表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/133

第百節 夜の密談

 第百節 夜の密談


 狩猟の宴が終わり、蘭雪は自室へ戻った。


 だが、静かな夜の帳が降りる中、彼女の心は落ち着かない。


 今日の出来事——狩猟場での一件に加え、慶成帝や沈逸の視線。それは明らかに、彼女をただの采女として見ていない証だった。


「後宮は戦場——誰を味方につけるかが重要だ。」


 沈逸の言葉が脳裏をよぎる。


 果たして彼は、ただの観察者なのか。それとも、彼女に何かを期待しているのか。


 そんな思考を巡らせていたとき、静寂を破るように扉が軽く叩かれた。


「蘭雪様。」


 扉の向こうから囁かれる声。


 慎重に扉を開けると、そこに立っていたのは沈芷蘭だった。


 物腰柔らかく微笑む彼女だが、その瞳はどこか探るような光を宿している。


「こんな夜更けに、どうされました?」


 蘭雪は冷静に尋ねる。


 沈芷蘭は静かに部屋へ入り、扉をそっと閉めると、少し声を潜めた。


「今日の件、御存知ですか?」


「……何のことでしょう?」


「皇帝陛下が、貴女に興味をお持ちになったことです。」


 沈芷蘭は意味ありげに微笑む。


「そして、それを快く思わない方々もいる……。」


 蘭雪は目を細めた。


「……貴妃様、でしょうか。」


 沈芷蘭はふっと微笑を深める。


「さすがですわ。」


 貴妃・葉容華は、後宮で最も権力を持つ女性のひとり。そして、彼女の派閥に属する采女たちは多い。


 沈芷蘭もまた、沈貴人の意向を受けて動く立場——つまり、貴妃派の一員だった。


「……何が言いたいのです?」


 蘭雪が探るように尋ねると、沈芷蘭は扇を開き、軽く揺らした。


「ただ、お伝えしておきたかったのですわ。」


「貴妃様の意向に逆らうことは、決して賢明ではありません。」


 それは、警告とも取れる言葉だった。


 だが蘭雪は、微笑を崩さず、静かに言葉を返す。


「ご忠告、感謝いたします。」


 沈芷蘭は蘭雪の反応を探るようにしばらく沈黙した後、優雅に一礼して去っていった。


 その姿が消えた後、蘭雪はそっと扇を閉じる。


 ——これは、単なる忠告ではない。


「試されているのね……。」


 静かな夜の中、蘭雪は決意を新たにした。


 次に仕掛けられる罠——それをどう乗り越えるかが、今後の後宮での生死を分けるだろう。



 沈芷蘭の忠告から数日が経った。


 蘭雪は沈芷蘭の言葉の裏にある意図を探るとともに、貴妃・葉容華が次に仕掛けてくる手を警戒していた。


 そして——夜。


 蘭雪の部屋の前に、誰かが立っていた。


「……どなた?」


 扉越しに尋ねると、静かに扉が開かれた。


 そこにいたのは馮蓮。貴妃に仕える采女の一人だ。


「蘭雪様、お話がございます」


 彼女の表情は冷静で、感情を読ませない。


 蘭雪は警戒しつつも、彼女を部屋に招いた。


「貴妃様が、貴女にお会いしたいと」


 蘭雪は一瞬、心の内で笑みを浮かべた。


(ようやく来たわね)


