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43 花魁道中



「これは、一人の可哀想な花魁と、なんでも手に入れる魔性の花魁の話さ」




 遊郭で最も美しい女の揃った「四季の屋」。


 私はそこで一番の花魁だった。一日で何人もの予約が入り、客を出迎えるため街を歩けば、ものすごい人数の人だかりができた。


 狐の耳のような髪形に、赤い派手な着物を何枚も何枚も。麗しい唇に大好きな簪。

 毎日がとてつもなく楽しく、残酷なほど退屈だった。


 でも彼、藤吉(とうきち)といるときは、人生で一番羽を伸ばせた気がする。



「アヤ。これからは僕と一緒に。ずっと共に人生を歩んでいってくれないか?」



 だから、彼にそう言われた時は思わず心臓が爆発するかと思った。



「トウキチ? あ、あんた本気かい?」


「僕はいつだって本気だ。ねぇ……アヤ。今までずっと、君がまだ客も取れないほどの頃から好きだった。花魁と客、もうそんな関係は卒業しない?」


「あ、あんたねぇ……」



 正直、私を買う寿命なんて、人間十人の人生があってもまだ足りないくらいだ。彼が払えるはずもない。



「寿命ならずっと貯めてきた分がある。払えるよ、アヤ」


「……」



 貯めてきた。つまり、ずっと昔からあたしなんかのために……



「トウキチ。あんた、あたしが思ってたよりずっといい男だったんだね」


「ははっ、アヤは(寿命)目当てか?」


「馬鹿いいな! 目の前にこんな金よりいい男がいるってのに。手放すわけにはいかないね」



 彼は少し目を丸くすると、言葉を理解し微笑んだ。



「僕も。こんな魅力的な君と出会えるなんて……絶対手放さない。約束だ」



こんな口説き文句も上手くなりやがって……初め会った時はそれはそれは緊張して、あたしに指一本すら触れられなかったのにね。


いい意味で、変わったんだろうね。



「そうと決まればトウキチ、早く婚礼の着物でも買っておくれ」


「えっ、それは流石に早すぎない?」


「あぁ……いや、待ちきれなくてね」



 それからは何ヶ月もかけて婚礼の準備をした。花魁の仲間たちに買われることを話せば、皆喜んで宴会だって開いた。同僚の琴も、今は亡き梅も。「よかった」と涙を流してくれた。


 今思えば、それがあたしの人生のピークだったかもしれない。でも、そんなピークもいつかは終わり。




 そう、それは婚礼の前日のこと。藤吉が、なんと私の部屋で土下座して泣いていたんだ。

 何があったのか聞いても、彼は謝るばかり。なんとか落ち着かせれば、藤吉は言った。



「好きな人が……できたんだ」



 驚いたし、いろんな感情が混ざり合った。怒りをぶつけようと口も開いた。でも、彼の苦しそうな顔を見れば、自分の視界がぼやけるだけだった。



「トウキチ。あんたはもう、あたしのこと、愛してないのかい……?」



 言ってほしかった。「愛している」と。「さっきのは嘘だった」と。



「僕は……君の友人のウメが好きなんだ。僕は、彼女を愛してる」



 梅。あぁ、ウメ。

 大切で、小さい頃からずっと仲の良かった、妹のような。


 でも、あたしはこの一瞬で彼女を大嫌いになった。自分と彼女の友情とは、これほどだったのかもしれない。




 婚約が破断され普段通りの生活に戻った時は、何も知らない梅の笑顔が憎かった。何度も泣きそうになった。自分は、彼女に何が劣っているというのか。



「アヤ。今日、トウキチさんと会ったの。少し前、アヤったら婚礼を中止したでしょ? ずっと心配だったんだけど、今日彼と話して……理由が分かったの」



 夜。仕事が終わって寝床へ向かう途中、梅がそんなことを言ってきた。



「トウキチさんったら、最低ね。私、告白されたけど平手打ちもつけて断ったわ! ……アヤ、あなたは何も悪くない。大人っぽくて、私なんかよりずっとずっと綺麗なんだから」



