44 愛される女と愛されない女
「う、ウメ……」
着物屋から出てきた彼女は、すれ違った時より一層美しく見えた。抱える赤ん坊でさえ、彼女の美しさを隠しきれない。
梅はこちらに近づくと、困ったように自分を見つめてきた。その顔に自分も無意識に戸惑ってしまう。
「アヤ、その格好……まさか花魁道中を抜け出してきたの!?」
思わず体が動いてしまったのだから、仕方ない。しかし梅は少し怒ったように眉を吊り上げている。久しぶりの再会だというのに。
少し寂しい気もした。
「花魁道中は大切なお客様への土産の一部にもなるのに……それに最中に抜け出すなんて店の評判が悪くなっちゃうじゃない! アヤ、一体どうしちゃったの?」
「か、彼に会いたかったんだよ。昔、急にあたしの前から消えて……心配で」
そう言って隣に立つ梅の旦那を指すと、彼女はまた困ったように言った。
「彼? 浅葱さんのこと?」
アサギ。それが彼の名前だった。
梅の方が、あたしより彼のことを知っている。少し、胸騒ぎがした。
「あぁ。昔、ほんと色々お世話になってたんでね。仲も深かったんだよ」
皮肉っぽく言うと、流石の梅も怪訝そうに眉を寄せた。誰だって自分の旦那を取られたような言い方をされれば、気分を悪くする。
「ど、どういう意味なの? アサギさん、一体アヤとはどういう仲だったの?」
「ん? あぁ、ただの友人さ。何もやましいことなんてしてないよ」
嘘だ。毎晩、あたしと一緒にいたくせに。あたしの方が、あんたを分かってやれるのに。
「いや、夜の関係だったさ」
「おい、アヤさん!!」
慌てた彼の反応に、梅は少し悔しそうに言った。それに少し声が低くなっていた。気分がいい。
「アヤ……でもそれ私に言う必要あったの? 今、アサギさんは私の旦那で赤ちゃんだっているのに……どういう意図で?」
「いや? あたしはただウメ、あんたが本当に彼に相応しいのか試していただけだよ。これくらいで怒るなんて、まだ若いあんたに身請けは早すぎたんだよ」
「なっ……!」
梅は大きく息を吸ったが、何も言わず背を向けた。その代わり、浅葱が少し怒り気味に答えた。
「アヤさん、なんてこと言うんですか。ウメは子育てもきちんとやってくれる、素敵な俺の嫁だ。身請けが早すぎたなんて、そんなことない!」
あたしだって身請けされたら子育てだって、家の仕事はなんだってこなすさ。
ただあたしが言いたいのは、「なぜ自分ではなくウメを身請けしたのか」だけなのに。
「素敵な嫁……ね」
呆れたように呟くと、彼は「なんです?」と首を傾げた。
「昔。もう恋はしないと、あたしと約束したじゃないか。それに似たもの同士、埋め合おうって……あたしを抱いたじゃないか!!」
周りを歩く人など気にせず大声で言うと、背を向けていた梅が急に振り返った。
そして瞬きをする暇もなく、自分の左頬に鋭い痛みが走った。
「な……」
思わず震える手で頬を押さえる。ジンジンと頬の裏の血管が悲鳴を上げていた。
そして梅は、冷たく言い放った。
「他人の幸せにそう突っかからないで。アサギさんは私を選んだ。そしてあなたは選ばれず、それを引きずっている。それだけよ、アヤ」
自分の中で、何かが落ちる音がした。酷く、今の自分が恥ずかしい。今すぐこの場から逃げたい。せっかく、追いかけてきたけど。
何も言えない自分の横を、彼が通り過ぎる。そして目の前に、いかにもお似合いの夫婦と赤子の姿が映った。
「あたしは……あたしはこれからもずっと独りなのかい……?」
梅が答える。
「それはあなた次第よ」
「あたしも、誰かに『愛してる』って言ってもらいたい……」
また梅が答えた。
「そうね。いつか、気づけるといいわね」
気づくって、一体何に──
