3 初めて楽しいと思えた風呂掃除
玉ノ屋に寄った日から、僕は佐久夜を避けるのをやめた。
特に理由はなく、ただめんどくさくなっただけ。そんな僕に相変わらず菊は呆れてるし、梅さんも笑ってる。
まぁ、めんどくさがり屋なのは自分がよく分かってるし。
朝起きて台所へ行くと、毎朝菊と梅さんが客の食事を作っている。最近は佐久夜も食事の配膳を手伝うようになった。
そして、僕の仕事は客の話し相手だ。
顔が広ければ、いざとなった時に役に立つかもしれないでしょ。
ほんの少しでも、家族の役に立てればいい。
「おぉーい! ミヤー!!」
食堂でうろうろしていると、端に座る大柄な男に声をかけられた。それに僕は黙って男の方へ歩き、静かに向かいに座る。
「またお呼びで? 大天狗」
目が合うと、男、大天狗はワハハと笑い出した。それに背中の黒く大きな羽が揺れる。天狗はなんにでもよく笑うのだ。
大天狗は天狗族のボス、みたいなもので、僕も幼い頃からそんな優しくお節介な性格にお世話になっていた。
だけどそんな僕は密かに、いつか大天狗が笑いすぎて顎が外れないか楽しみにしている。大天狗のことは嫌いじゃないけど、少しめんどくさい。
その理由は、毎回出会った時に言うお決まりのセリフだ。
「ところでミヤ。俺の娘と結婚するつもりは」
「ない」
大天狗の言葉を遮り、真顔で返す。しばらくの沈黙が流れたが、諦めずまた大天狗は口を開いた。
「いや、そうは言わずに」
「だからない」
そう。大天狗の勇逸の娘は、僕にかなり惚れているらしく、娘思いな大天狗は毎回僕にしつこく彼女との婚約を聞いてくるのだ。
「ミヤ〜、お前もいい歳じゃないかぁ」
大天狗は机にだらんと寄りかかり、悲しそうに呟いた。僕は表情を変えず、ただ眠そうに首を振る。
「話がそれだけなら、もう他のお客さんのところ行ってきていい?」
立ち上がろうとすると、大天狗は慌てて僕の肩を掴む。相変わらず力が強い。
「あぁ、そうだ! お前、ニンゲンの世話をしてるんだってな?」
「あ〜……まぁ」
曖昧に返事をすると、大天狗は不思議そうに首を傾げた。
「ニンゲン嫌いのお前が客を取るなんてなぁ、びっくりだ」
「でも別に本望じゃないよ」
「ふ〜ん? 本当にそうか〜?」
大天狗はなぜか少し嬉しそうに顎を撫でる。僕は何も言わず大天狗を見ていたが、しばらくして口を開いた。
「でも……僕はそのニンゲンに世話なんて何もしてな──」
「俺の話か?」
しかし。突然やって来た佐久夜によって、話はさえぎられた。それに思わず大天狗は佐久夜を見ると、「おぉ!」と感嘆の声を上げた。
「お前が噂のミヤの客、ニンゲンか!?」
「あ、はい。佐久夜と言います!」
そう言い、佐久夜はとびきりの笑顔を見せる。そんな彼を大天狗は気に入ったのか、そのまま二人で仲良く話し始めてしまった。
今考えれば、二人の呑気さはとびきり似ている。
「じゃあ、僕は別のお客さんの相手してくるね」
「おうよ! でもなんかすまん。サクヤを取ったな」
別にサクヤは僕のじゃないんだけど。
「雅、大天狗さんと話終わったらまたあとで合流しような」
「……うん」
大天狗から離れられて安心したが、なんだか胸に何か詰まっている感覚がする。
サクヤの世話……ね。
本当に、しなくていいのだろうか。強く、自分の中では「しない」って。決めてたはずなんだけどな。
****
昼すぎ。客の昼食も終わり、風呂掃除に行こうと着物の裾を縛っていると、佐久夜が話しかけてきた。
「雅、俺も風呂掃除手伝っていいか?」
顔を見上げると、やはりそこには焦げ茶色の目が笑って立っていた。体のアザはもうほぼ消えかけている。
力仕事ができる体調は、整っているみたいだ。
「……」
僕は目だけ上を見上げ、今まで一人でやってきた仕事内容を思い返した。
きっとあの大きく広い風呂を掃除するには、毎回一刻(二時間)ほどかかる。なら、二人でやれば早く終わるだろうか。
僕は、近くの柱にかけてあった雑巾をサッと佐久夜に投げた。
「ついてきて」
「…………今日は機嫌がいいんだな!」
「別に」
あまねの湯の浴場はとて広く、天井も高い。そのため床や壁の掃除は妖怪の垢嘗たちに任せ、僕たちは湯を張り、脱衣所の掃除をする。
しかし湯を入れる時は、温度を確認しながら自分たちで火を起こさなければならない。
大きなかまどの前まで来ると、佐久夜はまるで初めて動物を見たように声を上げた。
「こ、これに火をつけるのか!?」
普通の人間なら、こんな大きなかまどに火を起こすなんて不可能だ。しかし僕たちは煉獄に住む者。
「ちょっとサクヤ、そこ邪魔」
かまどに向かい、親指と人差し指で円の形を作り、そこの円の穴に向かって優しく息を吹きかける。するとかまどにはみるみる火が広がっていき、バチバチと激しく燃え始めた。
「なっ、魔法!?」
佐久夜は思わず初めて見る術に感嘆の声を上げた。