 思わず、両目から一気に涙が溢れた。まさか、憎かった彼女からそんなことを言われるなんて。自分が醜い。そう思った。


 だからお詫びとは言えないが、彼女のことはすっかり許してしまった。また仲良くなりたいと思った。


 でも、彼、藤吉だけは許さない。だから。





殺した。





 殺す時も、藤吉は「愛してる」と言ってくれなかった。ただ、化け物を見るかのような目で。

 傷ついたけど、彼の最期の瞳に映るのがあたしで良かったと思う。


 そして結局。藤吉の死因は病死として決まり、また変わらぬ花魁生活が始まった。



『素敵な顔だね』

『ずっと一緒にいたいよ』

『まだ身請けしてもらったことないの?』

『俺が貰おうか?』

『好きだよ』



 今まで通り、遊郭一の花魁としてやっていこうとも思った。でももう、あたしは客の言うこと全てが信じられなくなっていた。


 だから、色恋営業がどれほど辛かったことか。



「あの……そこの花魁さん、うずくまってどうしたんですか? もし良かったら、俺が使ってた部屋行きます?」



 酒に潰れていたある日。そう声をかけられて、妙に懐かしい気持ちになった。話し方が、昔の藤吉に似ていたんだ。



「さっきまでここの部屋に別の花魁さんが接待してくれてたんですけど……どうやら俺が怒らせちゃったみたいで……」



 面白い人だった。今まで好きになった人には裏切られ、ずっと一人きりだったとか。



「そうなんですよ。俺、自分の何がいけないんだろうって考えたんですけど、完璧すぎて……ってアヤさん!? 何笑ってるんですか! 俺は真剣に──」



 正直、好きだと思った。でも、また裏切られるのが怖い。



「俺、もう恋はしないって決めてるんです。たしか、アヤさんも一緒ですよね?」


「…………また、傷つくのが怖いんだよ」


「あぁ、分かります。逃げちゃいますよね」



 逃げる。そんなの惨めすぎた。



「……大丈夫。お互い似た者同士、少しでも埋め合えばいいんです」



 名前も知らない彼とは、一夜の関係だった。


 楽しくも良くもなかったし、自分はずっと泣いているばかりだった。でも、それに彼は優しく肩をさすってくれて、もっと彼という存在に引きずり込まれそうで怖かった。



「水、どうぞ」



 自分の部屋の窓辺。昔は藤吉が座っていた場所に、毎晩彼は腰をかける。



「アヤさんは、このままずっと花魁ですか?」


「あぁ、誰かがあたしを身請けするまでね」


「身請け……されたいですか?」



誰かにじゃない。あんたに、身請けされたい。



「……どっちでも」


「そうですか……でも自分のこと、大事にしてくださいね」


「あんたもね」




****




 次の日。彼はあたしの部屋に来なかった。勇逸の光が、消えたんだ。



「ねぇコト、今日誰か男が来なかったかい?」


「えぇ〜、男の人? 特徴は?」


「茶髪のふわふわした髪に、少し髭の生えた優しそうな人だよ」



 すると琴は、指を鳴らして笑顔で言った。



「あぁ! その人なら今日の朝にウメを身請けしたわよ!! 一目惚れしたんだって! 素敵よね〜」 



ウメを……身請け?



「い、一日で?」


「えぇ、男の人が言うには、『恋は今後しないと決めていたけど、彼女を見れば気持ちがぐらりと変わった』だそうよ」



 『俺、もう恋はしないって決めてるんです。たしか、アヤさんも一緒ですよね?』



 彼は、とんだ大嘘つきだった。




 それからというもの、あたしは毎日毎晩自分を殺して仕事をこなし、裏ではずっと彼と梅を探した。何年経ったかなんて、覚えちゃいない。


 そしてある日。あたしがたくさんの行列をつれ、一番の太客を迎えに花魁道中をしいていた時だ。


 懐かしい人影の横を、通り過ぎた。



『ほらキク〜、お父さんの髭ですよ〜』

『おい、ウメ! 髭なんて触らせたらキクも気持ち悪いだろうよ』

『ふふっ、でも私は好きよ』

『まったく……本当に魔性の女だな』



 彼は少し髪が伸び、茶髪の毛先は肩につきそうだった。眼鏡をつけているのは、目が悪くなったからだろうか。

 そして梅。赤ん坊なんて抱いて、なんて母親らしい。それでも、昔と変わらずの美しい笑顔。


 あたしがあんなに憎んだ顔が、そこにあった。


 思わず動かす足を止め、二人に近づこうと一歩踏み出したが、名前が。彼の名前が、出てこなかった。あたしは、知らなかったんだった。



「アヤ様? 進まないんですか?」



 後ろからは仕えの声。二人の影も、街ゆく人の中に消えていく。



だめ……行かないで。あたしを……あたしを置いていかないでくれ!!



「ちょっ! アヤ様!? 一体どちらへ……!!」



 重く高い花魁下駄を脱ぎ捨て、豪華な着物や飾りを引きずりながら走った。



「待って! ねぇ、待っておくれ!!」



 名前もわからず、「ねぇ」としか呼べないあたしは、彼にもう一度会ってもいいのだろうか。

 つまずきながら走っていると、やっと彼の背中が見えた。そして奇跡的に彼は一人、着物屋の前で立っていた。



「ねぇ……! そこのあんた!!」



 大声で叫ぶと、やっと彼はこちらを見てくれた。懐かしい瞳。

 思わず目が緩んだが、せっかくの化粧を汚すわけにもいかず、苦しそうな笑顔をしてしまった。



「あ、アヤさん……!? ここで一体何してるんですか!?」



 変わらずの敬語。胸が弾けそうだ。



「あっあたし、あんたに会いたくて……その……お、追いかけてきたんだよ! ずっと! 何年も!!」


「会いたくて……」



 彼は少し困ったような顔をしたが、すぐ微笑んでくれた。そして、そっと一枚崩れかけた着物を直してくれた。



「着物も飾りも、とても似合ってますよ。やっぱり、アヤさんは赤が似合いますね」


「あ……ありがとうね」



 耳に火がついたような感覚がした。それにどうしても目線を彼に向けられないのは、想定外だった。



「アヤさんは、あれから幸せになれました? 運命の人、とか」


「え……?」


「ほら。俺だけ結婚したでしょ? アヤさんは? 素敵な相手、見つけられました?」



 見つけていたら、彼なんて追いかけちゃいない。今、花魁道中なんてしていない。今頃、身請けされて子供も生まれてる。



「あ、あたしは──」


「えっ、アヤ!?」



 話をさえぎり、ついに着物屋から彼女が出てきた。

 梅。憎き、彼女だ。あたしの愛した男、どちらも奪った。


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