32 幸せの保証に騙される
“世話係が条を破り、ニンゲンを地獄、または天国にいかわせなかった場合、世話係は閻魔大王が直々に処分する。“
おにぎりを全て食べ終わると、佐久夜も泣き止んだ。
僕たちは立ち上がり、そっと顔を覗き込む。
「行ける? 立てる?」
「馬鹿、そんなに心配しなくていい」
今日の佐久夜は、体中の水分が全てなくなるほど泣いていた。本来ならば、人間は煉獄で極楽を味わうはずなのに、佐久夜は全く楽しめていなかっただろう。
それもきっと、僕のせいで。
だからせめて。
「もう、泣かせたくないんだよ」
そう言うと、佐久夜は安心したように笑った。
「ほんと。昔より驚くほど優しくなったな」
「サクヤのおかげだよ」
「はは、それは嬉しいな」
川辺を離れ歩き出すと、僕たちはまた無言になった。歩いてる途中、道の先に獄城が見えてきたから。
実は、地獄や天国の入り口は獄城から始まる。
横から見る佐久夜の顔は、さっきとは別人のように覚悟を決めていた。
僕は、なぜかそんな表情に自分の心が揺らぐのが分かった。このまま終わりたくないと思ってるのは、自分だけのような気がしたんだ。
だって、このままじゃ僕はサクヤを傷つけたままだ。本人は自分が犯人だと思ってるし、僕はサクヤの過去を知らないがためにひどいことを言ってきた。
それなのに。
それなのに僕は自らサクヤを地獄に連れていく。サクヤは何も悪いことなんてしてないのに。
「サクヤ!」
開き始めた距離から、僕は叫んだ。ちょうど真っ赤な橋の中心で、僕たちは立ち止まる。
「このまま進めば、先に獄城の入り口。地獄が待ってる」
「あぁ、それがどうした?」
佐久夜はきょとんとした顔で振り返った。これから地獄に堕ちるというのに。
「どうしたって……この先は地獄なんだよ? 行きたくないとかいう感情はないの?」
それに佐久夜はうーん、と目を斜めに向けたが。
「もうない……かな」
返ってきた言葉は表情と変わらない。
もうない? それってどういう……
「さっきまでは少し不安だった。でも雅と歩いてたら、もうどうでも良くなったな」
佐久夜は嬉しそうに微笑む。
信じられない。
きっとまだ地獄の恐ろしさを知らないからこんなこと言えるんだ。
「地獄は怖いし、なにより辛いんだよ? そんな軽く見てたら──」
佐久夜は少し笑いながら僕をさえぎる。
「なんだ。まるで俺に『行きたくない』って言わせたいように聞こえるな」
「あ……」
そうだった。
必ずサクヤを地獄に送るのが、僕の仕事なのに。
黙ると、佐久夜は少し切なそうに言った。きっと僕の気持ちを読んだんだろう。
「俺のことは気にするな。地獄に行っても、元気でやるから」
「……簡単に言っちゃダメだよ」
なんでこんなにも上手くいかないんだ。ここで引き止めたって、お互い苦しくなるだけなのに。
僕は、ただ……
ただ、なんだろう。
「雅、進まないのか?」
「えっ、あぁ」
心配そうな顔で言われてしまった。でも、それでも僕の足は動かない。
「雅……?」
「い、」
行かせたくない。
ふと、考えてしまった。もし。このまま二人で逃げれたら。
犯人も探しつつ、仕事は二人で協力する。風呂掃除の時はまた転んで笑い、争っていたい。
でもそんなことをすれば、僕は閻魔大王に罰せられる。そして、サクヤも結局は地獄に送られる。
でも、それだけ佐久夜との四九日は楽しかったんだ。
「サクヤ」
「ん?」
言ってみるくらい、いいよね。
「僕と、逃げない……?」
返事の代わりに、佐久夜の手がぴくりと反応した。僕たちが幸せになるには、きっとこの方法しかないんだ。
「閻魔大王にバレないよう、煉獄で二人で生きようよ」
「……な、何言って」
佐久夜は僕の言葉を冗談のように笑い飛ばそうとした。でも、僕は構わず話を続ける。
「ここは僕たちが生きていくには楽園かもしれないし、時には地獄になるかもしれない」
僕は無意識に着物の上から自分の心臓を強く握りつぶした。
「でも、約束する。今から行く地獄よりも、絶対サクヤを楽しませる。人間界で感じられなかった安心感も幸せも、全部僕が叶えてみせるから」
「……」
佐久夜の瞳が震えたと思えば、勢いよく背を向けられた。それでも僕は少し目を細め、話し続ける。
「煉獄の決まりを破った僕がいつか見つかれば、必ず処分される。そうなったらサクヤはまた一人になるかもしれない。でもその代わり、サクヤの幸せは保証するように頼むから」
「……っ!」
佐久夜はその言葉にグッと拳を振るわせた。怒っているのか、悲しいのか。
サクヤはやっと自分でも口を開いた。
「み、雅がそこまで俺を思ってくれる理由がないじゃないか」
……焦ってるぽいな。
僕は一度息を吸い込み、切なそうに声を絞り出す。
「感謝の気持ちに重さとか軽さとか。理由なんていらないよ」
目の前で、ハッと息を飲む音が聞こえた。僕も思わず微笑んで、橋の中心へと足を動かす。
「教えて。サクヤはどうしたい? 僕と一緒は、嫌?」
佐久夜は少し先で首を横にふる。それはどこか、嫌がっているようにも見えた。
「救うって約束してくれた人は、結局本当には救ってくれなかった……花火も母さんも。昔は優しかった父さん、先生だって」
「でも僕は誓うよ。絶対にサクヤを地獄行きから救ってみせる」
近づく後ろ姿は、僕の言葉に傷ついたように震えだす。また傷つくというより、聞きたくないように。
「そ、そんなことできない! 口先だけだ……本当は俺を心から愛している人なんて、助けたいと思った人なんていなかったんだ」
佐久夜は片手で前髪を強く押さえ込んだ。嫌がってでも、今は聞いてもらわないと困る。
僕はもう彼の間近に歩み寄っていた。
「サクヤ信じて。僕はこれまでサクヤにいろんなことを助けてもらった。だから、それを返したいだけだよ」
「で、でも俺だって……これ以上周りに迷惑をかけたくないんだ」
「うん、だけどさ」
僕は思わずそっと手を伸ばす。そして、震えている背中を優しく抱きしめてみせた。
「迷惑かけること、かけられること。それが本当の愛してるじゃない?」
「あ……」
ポツリとつぶやいた声に、優しく答える。
「ねぇサクヤ、本当の気持ちを教えて。僕がなんでも望み通りにしてみせる」
「おれ、は」
サクヤは顔を苦しそうに歪める。どんな答えになっても、僕はそれを認める。だってそれが、「世話係」なんだから。
……言って。
瞑っていたまぶたを震わせながら、佐久夜は目を開いた。
「ど……どこでもいい、どんな場所でもいい。だ、だから」
そう、言うんだよ。
僕は頷く。そして、佐久夜は叫ぶような勢いで吐き捨てた。
「独りは、嫌だ……!!」
そう彼の瞳から涙が落ちる前に、僕は素早く佐久夜の目を片手で覆う。
『藤眠り』
術をささやくと、僕の腕の中で一人の罪人は崩れ落ちた。これで、ニンゲンを助けてしまった僕も。
罪人なんだ。




