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第三十八節 皇后の策謀、動き出す

 第三十八節 皇后の策謀、動き出す


紫蘭殿の奥深く——。


皇后は帳の向こうに立つ侍女を見つめ、静かに問いかけた。


「……沈貴人の様子は?」


侍女は恭しく頭を下げる。


「蘭雪様と密かに話をしておりました。沈貴人様は、まだ皇后様の御心に迷っているご様子」


皇后はゆるりと扇を開いた。


「そう……蘭雪の影響が思ったより強いのね」


侍女は沈黙を保つ。


皇后は思案するように指先で扇をなぞった。


「沈貴人は賢い子。でも、賢いだけでは足りないのよ」


「——彼女には、覚悟が必要だわ」


皇后はそっと微笑む。


「そなた、例の手配を」


侍女が静かに頷くと、すぐに部屋を辞した。


(さあ、沈貴人……あなたは、私にとって使える女か、それとも——)


皇后の瞳に、一瞬だけ冷ややかな光が宿った。


***


その夜——。


沈貴人の寝所に、一通の密書が届けられた。


沈貴人は灯火の下でそっと封を切る。


そこに記されていたのは——。


「明晩、梨花園にて待つ。決断せよ」


沈貴人の手が、微かに震えた。


(皇后様……)


彼女は静かに目を閉じる。


そして、決断の時が近づいていることを悟った。


***



夜の帳が下りる頃、沈貴人は静かに宮殿を抜け出した。


梨花園へ向かう道はひっそりとしており、月光が白い花々を淡く照らしている。


(これが私の運命を決める夜……)


沈貴人の胸は高鳴っていた。


やがて、庭の奥に佇む人影が目に入る。


皇后の侍女——。


彼女は沈貴人を一瞥し、無言で扇を開く。その扇に描かれていたのは、咲き誇る牡丹の花。


(皇后様の意志……私を試すつもりね)


沈貴人は静かに息を吸い込む。


「皇后様の御言葉を承ります」


侍女は微かに微笑むと、一歩踏み出した。


「それならば、証をお見せくださいませ」


その言葉とともに差し出されたのは——一本の金簪。


沈貴人はそれを手に取った。


「……これは?」


「皇后様が命じられました。この簪を用い、蘭雪様を……」


沈貴人の息が詰まる。


「まさか……」


「皇后様は、あなたに機会を与えてくださるのです」


沈貴人の指が震えた。


(これが、皇后様の真の試練……?)


沈貴人の脳裏に蘭雪の笑顔が浮かぶ。


彼女は私を救おうとしてくれた。それなのに……。


「どうされますか?」


沈貴人は、ぎゅっと簪を握りしめた。


(私は、何を選ぶべきなの……?)


沈黙が、梨花園に満ちる。



沈貴人は金簪を握りしめたまま、しばし沈黙した。


(皇后様は私の忠誠を試している……。けれど、これはあまりにも——)


「どうされますか?」


侍女の声は静かだったが、その言葉の裏には確かな圧力があった。


沈貴人は唇を噛みしめ、目を伏せた。


(蘭雪は、私を助けてくれた……。彼女がいなければ、私はとうに後宮の闇に呑まれていたはず)


その恩を、裏切ることができるのか?


しかし——。


(皇后様の庇護を失えば、私はどうなる?)


沈貴人の心は揺れた。


ふと、夜風が吹き、簪の金細工が微かに冷たく光る。


「沈貴人?」


侍女の声に、沈貴人はゆっくりと顔を上げた。


「私は——」


沈貴人は、金簪をそっと差し出した。


「……申し訳ございません」


侍女の目が細まる。


「これは、お受けできません」


沈貴人の声は震えていたが、その瞳には確かな決意が宿っていた。


侍女はしばらく沈黙した後、ふっと微笑んだ。


「そうですか」


その微笑には、まるで初めから沈貴人の選択を予見していたかのような余裕があった。


「皇后様に、お伝えいたします」


侍女は簪を受け取り、優雅に身を翻した。


その背中を見送りながら、沈貴人は自らの選択の重みを噛みしめた。


(これで、私は……)


夜風が吹き抜ける。


沈貴人の未来が、この瞬間、大きく変わり始めていた——。





紫蘭殿の奥、静寂に包まれた広間。


皇后は帳の向こうで静かに座していた。手にした扇をゆっくりと開き、その絹地に描かれた牡丹の花を眺める。


侍女が一歩前へ進み、慎重な声で報告した。


「沈貴人は——簪をお返しになりました」


扇の動きが、ぴたりと止まる。


皇后の目が僅かに細められ、侍女は無意識に息を詰めた。


やがて、皇后は静かに微笑み、扇を閉じる。


「そう……」


それは怒りではなく、むしろ愉悦すら滲む声だった。


「やはり、蘭雪の影響が大きいのね」


皇后の目には、深い計算の色が宿る。


「それで、沈貴人の様子は?」


「迷いがありながらも、決意は固いように見受けられました」


「ふふ……面白いわ」


皇后は微かに笑いながら、簪を手に取る。その金細工を指で撫でる仕草には、どこか慈しむような雰囲気があった。


「沈貴人はまだ幼い。後宮で生きる術を知らぬ……だが、だからこそ可能性もある」


皇后は侍女を一瞥し、静かに命じる。


「沈貴人を監視なさい。彼女がどちらへ傾くのか——慎重に見極めるのよ」


「はっ」


侍女が深く一礼し、静かに部屋を後にする。


皇后は再び簪を見つめ、思索にふけった。


(蘭雪……あなたは私の手駒を一つ奪ったつもりでしょう。けれど、それは本当にそうかしら?)


皇后の瞳に、妖艶な光が宿る。


彼女の策は、まだ終わってはいなかった——。

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