****
そしてその翌日。あたしは彼、浅葱を殺した。早朝、浅葱と梅の持つ旅館「あまねの湯」の前で刺した。
「アヤさん…………嘘ついて、ごめん、な」
そう最後に言われた時は、心臓が引き締まった。藤吉を殺した時とは、また別の感覚だったから。
殺したのに、満足できていない。なぜだか、悲しかった。
そしてその理由もわからぬまま。また何十年と、時は勝手に過ぎていった。
****
数年後。
「どうも、初めまして。昔ここの花魁をしていたウメの息子、ミヤビです。訳あって数日ここで働かせていただきます」
ある日。四季屋に「梅の息子」を名乗る子供がやってきた。しかし、梅の子供は菊という女の子、一人のはずだった。旦那の浅葱は殺したし、また新たに子供を作れるはずもなかった。
そしてまた新しい旦那でも梅は作ったのかと調べれば、そんなこともなかった。今も、「あまねの湯」を一人で盛り上げているという。
ならば、「ミヤビ」とは一体──
「あぁ、僕はウメさんとは血が繋がってません。拾われたんです」
勇気を出し声をかければ、そう冷たく事実を伝えられた。
拾った。あの八方美人なら、やりかねない。
またミヤビは、梅や菊、浅葱とも真逆の冷たい子供だった。めんどくさそうにしながらも、言われた仕事はきちんとやり、常に無表情で冷静。
それも、いと簡単に花魁を触れる環境の中で。
何だか藤吉を殺した後、浅葱が急に消えた後の自分に似ていた。生きる意味もわからなそうに、ただ目の前の仕事をこなす。そんな空っぽの。
だから声をかけた。
「今からあたしと一杯、酒でもどうだい?」
と。
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雅はどうやら女が嫌いで、煉獄の大切な存在である人間ですら嫌っていた。一体、何が好きなのやら。
「あんた客も取んないでよくやっていけるね」
部屋には二人。酒を飲みながら言えば、彼は何の感情もなく答えた。
「……どうも」
きっと彼は今、自分の好きなように生きていると勘違いをしている。今の自分の考えが正しいと、嫌いなものから逃げている。昔のあたしと同じだった。
でも今の、愛する人を殺したあたしなら分かる。
「でもいつか、世話することになるよ」
逃げたって、殺したって。特に得られたものはない。
ただ残るのは、自分が周りにいつの間にか作っていた壁。自分は愛されないと、決めつける壁。
彼には、そんな壁を作って欲しくない。自ら、嫌いなものに立ち向かって欲しい。
しばらくの沈黙の後。雅は言った。
「……なんでそう言えるんです?」
あたしは彼の言葉にうっすらと微笑み、手に頬を乗せた。可愛い子だ。まだ、愛を知らない。
「女の勘」
そう言えば雅は首を傾げ、黙った。あたしも特に話すこともなく、部屋はただ遊郭の音だけとなる。
そして彼には申し訳ないが、いつかあたしはウメを殺す。そう決めていた。
得られるものはないかもしれないが、やはり愛する人を二人も彼女に奪われた憎しみを、いつまでも味わいたくなかった。
そしていつか雅は自分の母親を殺した犯人はあたしだと気づく。そうなれば自分は復讐として彼に殺されるかもしれない。
今まで自分がしてきた復讐、人殺しを、今度は雅がやる時が来る。
「……ほんと、ミヤ。あんたはあたしによく似てるねぇ」
「え?」
「いや、何でもないよ」
時が来るまでは、こう幸せに。藤吉とよく似た目の雅とも仲良くしていたい。
そう思っていたけど、やっぱり自分は気の合う男に弱い。まさか、自分の憎き梅の息子を好きになってしまうなんて。
梅を殺せば、雅は犯人の自分を嫌う。
そんな決まっている恋の終わりに、あたしは進むしかなかった。新たに加わった「佐久夜」という人間を使って。




