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間話1

 ☆☆☆ 侍女たちとの団欒——月夜のお茶会☆☆☆


 魏尚との緊迫したやり取りから一夜明けた。

 蘭雪は依然として慎重に振る舞っていたが、心の奥には小さな疲労が滲んでいた。

 こうした日々の重圧を癒すため、侍女たちが気を利かせてひそやかに茶の席を設けてくれた。


 夜が更けた頃、蘭雪の居室の一角。

 几帳を隔てた控えの間では、暖かな灯火のもと、蒸気の立ち上る茶碗が並んでいた。


「この茶葉、特別なものなのですよ」

 侍女の春燕しゅんえんが誇らしげに微笑みながら、蘭雪の前にそっと茶碗を置く。


「貴妃様の御前茶にも用いられると聞いて、どうしても味わっていただきたくて……少しだけ分けてもらいました」


「貴妃の御前茶?」


 蘭雪が眉をひそめると、もう一人の侍女、**春梅しゅんばい**が茶碗を覗き込みながら頷いた。


「ええ、聞いたところによると、**安渓あんけい**という地で採れる極上の茶葉だとか。香りがとても繊細で、口に含むと甘みが広がるのです」


 蘭雪はそっと茶碗を手に取り、ゆっくりと一口含んだ。

 ふわりと広がる香ばしい香りと、舌の上に残るほのかな甘み。


「……確かに上品な味ね」


 侍女たちは嬉しそうに微笑み、蘭雪の周りに寄り添うように腰を下ろした。


 温かい茶を楽しんでいるうちに、自然と会話が弾む。

 そして、話題はふと、昼間の出来事へと移っていった。


「そういえば、お嬢様」

 侍女の春燕しゅんえんが楽しげに身を乗り出す。


「今日の昼間、後宮の廊下で見かけた方……覚えていらっしゃいますか?」


「後宮の廊下?」


「ええ、長身で端正なお顔立ちの——」


「超絶美形の宦官様です!」


 春梅が勢いよく続け、侍女の柳香と顔を見合わせて頷いた。


「まぁ……たしかに、驚くほど綺麗なお顔をされていましたね」


「まるで仙人のようでしたわ!」


 侍女たちは口々に彼の美貌を称え始めた。


「すっと通った鼻筋に、翡翠のような瞳……しかも凛としていて、どこか儚げな雰囲気もあって」


「宦官とは思えないほど高貴な雰囲気でしたよね」


「そうそう、あれほどの方なら、きっとどこかの高貴な家柄のご出身に違いありませんわ」


 興奮気味に語り合う侍女たちを見て、蘭雪は思わず小さく笑った。


「そんなに騒ぐほどのことかしら」


 しかし、彼女自身も昼間のことを思い返していた。


 あの宦官——たしかに、どこか異質な雰囲気を纏っていた。

 後宮という華やかでありながらも陰に満ちた場所にあって、彼だけが別の世界に存在しているような気配を持っていた。


 蘭雪は茶碗をゆっくりと置き、ふと遠くの窓を見やる。

 外には月が静かに輝いていた。


「……不思議な人ね」


 蘭雪の呟きに、侍女たちは顔を見合わせる。


「え?」


「何がですか、お嬢様?」


「宮廷の喧騒の中にいて、一人だけ違う世界にいるような気がしたの」


 蘭雪の言葉に、侍女たちは一瞬、黙り込んだ。

 先ほどまでの興奮した様子とは違い、彼女たちもまた、あの宦官の印象を思い返しているようだった。


 やがて春燕しゅんえんが、小さな声で言った。


「……たしかに、そうかもしれませんね」


 春梅もこくりと頷く。


「なんというか、宮廷にいるのに……心だけは別の場所にあるような」


 蘭雪は微笑み、月を見上げた。

 ひんやりとした夜の空気が、静かに肌を撫でる。


 ——あの人は、一体何者なのかしら。


 それは単なる興味ではなく、どこか胸の奥をくすぐるような感情だった。


 静寂の中、月の光だけが、淡く室内を照らしていた——。




 @@@ 宮中の小さな楽団——蘭雪の即興演奏 @@@



 次の日の午後、蘭雪の元に数人の若い女官たちが控えめにやってきた。


「蘭雪様……もしお時間があれば、琴の手ほどきをお願いできませんか?」


 女官たちはどこか緊張した面持ちで言った。彼女たちは正式な宮廷楽団の一員ではなく、日々の務めの合間に音楽を楽しむ程度の者たちだった。蘭雪は彼女たちの様子を見て、優しく微笑む。


「琴を習いたいの?」


「はい! 本格的なものではなくとも、少しでも上達できればと思いまして……」


 蘭雪は静かに頷いた。


「では、少しだけお付き合いしましょう」


 そう言って、侍女の春燕しゅんえんに琴を持ってこさせる。蘭雪は柔らかく指を添え、琴の弦をそっと弾いた。すると、透き通るような音色が室内に広がる。


 女官たちは思わず息をのんだ。


「まあ……!」


「なんて美しい音色……」


 蘭雪は微笑みながら、さらに指を滑らせ、即興で優雅な旋律を奏でる。琴の音が穏やかに響き、控えの間は静謐な空気に包まれた。やがて、女官の一人が勇気を出して懐から笛を取り出す。


「私も……ご一緒してもよろしいでしょうか?」


 蘭雪は一瞬驚いたが、すぐに優しく頷く。


「ええ、どうぞ」


 女官は笛を口元に当て、慎重に音を合わせながら吹き始めた。最初はぎこちなかったものの、次第に琴と調和し、穏やかで心地よい音楽となる。


「……素敵ね」


 蘭雪は目を細めながら演奏を続ける。


 やがて、他の女官たちも手拍子を打ち、控えの間はささやかな音楽会のような雰囲気に包まれた。宮廷の厳格な空気から解放されるように、彼女たちは心から楽しんでいる。蘭雪もまた、そのひとときに静かな安らぎを感じた。


 ——その様子を、廊下の陰から静かに見つめる男がいた。


 若い眉目秀麗な宦官、沈逸しんいつ


 彼は柱の影に身を寄せ、何気ない仕草で扇を広げながら、慎重に蘭雪たちの演奏を眺めていた。


 琴の音色と、それに寄り添う笛の調べ。控えの間に満ちる和やかな空気——。


 沈逸の瞳に、一瞬だけ微かな笑みが宿る。


「……ふむ」


 扇を軽く閉じると、沈逸は何も言わず、静かにその場を立ち去った。


 彼の気配に、蘭雪はまだ気づいていない——。


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