29 一人にしないで
かすかに目を開けると、誰かにそっと上半身を抱き抱えられた。その誰かは、何か必死に自分に向かって叫んでいる。
誰だ……藤の香りがする。
視界のぼやけが落ち着くと、藤色の髪の、自分と同じくらいの少年が見えた。
もしかして、これが花火が言ってた……
「か……神様?」
自分の言葉に、一気に神様は苦しそうな顔になった。
「僕なんか、サクヤの神様になる資格はないよ……」
「歩道橋の時、止めてくれましたよね」
神様は頷いた。
なぜか自分ではなく神様が泣きそうになってるのは、不思議だった。でも、少し嬉しかった。
自分のために涙を流されるのは、こんなに暖かいんだな。
「神様、俺は今から……きっと地獄に堕ちますよね」
それに神様は何も言わない。
「だから、それまで少し遺言を伝えてもいいですか?」
腹からの血は、もう床に広がっていく寸前だった。きっとあと数分も持たない。花火がこんな自分の姿を見たら、傷つけてしまう。
神様は頷き、震える手を握って聞いてくれた。
「まず。花火という俺の友人には、約束を守れなくてごめんと伝えてください」
今度山の頂上に行くときは母さんも連れて行くと言ったが、ごめん。
叶えられなかった。
この先、いろんなことをする約束だって作ったのにな。
それと、間に合わなかったのは花火のせいじゃない。
だから花火は何も思わなくていいし、これからも今日のことを抱えて生きてはいかないでほしい。
俺はずっと、実は花火の笑顔が好きだった。
企んでいるような笑顔に、俺は何度救われたか分からない。
だからこれからはそんな花火に、俺以外のいろんな人も助けて、元気づけてほしい。
そして、幸せな人生を送ってほしい。
やっぱり、これもお節介すぎるか?
まぁ、お節介なフレンドリーボーイだしな。
…………好きだ、花火。
これからも、この先も。
だんだん息も苦しくなってきた。
神様は言葉を必死に飲み込み、頷いている。
「あと、母さんにも」
自分の倒れた少し先で、母さんは小さな過呼吸を起こしているようだった。母さんへの遺言も話し終わると、なんだか顔が熱くなってきた。
「意外に……照れるな」
「絶対、絶対に伝えておくから」
神様はまたしきりに頷いてくれる。
ずっと、見ていてくれたんだな。
部屋の窓は、いつの間にか初雪が降っていた。 ふと自分はつぶやく。
少し、寂しくなってきた。
「……この世界の空の色も。毎年当たり前のようにやってくる季節も。もう……もう見れなくなるんですか?」
神様の方はしきりに震え始める。しゃくるのと同時に、上から温かい涙も溢れていた。
他人の涙は、自分と同じくらいの温度だと、俺は今やっと知ることができた。
「ごめんなさい。神様ばかり泣かせてしまって……俺も泣きたいんですけど、瞼を閉じたらもう、この世界には戻れなくなる気がして……ふっ、そんな……そんなに泣かないでください」
そっと指で彼の涙を拭った。しかしそれに神様の涙はもっと溢れ出てしまった。
「さくやぁ……!!」
思わず呼ばれて微笑む。予想以上に、神様の顔がぐしゃぐしゃになっていたから。初めて会うのに、なぜか前にも会った気がする。
「かみさ……いっ!!」
腹に激しい痛みが走った。きっともう残された時間はない。
もう…………生きられないんだ。
「未来がないなんて……もうない、なんて」
目は閉じていないのに、勝手に涙が溜まっていた。そして気づけば、いつの間にか火がついたように溢れ出てしまっていた。
「今更、どんどん怖くなってくる……」
声はもう、掠れていた。
だめだ。
この波はもう、もうきっと抑えられない……!!
「俺が死んだあと、俺に手を合わせてくれる人、は、いないんじゃないかっ……て」
「いる。いるよ。きっといる」
神様は赤子をあやすように手を一定の速さで動かした。それにだんだん瞼も重くなってくる。
「い、いやだ……死にたくない……死にたくない、です…………神様」
「うん、うん、」
「父さん……母さん……なんで抱きしめてくれないんだ。俺が、俺が一体何したって言うんだ……」
あぁ、胸がいっぱいで苦しい。
……苦しい。
そしてもう、時間は来てしまった。話したいのに。みんなに直接言いたかったのに。
声が出ない。息が出ない。
もう吸えないだろう息を必死に心臓にたぐり寄せた。でもそれは逆に苦しくて。心臓から全身へ、鋭い痛みが走った。
でもこれだけは、これだけは言いたい。神様。
「抱きしめ、て。一人に、しない、で……」
そして春生まれだった彼は、大好きな桜も見れず、寒い部屋の中で息絶えた。