あ、そっか。サクヤは人間だし術とか見たことないんだ。
でも今更説明とかめんどくさしな……
「雅! お前、こんな特技があったのか!?」
「いや、こんなの煉獄では基本中の基本。というかうるさいから黙って」
呆れながら脱衣所へと足を向ける。その間も佐久夜は興味津々に質問してきたが、全部無視した。
煉獄に住む者は、必ず術を使うことができる。しかしそれは自分たちの客、人間を守るためにあるもであって、お互いが戦うためにあるわけではない、はず。
僕はまともに術の練習をしてこなかったが、自分でも言えるなかなかの腕前だ。
術は自分の手に力を込め、静かに放つ。そして攻撃するときに使う術は、何か術名が必要になる。
「なぁ雅、術が使えるなら掃除もパパッと終わるんじゃ……」
そう言った佐久夜は僕の険しい顔を見ると、ゆっくり口を閉ざした。思わずそっぽを向いて言う。
「そんな体力あるわけないじゃん。僕まだ七十五年だよ?」
そう言うと、佐久夜は「七十五年?」と目を丸くした。僕はそれに「あー」と言って付け加える。
「煉獄の者は人間より何倍も長生きするんだよ」
僕はしゃがみ込み、水の入った樽に雑巾を浸けた。佐久夜も少し考えるそぶりをすると、自分と同じように雑巾を樽の中へ入れてくる。
樽の水は意外とぬるくて、気持ちがいい。
「つまり、雅は人間界でいう何歳なんだ?」
「えーと、五年で一歳程度だから……十五歳かな」
「俺と同い年だ!」
佐久夜はそう言ってニコッと焦げ茶色の目を細める。しかし僕は思い切り顔を歪ませてみせた。
「うわ、最悪。頭からして、絶対僕の方が年上だと思ってた」
しかしその瞬間。自分の頬に手のひらが振られた。
──パンッ
「痛っ!?」
「はははっ!! 七十五歳のおじいちゃんだから避けれなかったな!」
自分が慌てて頬を押さえるのを、佐久夜は隣でケラケラと笑った。
なんなのこいつ……!
僕は勢いよく立ち上がり、斜め上から佐久夜を見下した。そして、思い切り足に蹴りをつけた。それに佐久夜は見事に転ぶ。
「いっ! こ、腰が……」
「ふっ」
鼻で笑うと、佐久夜はまたキッと眉を吊り上げ立ち上がった。次の攻撃が来る、と身構えたが、来たのはまさかの言葉だった。
「おい、俺のこの整った顔に傷がついたらどうするんだ!」
…………え、は?
一瞬何かの冗談かと佐久夜見つめたが、佐久夜はただただ真剣に怒っている。しばらくの沈黙の後、僕は引き気味に呟いた。
「え、はぁ〜? サクヤってそういう性格なの?」
「おい。そういう性格とはなんだ、そういうとは」
佐久夜は腕を組み、怒ったように眉をぴくぴく動かす。これはあれだ、ほら、人間界でいう。
「あ、分かった。ナルシストだ!」
僕の言葉に、脱衣所にはもう一度パンッと大きな音が響いた。そして佐久夜の怒った声も。
「合ってるけど……なんかムカつくな」
「え、何それ。ひど」
佐久夜はまた手を振ろうとしたが、今度は上手くかわせた。鏡に映る僕の頬は、いつの間にかほんのり桃色に染まっている。
「あー、結構腫れてきてる」
「えっ……」
佐久夜はそれを見ると、少しやりすぎたと振り上げた腕を下ろした。
今思えば、佐久夜とこんなに長く会話をしたのは初めてだった。これまでずっと避けていたし、話そうともしなかった。
でも今、喧嘩(かなり小さいが)をするまでにも距離が縮まってきている。
僕うはチラッと佐久夜を見た。いつもの馬鹿そうな顔によく笑う口。もしかしたら、こいつは自分が思うよりいいやつかもしれない。
そんなことを考えていると、急に頬に何か冷たいものが当たった。
「つ、冷たっ!?」
びっくりして頬に目をやると、それは濡れた雑巾だった。目の前には申し訳なそうな顔をした佐久夜もいる。
「……な、何」
「頬。叩きすぎたかと思って……ごめんな」
一瞬、喉の奥が心臓からヒュッと引き締まった気がした。
ニンゲンって、こんなこと言うっけ?
しばらく無言の時間が流れた。しかし、僕は真顔で言ってやった。
「こんなの、術で治せるんだけど」
すると佐久夜は顔を真っ赤に染めて怒鳴った。頬に当ててあった雑巾もボタッと床に落ちる。
「なっ、はぁ!? じゃあ最初から心配をかけるな!!!」
そう言ってまた脱衣所にはパンッと大きな音が響いた。
術で治せるっていっても、痛いものは痛いんだけど……
僕はほんの少し、今この瞬間が楽しいと感じた。
雅:人間嫌いな少年(主人公)
佐久夜:雅が初めて世話する人間
菊:雅と共にあまねの湯で働く少女
梅:菊の母親、あまねの湯の支配人
大天狗:あまねの常連客。天狗。
よかったらブックマーク、下の評価よろしくお願いします!
していただいたらもっと煉獄が盛り上がります。
2024:12:3 まで(休日は除く)一日、朝昼晩の3回に分けて投稿する予定です。
あまねの湯で皆様をお待ちしています。