47④ 裏道
あれから、どれくらい走っただろうか。
目の前にずっと続く蜘蛛の糸を追いかけていれば、もうそこは路地裏などではなく、ただの暗闇になっていた。
風も匂いもなくて、ただ自分の走る音と、荒い息が聞こえる。
「あっ、あとどれくらいだ……!」
手のひらから肩に乗せた蜘蛛は、数回歯を鳴らせ、たどたどしく話した。
『マダ、マダ』
「まだ……!?」
体力も、もうない。水分だって取れないし、何より視界がずっと暗くて、頭が痛かった。
「はぁ、っもう、駄目だ……!!」
佐久夜は膝に手を置き、がっくりと肩を落とした。喉が痛くて、唾を飲み込んでも苦しいままだ。
『ハシレ、モウ、ジカンハナイ』
「分かって、るっ!」
もう一度姿勢を正し、一歩前に足を出した。するとその瞬間、一気に視界が黒から鮮やかな赤色に変わった。
「なっ!」
目の前には、いつの間にか大きな鳥居が立っていたのだ。それも、その後ろにはたくさんの鳥居が一列に並び、自分に道を作っていた。
空中にはいくつかの火の玉や、夕焼け色に灯る提灯などが浮かんでいる。
「す、進んでいいんだよな?」
それに蜘蛛は、一回歯を鳴らした。恐る恐る鳥居の道に足を踏み入れると、どこか胸がざわざわするような感覚になった。まるで、体の中に砂利でも入ったかのようだ。
「行く、か……」
鳥居の中を、駆け足で進んでいく。鳥居と鳥居の隙間から誰かに見られている気もしたが、きっと見ないほうが良いだろう。裏道、だからな。
何千もの鳥居を抜ければ、また視界はガラッと変わった。
次の場所は、どこかの屋敷の、廊下だった。右も左も障子で挟まれ、少し怖かった。
(ただ進めば、いいんだもんな)
ギシギシ木の床を鳴らし、少し進んだ時だった。急に、障子の向こう側に灯りがついた。そこには、はっきりと女の影が映る。
『ねぇ、遊んでよ』
「えっ……」
『遊んで、お願い』
そう言いつつ影はこちらに近ずいてきた。気味が悪い。
きっとこの女は、幽霊か何かだろう。関わってはいけない。
『ねぇ、聞こえてるんでしょ? ねぇったら』
佐久夜は目線を前に戻し、震える足で前へ進んだ。その時も女が必死に呼び止めてきたが、無視をするしかなかった。
その後も何人の人に声をかけられたが、佐久夜はそれに走る速さを速めるだけだった。
「一体、なんなんだよここは……」
また走ってゆけば、当然のように場所は変わった。変わった瞬間、刀同士がぶつかる音や、人の叫び声から馬の鳴き声まで、それに激しく火の燃える音が聞こえてきた。
どうやら、お次は戦場らしい。佐久夜は間近で見る残酷に、息を呑んだ。
「ここを、走り抜けるのか……?」
『ソウ、ススメ』
「く、蜘蛛さん……」
泣きそうになったが、進まなければ人間界には戻れない。佐久夜は、地面に倒れる死体を避けつつ、できる限り空気を吸わないよう走った。
しかし、戦場はそう簡単には進めなかった。
『覚悟ぉぉぉぉぉ!!!』
矢が体に刺さり、血だらけになった武士が、なんと自分に向かって思い切り刀を振り下ろしてきたのだ。佐久夜は久しぶりに、本物の命の危機を感じた。
「く、蜘蛛さん……!!」
慌てて叫ぶと、奇跡的に視界は変わってくれた。それも、美し緑の広がる竹藪の中に。
「はっ、はぁぁぁ……! 良かったぁ……」
呼吸も落ち着けば、佐久夜は慌てて蜘蛛の糸の位置を確認した。糸は、しっかり目の前に伸びている。
「い、行かないと……」
佐久夜は小さく呟き、再び足を動かした。しかしその時、ふと足に違和感を感じた。この、感覚。
「素足になってる……?」
履いていた靴はいつの間にか消え、アザのある痛々しい足へと変わっていたのだ。
「な、なんでだ!? 脱いだ覚えはないのに……」
『三途の川ニ、チカズクト、ゲンジツニ、チカズク』
「現実に近ずく……? それって、俺が死んだ時の姿になっていくってことか?」
蜘蛛はカチッと歯を鳴らした。どうやら目的地は、そう遠くではないようだ。
佐久夜はそれを理解すると、思わず微笑んだ。
竹藪の次に目の前に広がったのは、どこまでも続く線路の上だった。試しに後ろを振り返っても、ただただ長い線路が広がっている、前と同じ景色だった。
どちらが前なのか後ろなのかも分からない。そんな不安の中、やはり足は動かさなければならない。
「あ、歩きにくいな。石の上は」
バランスをとりつつ、永遠に続きそうな線路を歩く。無理をして走れば、きっと石で足裏を切ってしまうだろう。
「……ん? 何か、聞こえてこないか?」
順調に歩いていたが、ふとどこか遠いところから、機械のような音がなっているような気がした。なぜか、聞き覚えのある──
「踏切……!?」
『クルゾ』
気づけば、踏切の高い音はもう、すぐ耳のそばまで大きく聞こえてきていた。そして、背中から伝わる激しい振動。
後ろから、電車が走ってきている。
「嘘、だろ……」
そしてゆっくり振り返った瞬間、視界は一瞬で真っ赤に染まった。痛かったかどうかなど、考えたくなかった。




