6 急な枯死
目が覚めると、外が騒がしいことに気がついた。
昨夜、梅さんが部屋から出て行った後にすぐに寝たからか、少し寒気がする。
「なんだ、この匂い……」
それにしても何か匂う。生臭くて、どこか痛々しい。
「血の、匂い……?」
気づいて仕舞えばもう遅い。僕は勢いよく立ち上がり、いつもの着物に着替えた。部屋の戸を開け、廊下を確認する。
……気配がない。
他の部屋にいる者は全員外に出たのだろう。
素早く長い複雑な階段を駆け下り、柵から時々下の受付も確認したが、誰もいない。
旅館には千人くらい客が泊まってるはずなのに……一体みんなどこ行ったんだ?
急いで玄関まで走り、勢いよく戸を開けた。先には、大勢の人がぎゅうぎゅうに詰まっている。
僕はとりあえず、一番近くの男に話を聞いてみることにした。
「あの、何かあったんですか?」
「ん? あぁ、煉獄の者が殺されたんや」
こ、殺された……!? つまり殺人事件、か。
「でも一体誰に」
しかし男は何も言わず首を振った。まだ分からないらしい。
「殺された人は一体どこに?」
「この人混みの先におるで。まだ少し生きてるて」
短く礼をすると、人を掻き分け、血の匂いのする方へ急いだ。
別に煉獄で殺人が起こることはこれまでも数回あったし、偶然見てしまったこともある。
でもなぜだか、今回は胸の鼓動がやけに激しい。昨日の佐久夜のせいなのだろうか。
そして人混みに入ってしばらくした時。聞き覚えのある声が辺り一面に響き渡った。キーン、と耳が鳴る。
「ミヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
キク……!?
僕は一気に速度を上げ、走った。切る風が妙に冷たい。
「キク! キク……!!」
そしてついに、人混みの中心までやってきた。しかしそこには、僕がこの世で一番恐れていた光景が広がっていた。
泣き崩れている菊。下に俯き、表情が見えない佐久夜。そして二人の中心には、血だらけになって倒れている梅の姿があった。
恐怖より、戸惑いが頭の中を埋め尽くしていく。
「ウメさん……? えっ、なんで。一体、どうして……」
思わずフラフラと菊や佐久夜、そして梅の元へ駆けつける。梅はまだ微かに呼吸をしており、真っ赤な手で胸辺りを隠していた。
顔はもう青白く、赤い口紅が恐ろしいほど目立っている。
泣き叫ぶ菊を隣に、僕はまだ混乱したまま叫んだ。
「ウメさん! 聞こえる!?」
その声に梅は微かに口を動かし、掠れた声で呟いた。喋らせては、駄目なのに。
「みや……ミヤなのね」
必死に頷き、両手で胸の傷口を押さえる。しかし傷口からはどくどくと血は溢れ出てくる。それは僕の心を焦らせ、混乱させるだけだ。
痛い、痛い……
見てるだけなのに、胸が痛い。
「でもどうしよう……ち、血が止まらない……!!」
荒い呼吸と共に叫ぶと、梅は小さく首を横に振った。何を言おうとしてるかなんて、だいたい予想はついてる。
最後の挨拶なんて、絶対に言わせやしない。
「待ってて、今治療の術を──」
致命傷の治療の術は、かなり難しい術だ。失敗すれば、何年も動けなくなるか、寝なきりになるだろう。
しかしそんな震える僕の手を、止めるように梅は弱い力で握った。握ったというより、ただ触れただけだ。
「ねぇ……聞いてくれる?」
僕は何も言えず、ただ弱々しい彼女の顔を見つめることしかできない。「一か八かの治療をするから黙って」とは言えるはずもなかった。
「私が死んでも、ニンゲンのせいにしちゃ、だめよ?」
「そ……そんなの分かってるよ」
梅はフッと笑った。
「昨日、佐久夜くんとは仲良くしなさいって言ったけど、別に無理しなくてもいいの。決めるのはミヤ、あなたなんだから」
「……」
「でもね、これだけは覚えておいて」
梅は、最後の力を振り絞って手を強く握った。僕は思わず驚いて目を丸くする。
「頼って、頼られる人になりなさい」
「……うめさ」
「どうか、自分から壁を作らないで」
そう言うと、梅さんは眠りに落ちたように瞼を閉じた。
「…………お、お母さん」
最期に僕の声が聞こえたのか、肩に笑う吐息がかかった。しかし、もう彼女が息を吸うことはない。
人間界でいう真冬の日。煉獄では一本の梅が蕾を落とした。
死とは、人が思うよりほんと一瞬で、信じられないものだと僕は知った。
****
あれから五日後。佐久夜は玄関前の枯れた梅の花を見つめ、そっと触れようとした。
「……」
「大変なことになったな、サクヤ」
しかしそれは大柄な男の声によって阻まれた。大天狗である。
佐久夜は丁寧に大天狗にお辞儀をし、しんどそうに笑った。目の下にはクマがある。
「まさかこんなことになるなんて、毎日胸が痛いです」
「あぁ……ミヤとキクは?」
「二人はずっと部屋にこもりっきりで。だから俺が仕事を」
佐久夜は手にある箒に視線を落とした。天狗はしばらく考えると、小さな声で言った。
「ここ最近、野蛮な事件が多い。仕事とはいえ、一人で外にいるのは危険だぞ」
「あぁ、ありがとうございます」
佐久夜はまた二言ほど大天狗と言葉を交わすと、まだ仕事があるため旅館へ戻った。
あんな事件があったはずなのに街は賑わっていて、佐久夜はなんだか複雑な気分になっていた。
唯一同じ歳の雅や菊にも会えず、ただ辛い仕事を一人でこなさなければならない。
料理や掃除、各部屋の布団の用意、掃除。中でも風呂掃除は一番体力を使う。なにせ、あの巨大なかまどに自力で火を起こすのだから。
玄関の掃除が終わった後は、毎日雅の部屋まで向かい、戸の前におにぎりを置く。でもまだ一度も部屋から出てきたことはない。
(まぁ……きっと今日も食べてくれないんだろうな。)
「雅、おにぎり持って来たぞ」
いつも通り、返事はない。まるで戸の向こうには誰もいないみたいだ。
でも無理もない。母親が死んで、たった五日で元通り仕事をするなんてきっとしんどいだろうから。しかも雅はまだ人間界でいう十五歳。
「おい、でも五日も絶食なんて死ぬぞ?」
しかし返事は物音ひとつ聞こえない。本当に死んでしまったのだろうか。佐久夜はだんだん不安になり、そっと戸を開けてみた。中を覗こうとしたその時。
隙間からぬっと手が出てきた。
「なっ!?」
動く前に口は塞がれ、部屋に引き摺り込まれてしまった。部屋の中に放り込まれると、急に壁に押し付けられ、首を絞められた。指は首の血管を全て握りつぶすような勢いだ。
そしてぼやける視界の先には、よく追いかけた藤色の髪。
雅:人間嫌いな少年(主人公)
佐久夜:雅が初めて世話する人間
菊:雅と共にあまねの湯で働く少女
梅:菊の母親、あまねの湯の支配人
大天狗:あまねの湯の常連客。天狗。
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2024:12:3 まで(休日は除く)一日、朝昼晩の3回に分けて投稿する予定です。
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