36 閻魔と青藍、呪いの目
青藍。
三途の川で漂っていた彼女を救ったのは、煉獄の王でもある閻魔大王だった。
「俺と夫婦になってくれないか」
「は……?」
私は元々妖怪であり、永遠に三途の川に漂う醜いモノだと思っていた。でも彼にそう言われ、婚礼をあげてから、まるで天地がひっくり返った。
煉獄という楽園は、今までの生活とは異なっていたから。
「私など……」
初めの頃は、そればかり口にしていた気がする。
理由もわからないまま偉大な閻魔大王の妻になり、人々の頂点に立たされて。けれども閻魔様は、無駄な心配をするなと、いつも王らしく。男らしかった。
「俺の妻になったとは、俺の次に偉いということだ。誇りに思え」
きつい言い方だったけれど、私にはよく響いた。
数ヶ月経った頃。私はやっとのことで煉獄での生活に慣れてきた。そして閻魔大王の妻という立場にも。
「今日の夕飯は……何か不思議な味がするな」
初めての手料理。気に入ってもらえるか不安な心で、向かい合っていたのを覚えている。
「わ、私が作りました」
「ふん…………悪くない」
その一言ががどれほど嬉しかったことか、閻魔様には分からないでしょう。
料理を食べてもらったのも、褒められたのも。全てが初めてで。
「青藍」
名前を与えてくださった時だって。
「せ、せい?」
「だから、青藍。今日からお前の名前だ。美しく、お前によく似合ってる」
──青藍。何度も心の中でつぶやきました。
もっと気持ちをたしかめてみたい。そう思うのも自然で。
「青藍を妻に選んだ理由?」
「は、はい。もう夫婦となって、半年も経ったでしょう? 少しくらい閻魔様のことも知りたいんです」
少し黙った後。
「初めは女など、これっぽっちも興味がなかった。だが三途の川に立ち寄った際、青藍。お前の姿が見えたんだ」
そっと自分の頬に手が添えられる。両者の体温は高い。
「さ、三途の川にいた時なんて。醜くてお恥ずかしいです……」
「醜い? そんなこと一度も思ったことがない。ほら、今夜は共に寝るのだろう?」
興味、憧れ、好意、恋へと。仲も深まった頃、一度だけ不安になったこともありました。
閻魔様は仕事中でしたが、どうしても話したいことがあり、部屋の前まで来た時です。中から手下の小鬼と、閻魔様の話し声を聞いてしまいました。
『で。何が言いたい?』
『お、恐れながら閻魔様。そろそろ二人目の側室(妻)を迎えてはどうです?』
ふ、二人目……
『なぜいきなり』
『半年を過ぎたのに、まだ子ができず心配で』
子。まさか、閻魔様はそれが目的で──
『俺は青藍しか求めない。子など、何千年先だっていい』
『な、なんですと!?』
驚いた。思わず声を上げてしまうほど。
「青藍、そこにいるのだろう?」
次顔を上げれば、目の前には貴方がいました。
「変な会話を聞かせてしまったな。どうだ、少し話そうか」
二人で話す時は、必ず決まった部屋ででした。閻魔様は手をついて無造作に座り、私はその横に静かに座りました。
そして思わず、自分から口を開いて。
「二人目、作られても構いませんよ」
「は……?」
「だって、私なんかが閻魔様の子を産めるわけないですし」
正直、これからの未来が怖くなった。子を産まない妻など、用無しになるのではないかと。
「青藍。いい加減にしろ」
しかし閻魔様は私の肩を掴み、強い眼差しで言いました。
「俺はお前を好いているから共にいるんだ。いつまでそうやって弱音を吐く? いい加減、自信を持てと言っているんだ」
「え、閻魔様……」
「それとも、お前を想っているのは俺だけなのか?」
それはない。思わず声を上げました。
「なら今夜。来てくれるな?」
「は、はい! もちろんでございます!!」
その時の閻魔様の笑顔。私は愛されているんだと、とても胸が暖かくなりました。
****
『閻魔様! 青藍様がついに第一子をお産みになりました!!』
『なんっと可愛らしい灰白色の髪の女の子にございましょう……』
『右目は真っ赤な赤色! 閻魔様の血がよく入っていらっしゃる』
多くの祝宴の中、閻魔様は真っ先に駆け寄ってきてくれて。
抱きしめられると、じんわり体が暖かくなりました。そして、待ち望んでいた声。
「青藍、よく頑張ったな」
「いえ……お役に立てればこのくらい、痛くも痒くもありませんよ」
「ふっ。本当に頼もしい女だな、青藍」
あなたの笑顔。さっきのあんな痛みも、全て吹き飛ばすほどの。