 貴妃自らが呼び出すということは、何かを仕掛けてくるつもりに違いない。


 だが、これを断れば「皇帝の寵愛を鼻にかけ、貴妃に無礼を働いた」と言われるだろう。


 蘭雪は静かに頷き、馮蓮と共に貴妃の元へ向かった。



 ◆ 貴妃の謀略 ◆


 貴妃の宮殿は、艶やかな香の薫る豪奢な空間だった。


 葉容華は長椅子に優雅に座り、蘭雪を迎えた。


「ようこそ、蘭雪」


 優しく微笑むが、その目の奥には冷たい光が宿っている。


「貴妃様、お呼びいただき光栄です」


 蘭雪は慎重に礼を取る。


 貴妃は盃を持ち上げ、微笑みながら言った。


「私、貴女ともっと親しくなりたくて」


 そして、馮蓮が蘭雪の前に酒盃を差し出す。


「お酒を一杯、どうかしら?」


 ——毒かもしれない。


 そう直感しながらも、蘭雪は微笑んだまま盃を受け取る。


「光栄でございます」


 だが——その瞬間、沈逸の声が響いた。


「少し、お待ちを」


 部屋の外から現れたのは、沈逸。


 優雅に扇を開きながら、冷静な表情で歩み寄る。


「夜更けの酒席は、あまり健康にはよろしくないかと」


 貴妃の表情がわずかに険しくなる。


 沈逸は蘭雪をちらりと見つめ、穏やかに微笑んだ。


 沈逸の言葉が響いた瞬間、宴席に微かな緊張が走った。

 貴妃・葉容華は盃を持つ指をわずかに強く握りながら、沈逸を見つめる。


「まぁ、沈大人。」


 微笑を崩さず、彼女は穏やかに言った。


「これはただの親睦のための一杯。私、蘭雪ともう少し親しくなりたくて。」


 沈逸は扇をゆるりと揺らしながら、静かに蘭雪の隣に歩み寄る。

 その仕草は優雅でありながら、どこか冷ややかな威圧感をも伴っていた。


「それは光栄なことでございます、貴妃様。」


 沈逸の声音は柔らかいが、その瞳には冷静な鋭さが宿っていた。


「しかし——後宮では、酒の盃を交わすにも慎重さが求められるもの。」


 彼はふと扇を閉じ、蘭雪の持つ盃に視線を落とす。


「……もし、蘭雪様の健康を害するようなことがあれば、それは陛下にとっても由々しき問題となるでしょう。」


 貴妃は沈逸の言葉を受けて、穏やかに微笑みながらも、その瞳には冷たい光が宿った。


「沈大人は、まるで私が何かを企んでいるようにおっしゃるのね。」


「まさか。そのようなことは微塵も。」


 沈逸はさらりと受け流しながら、蘭雪に目を向けた。


「しかし、夜も更けております。これ以上の酒席は、お身体に障りますゆえ。」


 そう言いながら、沈逸は蘭雪の持つ盃をそっと取る。


「この一杯、私が頂くのもよろしいでしょうか?」


 その瞬間、貴妃の目が鋭く細められた。


 馮蓮が沈逸の言葉に動揺したように視線を揺らす。


 だが、貴妃はすぐに微笑みを取り戻し、しなやかに手を振った。


「まぁ、それほどに警戒なさるのなら、無理に飲む必要はありませんわ。」


 彼女は盃を沈逸の手からそっと取り戻すと、馮蓮に渡した。


「余ったお酒は下げなさい。」


 馮蓮は小さく頷きながら、盃を慎重に受け取り、席を辞した。


 沈逸はそれを見送りながら、扇を開く。


「ご配慮、痛み入ります。」


 貴妃はゆっくりと沈逸を見つめ、微笑を浮かべたまま言った。


「貴方がこうして蘭雪のために動くとは、少し意外ですわ。」


 沈逸は扇を軽く揺らしながら、穏やかに答えた。


「ただ、陛下の信頼を受ける者として、後宮の秩序を守るだけのこと。」


「……そう。」


 貴妃は意味ありげに沈逸を見つめた後、ゆっくりと立ち上がった。


「今宵はここまでにいたしましょう。」


 蘭雪は沈逸の後ろで静かに佇みながら、貴妃の動きを見つめていた。


 ——今のやりとりで、貴妃の本心が見えた。


 彼女は確かに、自分を試そうとしていた。


 毒を盛ったかどうかは分からない。

 だが、沈逸が現れなければ、貴妃の思惑通りに物事が進んでいた可能性が高い。


 蘭雪は目を伏せ、沈逸の存在の大きさを改めて感じた。


 彼は、確かに自分を守るために動いた。


 宴席が解散する中、沈逸が静かに蘭雪に囁く。


「……気をつけることです。」


 蘭雪は彼を見上げ、そっと微笑んだ。


「……助けてくださって、ありがとうございます。」


 沈逸は何も答えず、ただ静かに扇を揺らす。


 その背には、夜風が冷たく吹いていた。


 ——こうして、貴妃の仕掛けた罠は未遂に終わった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