5 人間屋と溶けるロウソク
「そういえばさ、サクヤはなんで十五歳で死んだの?」
佐久夜が口を開いたと同時に、向かいの桜は激しく舞い始めた。思わず目を瞑ってしまう。
しかしその一瞬。
花吹雪の向こう側にいる佐久夜の笑顔が消えた気がした。彼の目は、いつもより色が増している。
(前話より)
一瞬、佐久夜が真顔になったのかと思ったが、どうやらそれは気のせいだったようだ。佐久夜は静かに微笑む。
「ごめん、それはまだ言えないな」
「え、なんで?」
「死因は……そうだな、もっと仲良くなってから話したい」
そう言った佐久夜の顔は、嬉しそう。疑うようにじっと見つめていると、少し鼻で笑われた。
「なら、俺もお前に聞きたいことがある」
「いいよ」
頷くと、佐久夜は側にある櫛の入った布を指差した。紫の布には数枚の桜が降っている。
「その櫛、梅さんのなんだろ? どうして高い寿命まで払って直したんだ?」
「あぁ、その……僕が小さかった頃。毎日この櫛で髪を結ってもらってたんだよ」
「思い出が詰まったみたいな?」
僕は無意識に黙った。
お互い髪が、静かにそよ風に揺らされる。それにどこからか優しい桜の香り。
「思い出とか、そんな軽いものじゃないよ」
それに佐久夜は特に何も言ってこない。ただ少し楽しそうに微笑み、草の上に寝そべるだけだった。
「じゃあ、暇つぶしに聞きたいな。そのお前の思い出より重い昔話を」
僕はフッと笑うと、佐久夜と同じように草の上に寝そべった。上には真っ黒な空に桜が舞っている。
人間界は空が水色だと聞いたことがある。しかもオレンジや濃く深い青色に変わり、場合によっては星の川が見れるんだとか。
僕は目を閉じ、静かに小さく口を開いた。
昔。両親に捨てられ、川に流されてた僕をウメさんが拾ってくれた。
その時のウメさんにはまだ幼い娘の菊がいたし、あまねの湯の仕事で忙しかったはず。でも構わず、僕を新しい家族にしてくれた。
何年か経った日、ウメさんの仕事が急に忙しくなってきて……家に何年もいない日もあったし、世話した人間に殴られて帰ってくる日もあった。
僕は、ボロボロになったウメさんの姿を見るのがすごく嫌だった。
まぁだから僕、ニンゲンが嫌いなのかもしれない。
だけどそんな僕とは逆に、人間に殴られてもウメさんは怒ったりしない。昔からただ無言で僕の髪を結うだけ。
小さい頃だからあんまり記憶はないけど、この櫛が折れた日はすごく落ち込んだ。櫛がなかったら、気分も落ち着かなくなる気がしてさ。
一旦話を区切り、僕は深く息を吐いた。
「どう? 暇つぶしにでもなった?」
「……うん。すごくいい話だな」
佐久夜はどこか切なそうな顔で言った。そしてゆっくり上半身を起こす。
「サクヤは話してくんないの? 死ぬ前のこと」
「……また今度な」
そう言ってまたはぐらかすんだ。佐久夜は。
****
帰り道。特に行きたいところなんてなかったから、とにかく街の店をたくさん回ることにした。
佐久夜は思う存分煉獄の食べ物を食べ、最後は着物を買った。四十九日間も同じ服なんて耐えられないしね。
「はぁ〜! 煉獄は楽しいな!!
「そ。よかったね」
佐久夜はさっき買った団子を嬉しそうに頬張る。
「あ、ちょっと。そんなに急いで食べたら団子詰まるよ」
「ほおんっ!」
……呆れるんだけど。
「あのさ、食べ終わってから話してくれる?」
「まひ、れんほくさいこお〜!!」
何言ってんだこいつ。
「んんっ……なぁ雅。次はそこの店もいいんじゃないか?」
「は? まさかまだ食べる気? あ、ちょっと勝手に……!」
佐久夜は少し先の店を指差し、一気にかけて行ってしまった。向かった先には、「ニンゲン屋」があるというのに。
「さ、サクヤ! そっちは駄目!!」
煉獄には、人間界にないものが山ほどある。
例えばニンゲン屋。そこは文字通り人間を売っている。でもただの人間じゃない。地獄行きになった者、人間界で大きな罪を犯した人間だ。
実は僕はサクヤがニンゲン屋の前を通らないよう、さっきからずっと意識して道を歩いていた。しかし離れてしまえば、話は別。
人間には極力、ニンゲン屋を見せてはいけないという決まりがあるんだ。
「サクヤ!」
やっと追いつき、顔を上げる。しかし目の前の店には、人間の体の部位や臓器がずらりと並んでいた。ニンゲン屋は、人間の全てが揃っている。
あ……かなりやばいやつだ。
「さ、サクヤ。目つぶった方が……」
慌てて注意をそらそうと顔を向けたが、遅かった。目の前の佐久夜は、完全に店を見つめている。それも瞳孔をひどく震わせて。
それに僕のの顔からも血の気が引いていく。
やっちゃった……絶対怖がるに決まってる。
僕が諦めかけたその時。
「ふっ……」
ふと佐久夜の笑う吐息が聞こえた。驚いて目を見開くと、たしかに目の前の彼の口は笑っていた。
笑ってる……?
