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 第四十二節 皇后の次なる一手

 第四十二節 皇后の次なる一手


沈貴人が自らの宮へ戻ると、すでに侍女たちが迎えの準備を整えていた。いつもと変わらぬように見える宮中の静けさ。しかし、その奥に潜む不穏な気配を、彼女は敏感に感じ取っていた。


(皇后様は私を試す……次は何を?)


そう考えながらも、沈貴人はいつものように優雅に振る舞った。宮廷で生き残るためには、決して焦りを見せてはならない。


その時——外の庭先で侍女が誰かと話している声が聞こえた。


「沈貴人様に、お届け物でございます」


「届け物?」


沈貴人が扉を開けると、そこには皇后の侍女である翠蓮が立っていた。


「皇后様よりの贈り物です」


翠蓮は丁寧に一礼しながら、朱塗りの漆箱を捧げ持っていた。沈貴人がそれを受け取ると、箱の中から微かに香る甘やかな匂いが漂ってきた。


(これは……)


彼女は箱の蓋を静かに開けた。中には見事な金細工の簪——そして、もう一つ、白い絹に包まれたものがあった。


「これは?」


翠蓮は微笑を浮かべたまま、恭しく言った。


「皇后様がお作りになられた特製の薬湯です。『これを飲めば、より一層美しくなる』とのこと」


沈貴人はわずかに目を細めた。


(またしても……)


皇后は、私がこれを口にするかどうかを見ている。


この薬湯が本当に美容のためのものなのか、それとも何らかの影響を及ぼすものなのか——それは分からない。しかし、拒めば皇后の意に背くことになる。


「皇后様のご厚意、確かに受け取りました」


沈貴人は静かに微笑みながら、翠蓮にそう告げた。


「皇后様に、私の感謝をお伝えくださいませ」


翠蓮は満足げに頷き、一礼して去っていった。


沈貴人は手元の薬湯を見つめる。


(このまま飲むわけにはいかない……しかし、どうすれば?)


その時——。


「困っているようだな」


不意に、軽やかな声が聞こえた。振り向くと、柱の影に沈逸の姿があった。


「またお前……」


「またとは失礼な。俺はいつでもお前の役に立とうとしているだけさ」


沈逸は微笑を浮かべながら、沈貴人の持つ薬湯の盃をちらりと見た。


「皇后様の贈り物か。さて、どうする?」


沈貴人は盃を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。


「……一緒に考えてもらおうかしら?」


沈逸はにやりと笑い、沈貴人の手から盃を取り上げた。


「任せておけ。ちょうど面白いことを思いついたところだ」



沈貴人の宮の帳の奥、机の上に薬湯の盃が静かに置かれていた。琥珀色の液体は微かに湯気を立て、甘い香りが漂っている。


沈逸はその盃を見つめ、軽く指で縁をなぞった。


「ふむ、皇后様もなかなか趣向を凝らしてくるな」


「……飲むべきか、否か」


沈貴人は低い声で言った。


「もちろん、飲まない方が安全だろうが、それでは皇后の試練を拒んだことになる」


「そうだな」


沈逸は軽く頷き、片手で盃を持ち上げた。


「けれど、飲めば何が起こるかわからない。もしも体に害があるものなら?」


「それはない」


沈逸はきっぱりと言った。


「皇后様はお前を試している。すぐに害が出るようなものを使うほど浅はかではない」


「ならば、これは……」


沈貴人が言いかけた瞬間、沈逸は微笑しながら盃の中身を一滴だけ指先に取り、そのまま舌先で味わった。


「……なるほど」


「何かわかったの?」


「決して毒ではないが、体に変化をもたらすものだな」


沈逸は指先を見つめながら呟いた。


「例えば?」


「……ごく微量の鎮静作用がある。身体が妙に温かくなり、少し気だるさを感じるだろう。だが、それだけじゃない」


沈逸は目を細め、もう一度薬湯の香りを嗅いだ。


「これは……女の美しさを引き立たせる薬だ」


沈貴人の眉がわずかに動いた。


「女の美しさを?」


「そうだ。おそらく、肌の艶を増し、血色を良くする効果がある。短期間であれば問題ないが……長く続ければ、体が慣れ、飲まなければ調子が出なくなる」


「つまり……皇后様の手の中に、私を置くためのもの?」


「その通り」


沈逸は軽く指を鳴らした。


「この薬を飲み続ければ、確かにお前は美しくなるだろう。だが、やがてこの薬がなければ魅力を保てなくなる」


「皇后様は、私をこの薬に依存させようとしているのね……」


沈貴人は盃を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。


「どうする?」


沈逸が問いかける。


沈貴人は数瞬、思案するように沈黙した。


やがて——


彼女は盃を手に取り、ふっと微笑んだ。


「……飲むわ」


沈逸の表情に、わずかに驚きが浮かぶ。


「正気か?」


「ええ。ただし——一口だけ」


沈貴人は盃の縁にそっと唇をつけ、ごくりと一滴だけ喉に流し込んだ。そして、すぐに盃を下ろす。


「これで十分」


「なるほど」


沈逸は納得したように微笑んだ。


「皇后様に“飲んだ”と示すことはできるし、それでいて依存することもない……うまい手だ」


「ええ。でも、これだけでは足りない」


沈貴人は盃を机に戻し、沈逸を見つめた。


「私がこの策を見抜いたことを、皇后様にさりげなく知らせる必要があるわ」


「ほう?」


沈逸の瞳がわずかに興味を帯びる。


「どうするつもりだ?」


沈貴人は、机の端に置かれた白絹を手に取り、それを優雅に折り畳みながら微笑んだ。


「それは——少しだけ、皇后様に“勘づかせる”のよ」


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