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第九節 皇后の選択

 第九節 皇后の選択


 沈逸の助言を胸に、蘭雪は静かに回廊を歩いていた。


(皇后様が沈貴人様を守る理由……)


 魏尚の策略を止めるには、皇后自身が沈貴人を庇わざるを得ない状況を作らなければならない。


 だが、それは決して容易なことではない。


 皇后は慎重な方だ。表立って誰かを贔屓すれば、他の妃嬪たちの反発を招きかねない。


(けれど、沈貴人様が皇后様の「必要な駒」になれば——)


 蘭雪はふと立ち止まった。


 ——その方法が、一つだけある。


 ***


 翌日、蘭雪は静華宮へと向かった。


 静華宮——そこは、皇后が暮らす宮であり、後宮の中心でもある。


「皇后様、お話ししたいことがございます」


 蘭雪の言葉に、侍女たちは一瞬ためらったが、やがて一人が奥へと下がった。


 しばらくして——。


「皇后様がお会いになります」


 蘭雪は静かに頷き、襖の奥へと進んだ。


 ***


「蘭雪と申しましたね?」


 皇后は優雅に椅子に腰掛け、静かに蘭雪を見つめた。


「この私に、何の用でしょうか」


 蘭雪は深く一礼し、慎重に口を開いた。


「沈貴人様の件について、お耳に入れておきたいことがございます」


 皇后の眉がわずかに動いた。


「……沈貴人のこと?」


「はい。今、沈貴人様は孤立させられつつあります」


 皇后は扇をゆっくりと動かしながら、冷静に問うた。


「そのようですね。ですが、それが何か?」


「もし、このまま沈貴人様が失脚すれば——」


 蘭雪は、言葉を慎重に選びながら続けた。


「——次に狙われるのは、皇后様の御立場かもしれません」


 皇后の手が、一瞬止まる。


「……何を言いたいのです?」


「魏尚様の動きをご存じかと存じます。沈貴人様を排除した後、皇后様の影響力を削ぐ可能性は十分に考えられます」


 皇后は静かに目を細めた。


「そのような憶測だけで、私に動けと?」


「いえ——証拠がございます」


 蘭雪は懐から小さな紙片を取り出し、皇后に差し出した。


 皇后は紙片を手に取り、目を通す。


 そこには、魏尚の手の者が宦官たちを動かし、皇后の侍女たちの動向を探っていることが記されていた。


「これは……」


 皇后の目が微かに鋭くなる。


 蘭雪は静かに続けた。


「沈貴人様をお救いになることは、すなわち皇后様ご自身の立場を守ることにもつながります」


 皇后は紙片を握りしめ、しばらく沈黙した。


 やがて——。


「……少し、考えさせてください」


 皇后は静かに扇を閉じた。


 蘭雪は深く一礼し、その場を辞した。


(……皇后様は必ず動く)


 蘭雪はそう確信しながら、静華宮を後にした。


 ***


 静華宮を辞した蘭雪は、冷え込む回廊を一人歩いていた。


(皇后様は必ず動く——)


 そう確信してはいたものの、心の奥底にかすかな不安が残る。


 皇后は聡明で慎重な方だ。証拠を提示したとはいえ、即座に沈貴人を庇うとは限らない。


 むしろ、慎重を期すあまり、沈貴人を見捨てる可能性も——。


(……いいえ)


 蘭雪はかぶりを振った。


 もし皇后が沈貴人を切り捨てれば、魏尚の思う壺。


 そうなれば、次に狙われるのは皇后自身。


 沈貴人を守ることが、皇后にとっても最善の策であると気づかないはずがない。


(あとは、皇后様がどう動くか——)


 そう考えながら、自室へ戻ろうとしたその時だった。


「蘭雪様、お待ちくださいませ」


 侍女の一人が駆け寄り、息を整えながら言った。


「皇后様より、お呼びでございます」


 蘭雪は内心、わずかに驚いた。


 思ったよりも早い——。


「承知いたしました」


 静かに答え、再び静華宮へと向かった。


 ***


 皇后は変わらぬ優雅さで椅子に腰掛けていたが、その表情には先ほどまでになかった厳しさがあった。


「蘭雪」


「はい」


「あなたの話を考えました。そして——」


 皇后は扇を閉じ、まっすぐに蘭雪を見据えた。


「沈貴人を守ることにいたします」


 その言葉に、蘭雪は小さく息をのんだ。


 皇后は続ける。


「しかし、そのためには慎重に動かねばなりません。沈貴人を無理に庇えば、私自身も攻撃の的となる」


「……御意」


「そこで、あなたに頼みたいことがあります」


 蘭雪は静かに膝をつき、耳を傾けた。


「沈貴人が『価値のある存在』であることを、後宮全体に示すのです」


 皇后の言葉に、蘭雪は目を瞬いた。


「……沈貴人様の価値を、ですか?」


「ええ。沈貴人がただの寵妃であるならば、誰も彼女を庇おうとは思わない。しかし、彼女が後宮にとって、あるいは皇帝にとって『必要な存在』だとすれば——」


「排除しようとする動きに、自然と歯止めがかかる」


「その通り」


 皇后は扇を開き、静かに笑った。


「あなたなら、何か方法を考えられるでしょう?」


 蘭雪は唇を引き結び、深く頭を下げた。


「お任せください」


 皇后は満足げに頷くと、最後にこう付け加えた。


「……この戦いは長くなるかもしれません」


「ですが、私も決して沈貴人を見捨てるつもりはありません。あなたも、覚悟を決めなさい」


 蘭雪は静かに顔を上げ、その目に宿る強い光を見た。


(——この戦い、必ず勝たねばならない)


 蘭雪は心に誓い、皇后の前から下がった。


 次の一手——沈貴人を「価値ある存在」として後宮に示すこと。


 それが、彼女に課された新たな試練だった。


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