。皆、それぞれの思惑を秘めた眼差しを向けてきた。


「さて、これよりお前たちの才覚を見せてもらう」


 蘭雪は、落ち着いた口調で告げた。


「后宮に仕える身として、詩文・礼法・舞・薬膳・裁縫、いずれの才も欠かすことはできぬ。ゆえに、それぞれの得意分野を披露せよ。実力次第では、それ相応の役割を任せることも考えよう」


 采女たちは互いに視線を交わしながらも、否応なく前に出ざるを得なかった。

 •沈芷蘭 は優雅に詩を詠み、流麗な筆跡を披露する。まさに貴人の侍女に相応しい洗練された振る舞いだ。

 •馮蓮 は落ち着いた態度で礼法を披露し、どんな状況でも乱れぬ心の強さを見せた。

 •王茜 は高貴な家柄ゆえか、儀礼作法に秀でていたが、蘭雪を見下す態度は隠さない。

 •李紅梅 は力強く舞を舞った。華麗さよりも武官の娘らしい逞しさがあり、気迫を感じさせる。

 •周雪音 は裁縫の腕が確かで、繊細な手仕事を見せた。争いを避ける姿勢が、その作業にも表れている。

 •楊霜 は静かに薬膳の知識を語り、宮中で役立つ効能を解説した。感情を表に出さぬ慎重な態度が印象的だった。

 •霍玲瓏 は、どれもそつなくこなしながらも、深入りせぬように振る舞った。まるで風向きを見極めているかのようだった。


 蘭雪は彼女たちの様子を観察しながら、それぞれの得意分野や性格を見極めた。


(なるほど、それぞれ違った武器を持っている。だが、今のままではただの寄せ集めにすぎぬ)


 采女たちに命じるだけでは、彼女たちの反発を招くだけだ。彼女たちの心に入り込み、個々に応じた策を講じる必要がある。



 数日後、蘭雪は采女たちと個別に話す機会を設けた。

 •沈芷蘭 には、「あなたほどの才覚があれば、采女筆頭として采女たちを導くこともできよう」と持ちかけた。沈貴人の忠臣である彼女は、蘭雪に全面的に従うことはないが、己の立場を利用できると考えれば動くだろう。

 •王茜 には、公の場で一目置く態度を示し、「名家の誇りを示せ」とあえて煽った。彼女は挑まれることを嫌い、逆に奮起する性格だ。

 •馮蓮 には、「お前の聡明さは見事だ。だが、どこにつくべきかを見誤るな」と意味深な言葉を残した。葉貴妃の侍女出身である彼女は、利を求める性格ゆえ、状況次第で立場を変えるだろう。

 •周雪音 には優しく接し、蘭雪に親しみを覚えさせた。彼女のような従順な者は、敵に回るよりも味方にした方がよい。


 こうして、それぞれの心の隙を突きながら、敵対する者には揺さぶりをかけ、味方につけられる者は囲い込んでいった。



 ある夜、采女たちの詰所で異変が起こった。


「誰か! 水が……水が変だ!」


 周雪音の震える声が響いた。采女たちが使う水桶の中に、不審な粉末が混ざっていたのだ。


 蘭雪はすぐに水を調べた。楊霜も協力し、「これは軽い毒かもしれません」と告げた。おそらく、誰かが采女たちに害を与えようとしたのだろう。


 采女たちは動揺し、互いに疑心暗鬼になり始めた。


「誰の仕業なの? 私たちの中に、裏切り者がいるの?」


「いや、もしかすると……」


 蘭雪は沈芷蘭を見た。沈芷蘭もまた、深く考え込んでいるようだった。


「これは、私たちを陥れようとする者の仕業かもしれぬ」


 采女たちは息をのんだ。


「このままでは、采女たちが何者かの標的となるやもしれぬ。ならば、互いに疑い合うよりも、協力して事態を解決するのが先決だ」


 この言葉に、采女たちの態度が変わり始めた。


 蘭雪はここで、あえて彼女たちに役割を振った。沈芷蘭と馮蓮に情報収集を命じ、李紅梅と王茜には夜間の見張りを指示する。霍玲瓏と楊霜には、水の供給経路を調べさせた。


 こうして、采女たちは自然と団結せざるを得なくなった。

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