その表情は嬉しそうにも切なそうにも見え、何かを懐かしんでいるような顔だった。自分の体の中身を見て笑う人間。
正気か?
「サクヤ……」
「あ、雅!」
僕の声に佐久夜はハッとこちらに顔を向け、微笑んだ。その表情はいつもと変わらず、ただの阿保らしい顔に戻っている。
「どうした? なんか顔が青白くないか?」
「えっいや。な、なんでもないけど……と、というか早く帰ろ!」
僕は素早く背を向けて歩き出したのに、佐久夜も慌ててあとを追いかけ始めた。僕たちの後ろでは、ニンゲン屋の店主が人間の心臓を握っている。
心臓はまだ、生きようと微かに動いていた。
****
その日の晩。佐久夜とは特に会話を交わさなかった。もっと具体的にいうなら、僕がまた佐久夜を避け始めたから。
「はぁ……」
同じニンゲンのあんな臓器とか見たら、誰だって怖がるものじゃないの?
臓器を見て笑うサクヤが人間界で何もしてないわけないだろうし……
──ススッ
しばらく考え込んでいると、部屋の戸がそっと開き始めた。驚いて目をやると、開けられた小さい隙間から優しい声が聞こえてきた。
「ミヤ、今ちょっといいかしら?」
「あ、ウメさん!」
急いで残りの隙間を開け、そっと彼女を部屋に入らせる。梅はゆっくりと僕の正面に座り、優しく手を握ってきた。
「あらミヤ、手が冷たいじゃない。また考え事でもしてたの?」
図星だ。僕の固まった顔に、梅さんは困ったように眉を寄せる。
「もしかして、またサクヤくんのこと?」
またもや図星だ。「なんで分かんの」とつぶやくと、梅は笑った。何年あなたを育ててきたと思ってるの、と。
「ねぇミヤ、まだ彼のことが嫌いなの?」
「…… 」
「正直に言って。怒ったりはしないわ」
大嫌い、ではないと思う。自分から店に行こうと誘ったし、前よりかは普通に話せてる。
僕は少し長く瞬きをし、ハッキリと言った。
「前よりかは嫌いじゃない。でも、怖い」
すると梅は小さく微笑み、「良かった」と呟く。何が良かったのか僕にはわからない。
「怖いのは仕方ないわ。でもそんなの慣れれば大したことないから安心ね」
僕の手は彼女の温もりを奪い、ほんの少し暖かくなってきている。それ気づいた梅はそっと僕から手を離し、胸元から櫛を取り出した。
酷く古びた櫛で、彼女には似合っていない。
「こんな櫛で申し訳ないけれど、久しぶりに髪を結ってあげるわ」
あ、それなら……
「ちょ、ちょっと待って」
僕は慌てて近くにあった小箱からあるものを取り出した。それは紫の布に包まれている。
そっと彼女に差し出し、「これ使って」と呟いた。
「何かしら、これ」
梅は不思議そうに布を開いていく。すると、中には美しく輝いている櫛があった。櫛には真っ赤な梅が咲いている。
「ミヤ……これってまさか」
梅は震える手で櫛を手に取って見せた。僕はふいっとそっぽを向く。
「今日、サクヤと玉ノ屋に行ったんだよ。模様もほぼ剥がれてたから、描いてもらった」
「……」
黙って待っていたが、一向に返事はない。不思議に思い視線を戻すと、そこには泣いている彼女の姿があった。
えっ
「ご、ごめん。なんか嫌だった?」
人を慰めるのは苦手だけど、そっと背中に手を添えてみる。すると、梅は勢いよく抱きついてきた。バサッと着物が擦れる音がする。
「うわっ」
思わずドンっと床に転がり込む。女の着物は重い。
押された……もしかして、怒ってる?
