第八節 魏尚の焦り
第八節 魏尚の焦り
皇后の審問が終わり、沈貴人は無事に宮へ戻った。
しかし、後宮の空気は変わりつつあった。
沈貴人が張美人を巻き込むことで、魏尚の計画は狂い始めた。
(魏尚は次の一手を打ってくる……)
蘭雪は沈貴人の宮で報告を受けながら、冷静に思考を巡らせた。
春燕が心配そうに尋ねる。
「蘭雪様、このまま沈貴人様は安全なのでしょうか?」
蘭雪は扇を閉じ、静かに答えた。
「魏尚がこれで諦めるとは思えないわ」
***
その夜、魏尚は張美人の宮を訪れていた。
「どういうことですか、魏尚様!」
張美人は苛立ちを隠さず、魏尚を睨みつける。
「沈貴人があんな反撃をしてくるなんて聞いていません!」
魏尚は静かに盃を傾け、低く笑った。
「思った以上に沈貴人も賢いということだ」
「それで? このままでは私が疑われるではありませんか!」
魏尚は盃を置き、ゆっくりと張美人を見つめた。
「安心しなさい。次の手を打つ」
「……どうするつもりです?」
魏尚の目が鋭く光る。
「沈貴人を孤立 させる」
張美人は眉をひそめた。
「今度はどんな策を?」
魏尚は静かに扇を開き、唇を歪めた。
「沈貴人を支えている者たちを、ひとりずつ引き剥がすのさ」
***
翌日、後宮にある噂が広がった。
「聞いた? 沈貴人様に仕えていた女官が、急に宮を去ったらしいわ」
「何でも、不正があったとか……」
「最近、沈貴人様の周りの人がどんどんいなくなってるって」
その噂を耳にしながら、蘭雪は春燕に考えた。
(……魏尚は沈貴人の影響力を削ごうとしている)
沈貴人の侍女や信頼できる者たちが、次々と後宮から排除されていく。
これは、魏尚の計画の一部——。
(沈貴人を守るためには、こちらも動かないと)
蘭雪は静かに立ち上がった。
「春燕、沈逸に会いに行くわ」
「沈逸様に?」
「ええ。彼なら、魏尚の動きを止める手を持っているかもしれない」
沈貴人を守るため、蘭雪は沈逸のもとへ向かった——。
***
蘭雪は静かに回廊を進んでいた。
夜の帳が降り、風が軒をかすめるたび、遠くで誰かの囁き声が聞こえる。
(魏尚の動きを止めるためには、沈逸の協力が必要)
沈貴人の侍女たちが次々と排除され、孤立させられている現状——。
手を打たなければ、沈貴人は魏尚の思惑通りに追い詰められてしまう。
(沈逸なら、何か策を持っているはず)
蘭雪は、沈逸がいるはずの宦官詰所へと足を向けた。
***
「——これは、蘭雪嬢」
沈逸は蘭雪を見るなり、微笑を浮かべた。
「こんな夜更けに、俺に何か用ですか?」
蘭雪は扇を閉じ、まっすぐに彼を見つめる。
「魏尚が動き始めました。沈貴人様を孤立させるつもりです」
沈逸は目を細めた。
「……やはりな」
「何か策は?」
沈逸は軽く扇を仰ぎながら、考え込むように視線を落とした。
「蘭雪嬢、あまりにも急ぎすぎるのでは?」
「急ぐべき状況です」
蘭雪はきっぱりと言い切る。
「魏尚が沈貴人様の側近を排除しようとしているのなら、それを止めなければならない。あなたも、それは分かっているはず」
沈逸はふっと笑った。
「さすがですね。……分かりました、策はあります」
蘭雪が息をのむ。
「ただし——」
沈逸の目が鋭く光った。
「少し危険ですが、乗りますか?」
蘭雪はためらわずに頷いた。
「教えてください」
沈逸は軽く扇を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「魏尚の狙いは、沈貴人の影響力を削ぐこと。そのために側近たちを排除している」
「ええ」
「ならば——沈貴人に新たな支持者を作らせるのです」
蘭雪は驚き、目を見開いた。
「新たな支持者……?」
「そう。沈貴人が後宮でさらに有力な味方を得れば、魏尚も簡単には動けない」
「……たとえば?」
沈逸は微笑を深める。
「皇后様です」
蘭雪の胸が高鳴った。
(皇后様を……沈貴人様の味方につける?)
それができれば、たしかに魏尚も迂闊には手を出せなくなる。
しかし——。
「皇后様が、そう簡単に沈貴人様を支持してくださるでしょうか?」
沈逸は微かに笑った。
「だからこそ、蘭雪嬢の知恵が必要なのですよ」
蘭雪は、沈逸の意図を読み取ろうとした。
(皇后様を味方につけるために、何をすべきか……)
沈逸はゆっくりと続けた。
「後宮での力関係は、日々変わります。沈貴人を孤立させる魏尚の動きに対抗するには、皇后様が沈貴人を守る理由 を作らねばなりません」
「……理由?」
「ええ。それも、皇后様ご自身が動かざるを得ない理由 です」
蘭雪の目が鋭くなった。
(皇后様を動かす理由……)
「つまり、皇后様が沈貴人様を助けなければならない状況を作る——」
沈逸が静かに頷いた。
「まさにその通り」
蘭雪は扇を握りしめた。
「……分かりました。その方法、私が考えます」
沈逸は微笑んだ。
「ええ、期待していますよ」
蘭雪は決意を固め、沈逸の前を去った。
魏尚の策を打ち破るため、皇后を巻き込む策略 が必要だった——。




