表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/133

第七十三節 皇后の罠

 第七十三節 皇后の罠


 蘭雪は静かに微笑みながら、慎重に言葉を選んだ。


「皇后様のお心遣い、深く感謝いたします」


「まあ、心遣いだなんて」


 皇后・沈麗華は扇を軽く揺らしながら微笑む。


「私はただ、宮中で貴女のような才ある方が正しく身を立てることを願っているだけ」


「ありがたきお言葉にございます」


 蘭雪は深々と礼をしながら、内心でその意図を探る。


(“正しく身を立てる”……つまり、皇后様の庇護のもとに入れということね)


 皇后は一見、優雅な余裕を見せているが、その瞳の奥には冷静な計算が潜んでいる。


(陛下が私に興味を示した今、皇后様は私を敵に回すよりも、自分の側につける道を選んだ……)


 それが皇后の方針なのか、それとも一時的な策略なのか。


 蘭雪が慎重に答えようとした、その時——


「皇后様、お許しくださいませ。お届け物がございます」


 紫蘭殿の侍女が、恭しく一通の文を捧げ持って入ってきた。


「お届け物?」


 皇后は微かに眉を上げ、女官・楊嬋がそれを受け取る。


「これは……」


 楊嬋が文を開き、皇后の手元に差し出す。


 皇后は文に目を落とし、その表情が一瞬、わずかに動いた。


(……?)


 蘭雪は皇后の指先が文の端を軽く握りしめたのを見逃さなかった。


 皇后はすぐに微笑を取り戻し、蘭雪へと視線を向ける。


「蘭雪様、これは陛下からの賜り物ですわ」


「……陛下から?」


 侍女が恭しく、小さな箱を蘭雪の前に差し出す。


 蘭雪はそれを慎重に開けた——


 すると、中には精巧な金細工の鳳凰の簪が収められていた。


「……っ」


 蘭雪は一瞬、息を飲む。


(これは……)


 ただの美しい簪ではない。


 宮中では、鳳凰の意匠が施された簪は「皇帝の寵愛を受けた証」として特別な意味を持つ。


 しかも、これは正式な位のある妃が持つようなもの——


(陛下は、私にこれを……?)


 周囲の女官たちが、静かに息をのむのが分かった。


 皇后は、変わらぬ微笑を保ちながら蘭雪を見つめる。


「おめでとうございます、蘭雪様」


 その声は、どこか抑えた響きを帯びていた。


 ——これは、皇后に対する牽制だったのかもしれない。


(陛下は、私を誰のものでもないと示すために、これを下されたの?)


 皇后の勢力に組み込ませず、蘭雪を単独の存在として際立たせるために——


 蘭雪は皇后の表情を伺いながら、静かに頭を下げる。


「恐れ多くも、このような賜り物をいただき、身に余る光栄にございます」


「ふふ……」


 皇后はゆっくりと扇を閉じ、微笑んだ。


「これで、ますます貴女は注目の的ですわね」


 蘭雪の胸に、冷たい予感が走った。


(……皇后様は、この状況をどう動かすつもりかしら)


 だが、その答えはすぐに明らかとなる——


 皇后はふと、侍女に目配せをすると、優雅に口を開いた。


「蘭雪様、陛下も貴女の才をお認めになったことですし——そろそろ正式なお位をいただいてもよろしいのではなくて?」


「!」


 蘭雪の心が、大きく波立った。


(正式な位……?)


 それはつまり——妃としての昇進を意味する。


 これまで蘭雪は”才媛”として扱われてきたが、位を得るとなれば話は別だ。


(このままでは……)


 蘭雪は、宮中の勢力争いに本格的に巻き込まれることになる——



 蘭雪の胸中に、冷たい緊張が走る。


 ——正式な位をいただく?


 皇后・沈麗華しんれいかは、まるで何気ない提案のように微笑んでいる。だが、その瞳は蘭雪の反応を見極めるように鋭く光っていた。


(これは……私を皇后派の者として印象付けるための布石?)


 宮中では、新たな妃嬪が昇進する際、皇后が推薦するのが慣例だ。

 もし蘭雪がこの場で位を望めば、皇后の後押しで昇進したと見なされるだろう。


(つまり、皇后様は私に恩を売るつもりなのね)


 陛下が与えた鳳凰の簪——それは皇帝の寵愛の象徴。

 しかし、皇后はそれを利用し、蘭雪の立場を”皇帝の寵愛を受けた才媛”から”皇后の庇護を受ける者”へとすり替えようとしている。


(うまい手だわ……)


 蘭雪は慎重に口を開いた。


「皇后様のお言葉、恐れ多く存じます。しかしながら、私はまだ宮中の務めを学び始めたばかり。今はただ、陛下のおそばで学ばせていただけることが何よりの幸せにございます」


 やんわりと辞退しながら、皇帝の意向を重んじる姿勢を示す。


 皇后の扇が、ゆるりと揺れる。


「まあ……慎ましやかなお心ね」


 微笑は崩れない。


(これで引き下がるとは思えない)


 蘭雪は内心、警戒を強めた。


 すると——


「蘭雪の言う通りだ」


 低く、落ち着いた声が響いた。


 蘭雪はそっと視線を向ける。


 慶成帝が、まっすぐに蘭雪を見つめていた。


「彼女はまだ学ぶべきことが多い。位を与えるのは、それからでも遅くはあるまい」


「……陛下がそうお考えでしたら」


 皇后は扇を閉じ、優雅に微笑む。


 だが、その表情の裏には、蘭雪を観察する鋭い視線が宿っていた。


(……私の判断を、皇后様はどう受け取ったかしら)


 蘭雪はそっと息を吐いた。


 だが、その安堵もつかの間——


 皇后が次に口にした言葉に、場の空気が再び緊張に包まれた。


「それでは、蘭雪様。せめてお祝いとして、宮中の妃嬪方に詩を献じていただけませんか?」


「……!」


(また詩の試練……!)


 皇后の意図は明白だった。


 皇帝の寵愛を受けた蘭雪が、宮中の妃嬪たちの前で詩を詠めば、彼女の存在はさらに際立つ。

 それが称賛を集めるか、妬みを招くか——皇后は、それすらも試そうとしているのだ。


 蘭雪は、静かに扇を握りしめた。


(……皇后様のお望み通りにはさせない)


 彼女は優雅に一礼し、ゆっくりと口を開く。


「それでは、ひとつ……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