31 しょっぱい
その後は一旦、僕たちはあまねの湯に帰った。
佐久夜は自分の部屋から持っていくものは何もないと言い、ただ最後のおにぎりを僕に作ってくれた。
僕も作ったけど、引きつった笑顔で受け取られた。
本当はまだ地獄に向かう時間じゃ無かったけど、佐久夜はもう早めに出ると言ってきた。
僕はただ頷いて、菊や大天狗に見送られながら玄関を出て行く。
「本当に手ぶらでいいの?」
「あぁ、地獄に持って行っても燃やされるだけだろ」
佐久夜の目はまだ少し腫れている。
薬くらい、塗ってあげたのに。
歩く中、僕と佐久夜は他愛もない話をした。
「それで……──で、」
「あ、ごめん。その話、もう一回言ってくれない?」
でもまだ僕は心がふわふわしたままで、何度も佐久夜に話を聞き返した。そんな僕に、佐久夜は心配そうに首を傾げる。
「お前……なんか変だな。やっぱり俺のせいか?」
「ううん、サクヤのせいじゃないよ」
いつもより少し微笑んで言うと、佐久夜は笑ってくれた。
「そうか……なら、良かった」
そうは言ったものの、佐久夜は急に名残惜しそうな顔をした。僕も、それに何も言えなくなる。
やっぱり……サクヤも変だな。
「油断してたんだ」
ポツリと佐久夜は呟いた。その言葉に思わず顔を上げる。なんで反応したかは、自分でも分からない。
「何が」と聞くと、佐久夜は表情を崩さず、そのまま口を動かした。
「煉獄を離れる日が来ること……お前とは、もう話せない日が来ること。あと、地獄に堕ちること」
佐久夜は、この先が地獄だと分かって歩いてる。どんな気持ちなのだろう。悲しいとか、怖いとか。
そんなのもう慣れっこだろうか。
そう思うと、可哀想になってくる。でも可哀想なんて、サクヤはきっと言われたくも思われたくもないだろう。
「そ、そっか」
正直、返答に困った。僕もそう思ったとか、励ましの言葉をかけるとか、何を言っても終わりを感じてしまう。
「雅、ちょっと変な話してもいいか?」
「……サクヤの話すことは、全部変だよ」
「ふっ、じゃあ遠慮なく話させてもらうな」
咳払いをすると、彼は僕を見て微笑んだ。それに勝手に空気が和むのを感じた。
「俺、最初はお前が嫌いだった」
「…………え?」
感動的な話でもされるかと思った。
こんな時に喧嘩でもする気なの? サクヤは。
「この世界、煉獄に初めてきた時。俺はここでも猫を被って、迷惑をかけないよう過ごそうって思ってたんだ」
「そ、そうなんだ」
どうりで遊ばず、仕事の手伝いをしてくれてたわけだ。
今思えばずっと猫を被ってたんだなぁ。
「でもお前と会って初めて、堪忍袋の緒が切れそうになった」
たしかに僕は、よく人を怒らせるのが上手いと言われる。言葉足らずだからかな。
「こっちが一生懸命仲良くしようとしてやってるのに、お前は逃げて暴言を吐くだけだったからな」
怒ったような口調で言っていたが、顔は嬉しそうだ。それに、僕もふざけて対抗する。
「仕方ないよ。僕はニンゲンが嫌いだもん」
「……じゃあ、今は?」
そんな問いに。無意識に、黙ってしまった。
もし、世話するニンゲンがサクヤじゃなかったら。
そんなの、考えたくもない。
「サクヤは……いい。でもその他はゴミ」
「ご、ゴミ!? それは言いすぎだろ」
「前まではゴミにすらなれてなかったよ? 少しは……好きになれたし」
少し耳がむず痒くなった。正直に好きだと言うのは慣れない。
「ならよかった。これからは、お前も世話ができるみたいだな」
「え……これから?」
思わず自分から変な顔になる。佐久夜はそんな僕を見て、呆れたようにため息をついた。
「じゃあ、俺がいなくなった後。お前はどうするんだ?」
「うーん……普通に犯人を探すよ」
佐久夜は静かに目を見開く。そしてしばらく何か考えると、眉を下げた。それは申し訳なさそうに。
「探してもきっと見つからないぞ。だって、俺が犯人だからな、多分」
