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第六十節 皇帝の興味

第六十節 皇帝の興味


華陽殿から辞した蘭雪は、慎重な足取りで自らの宮へ戻る道を歩いていた。


麗昭媛との対話は、ひとまず穏便に終わったが、それが終わりではないことは明白だ。


彼女は後宮の均衡を保つために動く人物。


皇后と対立するか、あるいは手を結ぶか……まだ決めかねているのだろう。


(だが、それは麗昭媛だけではない)


蘭雪は、沈貴人の動きにも注意を払う必要があると感じていた。


——しかし、それらの思索を巡らせる間もなく、彼女の前に一人の宦官が現れた。


魏尚の側近である劉進である。


「蘭雪様、陛下がお呼びです」


蘭雪は軽く瞬きをし、静かに問うた。


「陛下が、私を?」


「はい。華清殿へお越しくださいませ」


劉進の言葉に、蘭雪はすぐに状況を理解した。


慶成帝が、いよいよ本格的に彼女に興味を持ち始めたのだ。


「承知しました」


蘭雪は深く一礼し、華清殿へ向かった。


華清殿の庭園は、夜の帳が下りた後も美しく照らされ、灯籠の光がゆらめいていた。


その中央に、慶成帝が一人、静かに酒を口にしていた。


「蘭雪、参りました」


蘭雪はしとやかに膝をつき、深く頭を下げた。


「よい、近う寄れ」


帝の声音は、普段よりも幾分和らいでいた。


蘭雪は静かに進み、帝の前に座る。


慶成帝は、蘭雪をじっと見つめた。


「麗昭媛と何を話していた?」


蘭雪は内心、驚きを隠した。


陛下は、私の動きを把握していたのか——


だが、それを顔には出さず、穏やかに微笑んで答えた。


「麗昭媛様のお心遣いを賜りました」


「……そうか」


慶成帝は微かに笑い、酒杯を揺らした。


「お前の名は“蘭雪”であったな」


「はい」


「“蘭”の名を持つならば、詩の心得はあるか?」


蘭雪は即座に理解した。


——陛下は、私の才を試そうとしている。


「恐れながら、些か」


「ほう。では、試してみるとしよう」


慶成帝は酒杯を置き、微かに目を細めた。


「今宵の月を詠め」


蘭雪は一瞬だけ考え、そして静かに口を開いた。


「銀漢遥かに掛かる鏡 影を映して玉楼に落つ」


(ぎんかん はるかに かかる かがみ かげを うつして ぎょくろうに おつ)


——天の川のように月が輝き、その光は宮殿に静かに降り注ぐ。


その場が、静まり返った。


慶成帝はじっと蘭雪を見つめ、やがて——


「見事だ」


帝は微笑し、酒杯を掲げた。


「この盃を取れ」


蘭雪は静かに盃を受け取り、酒を口にする。


——この夜、蘭雪はついに、帝の確かな興味を引いた。


そして、それはまた、新たな波乱の始まりでもあった。


***


蘭雪が華清殿を辞し、自らの宮へ戻る途中だった。


夜風が頬を撫でるなか、彼女は慎重に思考を巡らせる。


——慶成帝は、私に興味を抱いた。


それは後宮で生きる上で、何よりも強力な武器となる。


だが、それは同時に、危険な試練の始まりでもあった。


(皇后は、どう動くか……)


彼女の頭をよぎったのは、皇后の冷ややかな笑みだった。


もし、皇后がこの事実を知れば、必ず手を打ってくる。


寵愛を得ることは、決して安泰を意味しない。


——そんなことを考えていたとき、ふと足元に影が落ちた。


「蘭雪様」


蘭雪は静かに顔を上げた。


そこに立っていたのは、宦官長・魏尚だった。


魏尚は、この後宮で最も力を持つ宦官。


皇帝の側近として仕え、その権力は一妃嬪にも匹敵する。


「宦官長様……」


「遅くまでお疲れのようですな」


魏尚は微笑みながら、ゆっくりと歩み寄る。


「お話ししたいことがございます。少しお時間を頂けますかな?」


蘭雪は慎重に頷いた。


「もちろんでございます」


魏尚は、近くの回廊へと彼女を誘う。


そして、誰にも聞かれぬよう低い声で告げた。


「陛下に気に入られたようで」


蘭雪は、表情を変えずに答える。


「恐れ多いことです」


「恐れる必要はございません。しかし……」


魏尚は意味ありげに言葉を切った。


「陛下のお心が本物かどうか、見極めねばなりません」


蘭雪は、彼の意図を察した。


(つまり、陛下の寵愛が一時の気まぐれか、それとも本当に私を寵妃にするおつもりか——それを試すつもりなのだ)


魏尚はゆっくりと扇を開き、静かに続ける。


「近々、宮中で詩会が開かれます」


「詩会……?」


「陛下もご臨席なさる。その場で、あなたの才をもう一度示されてはいかがでしょう?」


魏尚の視線は、ただの提案ではなかった。


これは試練である。


——後宮の者として、ふさわしい器量があるかどうか。


蘭雪は、目を伏せた。


そして、ゆっくりと微笑む。


「……よろしゅうございます」


魏尚の口元に、満足げな笑みが浮かんだ。


「では、楽しみにしておりますぞ」


彼はゆるりと一礼し、闇の中へと消えていった。


蘭雪は静かに息を吐く。


——詩会。


それは、単なる催しではない。


そこに集うのは、皇后をはじめ、後宮の権力者たち。


そして、皇帝がその場で誰に目を向けるか——


それが、新たな争いの火種となるのだ。


(……私も、避けては通れぬ道)


蘭雪は、そっと拳を握った。


戦いの舞台は、すでに整っていた。

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