まだ混乱している僕に、潤んだ瞳を細めて彼女は言った。
「ありがとう、ミヤ! 大好きよ!!」
いつもは客に向かって上品に笑う梅だが、今は大きく口を開け、高い声を出して笑っている。
こんな嬉しそうな梅さん……見たことない。
僕もなんだかむず痒くなって、少し笑った。久しぶりに笑えた、大好きな二人の時間だった。
****
「でも私、ミヤがサクヤくんと仲良くなってくれたらもっと嬉しいわ〜」
笑い終わると、寝転んだまま梅は呟いた。しかし僕の険しい顔を見ると、呆れたように首を振る。
「分かってるわ。でもね、サクヤくんだってミヤのことが怖いのよ」
「……あいつも?」
「そう! だからね」
梅は話の途中で起き上がり、「おいで」と手招きした。言われた通り側に座ると、スルッと自分の髪紐を解かれる。
本当に髪を結ってくれるんだ……
少し癖のある藤色の髪が肩に流れ、梅はそれを優しく櫛で撫でる。やっぱり、どこか落ち着く。
そして梅はまた優しい口調で話し始めた。
「お互い、寄り添いあって欲しいの。そうすれば、ミヤもいつかサクヤくんのこと怖いなんて思わなくなるから」
僕は空いている手でそっと円を作り、そこにフッと息を吹きかけた。息は側にあった蝋燭に優しく絡みつき、火をつける。
暗闇にそっと僕たちは照らされ、窓からは街の赤い光が輝いて見える。
「あ、頭めっちゃ揺らすね……」
髪を引っ張られ、揺れる頭を片手でそっと押さえた。しかし梅に邪魔だと追い払われ、行き場のなくなった手は無意識に首に回される。
「僕、今日サクヤに人間界で死んだ理由聞いたけど、教えてくれなかった」
「あらそうなの」
「それに、ニンゲン屋を見て微笑んだんだよ。これっておかしくない?」
梅はそっと手を止め、僕の顔を覗き込んで面白そうに笑った。なんで笑ったかは分からない。
「それは変ね……でもなおさら知りたくなったんじゃない? サクヤくんの死因と、ニンゲン屋を見て笑った理由」
梅さんはじっと僕の瞳を見つめている。こっちまで桃色の瞳に染まってしまいそうだ。
「色々話していくうちに仲良くなって、お互い信頼し合って。それでやっと彼の死因が聞けるのよ」
「でもそれって、結構時間がかかるんじゃないの?」
僕にはそんなめんどくさいことできない。できるはずがない。
「えぇ、時間はかかるわ。それに、サクヤくんといられる時間だって限られてる」
「あ……」
その言葉にハッとした。
そうだ。人間が煉獄にいられるのは、地獄か天国に行くか決まるまでの四十九日。決してここに一生いられるわけではないのだ。
「でも、その限られた時間で仲良くなればいい話。ほら、髪できたわよ」
首を横に振り、くくった髪を揺らしてみた。さらさらだ。
「じゃあ、次はキクの髪でも結いに行こうかしら」
梅は静かに立ち上がると、着物の裾をひるがえし、戸まで歩いて行った。
「……待って」
僕も立ち上がり、出て行こうとする彼女の手首を掴んだ。梅は声も上げず、特に抵抗もしない。
「僕、サクヤとも仲良くできるように努力するし、世話だってして見せる」
「……」
彼女からは返事も反応もない。そうお互い黙れば、部屋には静かな息の音が流れた。僕は必死に頭の中で言葉を並び替える。
今思えば、梅さんとは最近ずっと。本当にずっと話せてなかった。
それにまた次。こうやって真剣に話し合えるのも何日、何年、何十年先になるか分からない。また世話した人間に殴られて帰ってくる日もきっとあるだろうし。
「だから。キクと違って僕が本当のウメさんの子供じゃなくても、またこうやって二人で話し合いたい」
しばらく長い沈黙が流れる。返事はなかった。でも、嫌な気持ちにはならない。
「ごめん。手、離すね」
しかし離したのと同時に、梅さんはバッと勢いよく振り返った。向けられた顔は真剣だ。
「いつか。ミヤが私のことをお母さんって呼んでくれるのを楽しみに、ずっと期待してるわ」
そう言ってもう彼女は素早く廊下に出て行ってしまった。
部屋の小さな蝋燭は、もう消えようとしている。彼女、梅のように。
雅:人間嫌いな少年(主人公)
佐久夜:雅が初めて世話する人間
菊:雅と共にあまねの湯で働く少女
梅:菊の母親、あまねの湯の支配人
琴:玉ノ屋の店長。花魁。
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していただいたらもっと煉獄が盛り上がります。
2024:12:3 まで(休日は除く)一日、朝昼晩の3回に分けて投稿する予定です。
あまねの湯で皆様をお待ちしています。