そんなこと言われたって。僕は最後の「多分」を聞き逃さない。
「あのねぇサクヤ。僕だって、いい加減怒るよ?」
「え?」
立ち止まり、ギロっと佐久夜を睨む。
「サクヤは絶対に犯人じゃない。証拠はサクヤのその性格と、サクヤの過去だよ」
「……あんな俺の過去が?」
「うん。殺人のトラウマがあるサクヤが、人を殺せるはずないでしょ」
それに、それはそうかもしれないけど……と、佐久夜は困ったように首を傾げた。
今は納得できなくても、僕がいつかそう証明するから。
だから、安心していてほしい。
「ほら、進も」
僕たちは、またゆっくり道を歩きなおした。
「あっ」
すると、佐久夜はまた立ち止まった。何かを思い出したのだろうか。
「玉ノ屋の琴さんに挨拶し忘れたな」
「あぁ、いいよ。僕が言っておくから」
「そうか……? あまり会えてないけど、琴さんにはお世話になったからな」
上を見上げ、懐かしそうに言った。
たしかに、僕も初めてきちんとサクヤと話したのは、玉ノ屋だったかも。
少し、思い出深い場所ではある。
それから数回思い出話をすると、サクヤの首から汗が流れているのに気づいた。
結構歩いたしな。ちょうどいいかも。
「ねぇ、サクヤ。一回あそこで休憩しない?」
「あそこ……?」
ここは桜の木のある川辺で、前に佐久夜と来たことがある。あの時は、まだお互いあまり仲が良くなかった。
「懐かしいなぁ。始めは、ここでおにぎりも食べたよな」
僕たちは川辺に座り、煉獄特有のそよ風に当たった。前来た時と変わらず、煉獄の桜は咲き続けている。
永遠の四季。あの時は気づけなかったが、佐久夜はきっともう見れないと思っていた桜に、どれほど感動を覚えていただろうか。
最期も、「もう当たり前の季節はもう見れないのか」となげいていたはず。煉獄で少しでも願いを叶えられれば、世話係としてとても嬉しい。
「はい」
僕は片手で佐久夜におにぎりを渡した。少し塩を抜いてみたが、どうだろうか。
「ありがとう」
僕も、佐久夜のおにぎりを口にした。
……やっぱり美味しい。
僕は今まで塩おにぎりしか食べたことがなかったけど、つい最近梅干しを入れると美味しいことに気づいた。
だから今日作った佐久夜へのおにぎりには、梅干しが入っている。
まだ形は変だけど、塩は結構抜いたし。
しょっぱくないはず。
「どう? 僕が作ったんだけど」
「……」
僕の質問に、佐久夜はなぜか答えてくれなかった。横目から見える口元は、しっかり動いてるのに。
なんで何も言わないんだろう……予想以上の味の悪さに声が出ないとか?
僕は前を向きつつ、もう一度話しかけてみる。
「あのさ……美味しくなかったら、ちゃんと言ってよ?」
それでも佐久夜の返事はない。ただ無言で口を動かしている。それに横目だからか、それは頷いているようにも見えた。
「ほんと、無理して食べなくてもいいんだよ?」
「……」
やはり返事はない。僕はつい、横に目を向けた。
「サクヤ?」
その時見えた表情。僕は初めて、真正面で見た。
「な……なんで泣いて……」
佐久夜はおにぎりを口に頬張りながら、大粒の涙を流していた。それもまるで涙がないかのように食べていて、口を開けると米と一緒に涙も口に入っていく。
佐久夜は僕と目が合うと、無理をしたように微笑んだ。
「しょっぱいな」
なんとも言えない思いが込み上げてくる。胸が、苦しい。
サクヤは……このまま本当に地獄に堕ちていいのかな。
駄目だよね、絶対駄目なのに。
「ごめんサクヤ……塩辛いのは、多分僕のせいだよね。……ごめん」
思わず僕も顔を歪める。
「本当に……助けてあげられなくて、ごめん」
佐久夜の涙と一緒に、桜の花も徐々に堕ちていく。
サクヤも本当は地獄に行くのが、一人になるのが怖いんだ。
梅さんが昔言っていた「ニンゲンはか弱い」とは、このことだろう。僕はそれが今、初めて分かった。