「名前はもう決めてるか?」
「いえ。ぜひ閻魔様がお決めくださいな」
「ではお前のように、痛みや厳しい立場の中で、これからの困難に耐え忍ぶと考え、『忍』はどうだ?」
──シノブ。私と閻魔様の初めての子。
「はははっ。おい、一体なぜ泣くんだ? まだ腹が痛むのか?」
「いえ、ち、違います。嬉し涙でございます……こんなにも幸せで、私はなんと恵まれて……」
「なんだ。そんなことで泣いていたら、いつかシノブが立ち上がっただけで泣きそうだな?」
「そ、そんな想像しただけで泣けてきます……!」
「それは重症だな」と閻魔様は笑うと、シノブを抱き抱えながらまたこちらにやってきた。片手で手を握られると、また心臓が音を立て始める。
「シノブ。これからはしっかり母上の背中を見て、立派な姫になるんだぞ」
閻魔様の言葉が通じたのか、シノブは弱々しい手で私の指を握ってくれた。子供の体温とは、想像以上に温かい。
「まぁ、シノブはもう言葉がわかるのかしら」
「これは将来が楽しみだな」
「えぇ」
しばらくお互いじっくり忍の顔を可愛がると、ふと目が合った。もう、怖くない。
「将来といえば青藍、そろそろ閻魔様というのやめないか?」
「……と、申しますと?」
「ぜひお前には、『閻』と呼んで欲しい。駄目か?」
そんなのもう。
「もちろんです」
これから生涯、あなたと共に暮らすんだから。それに。愛するシノブも一緒。
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「母上!! 私、今日ね! 師(先生)に褒められたの!」
「あら、シノブは流石ね」
あれから人間界でいう十年の月日が流れた。忍はどんどん綺麗に育ち、右目も赤色が増してきた。
「父上は? また仕事?」
「えぇ、でも今夜は早めに帰ってくるらしいわよ」
「本当!? じゃあ、今夜の夕飯は私が作るね!」
忍はたまに自分と料理をする。術を使えばすぐ作れるが、どうしても忍は自分の手で作りたいらしい。
しかし今日はあいにく自分も用事があり、時間を取ることができなかった。
「ごめんなさい、シノブ。今日は師と一緒に作ってくれない?」
「え、でも師は学業専門じゃないの?」
「女ですから、きっと料理も作れるわ。お願いしてらっしゃい」
忍は納得していない様子だったが、小さく頷いてくれた。
師や世話係など、たくさんの人の助けがあるおかげで、忍の教育もかなり順調だ。
しかし。今日それが全て壊れるなど、誰が想像できていただろうか。
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戌の刻(午後九時)あたり。
「青藍様〜!! 青藍様〜!!」
それは側仕えたちとお茶会をしていた時。
奥の廊下から数人の閻魔様の手下たちがやってきたのだ。それもよくない顔色を浮かべて。
「あら、どうしたのそんなに慌てて。何かあったの?」
「そ、それが!! シノブ様が……」
──師を殺した。
一瞬で血の気が引いたあの感覚。伝えられた後の記憶ですら曖昧になるほど、脳裏にこびりついて離れない。
「シノブ……!!」
急いで忍がいるという部屋に入ると、そこには震えてうずくまっている忍の姿があった。思わず冷や汗が流れる。
まさか、本当に殺したの……?
駆け寄ると、忍の顔に異変を感じた。あの左目から、真っ赤な血が流れていたのだ。
「シノブ!? そ、その目はどうしたの!?」
「は、母上……私はこの目で、師を殺してしまったんです。私の……この『呪いの目』のせいで」
呪いの目。それは千年に一度程度で、誰かに与えられる。
そっとしていればただの美しい真っ赤な瞳だが、「術名」を叫んでしまうと。
凶器へと一変する。
その力とは、術を放った相手の全てを見透かせるようになり、命すらも握ってしまう残酷な呪い。
力加減も知らない子供が、そんな術を操ることなどできなかったのだ。
「シノブ……でもあなたは、わざと殺そうとしていたわけではないんでしょう?」
「そ、そんな! もちろん!! 大好きな師を殺そうなんて……そんなこと考えたこともありません!」
「分かったわ。本人の口からそれが聞けたなら十分よ」
後は母親に任せなさい、そう言って背中をさすると、ほんの少し忍の表情が和らいだ。まずは、閻魔様に伝えなければ。
私はとにかく、彼の部屋へと足を走らせたのだった。




