2 玉ノ屋と藤
「ウメさん」
いつもの通り夕食。しかし、食べ物は上手く喉を通ってくれなかった。それに菊は相変わらず冷たい目でこちらを見てくる。
「何、なんかあったの?」
「いや、だから! なんで食卓にこいつもいんの!?」
目の前には、美味しそうに口を膨らませている佐久夜が座っている。それに(頬に米をつけて)佐久夜は無邪気な笑みを浮かべると、まぁまぁと赤子を慰めるような口調で話した。
「梅さんが夕食に誘ってくれてな。あ、そういえばここの旅館の温泉、気持ち良かったぞ」
こいつ……!
思わず立ちあがろうとすれば、隣に座る菊に止められた。渋々椅子に座り直せば、目の前の佐久夜が不本意に視界に入ってしまう。
死んだからかは分からないが、妙に青白い肌。それに──
「あとさ、なんでそんな怪我してんの?」
佐久夜は、ほぼ全身にあざや切り傷があった。さっきまで長袖のシャツだったから、全く気づかなかった。今は少し腕が見える着物で。
「あぁ、これはな……ふふっ、虫と戦った証だ。お前が去った後、俺は必死に威嚇のポーズを──」
「ごめん、今の質問なしで」
「おい!」
あまりにも佐久夜が呑気なもので、僕はまた無視を始めた。そして、心の中で誓ったのである。
もう、こいつには関わらないでおこう。こんな調子じゃ、きっとこの先苦労する。
そしてその日から、僕と佐久夜の必死の鬼ごっこが始まった。
僕は湯に入る時間はいつもより早くしたり、客に紛れて食事もとるようにした。家にもできるだけいないようにし、佐久夜の部屋にも近づかないように行動した。
たとえこれが自分の客にするべき対応じゃないと、分かっていても。
しかし三日もすれば、佐久夜も僕の行動を読めるようになり、まるで背後霊のようについてくるのだった。
そして今。風呂から上がり部屋に入ると、あいつが笑顔で座っていたのだ。
「あっ! 雅、きょ」
僕は勢いよく戸を閉め、急いでかわら廁(人間界でいうトイレ)に逃げ込んだ。佐久夜には、自分の部屋の場所を教えた覚えはなかった。
なんであいつが僕の部屋にいんの!? 信じられないんだけど……
一種の変態……ストーカー?
しばらく呼吸を整え、息を殺して立っていたが、誰も追ってくる気配もない。
「…………そろそろ、出てもいいかな」
もうこれで誰も来ないだろうと胸を撫で下ろそうとした時。自分の真上から、ギシッと木が嫌な音を立て始めた。
「あ〜……」
──バキッ
諦め半分で厠から出ようとしたその瞬間、屋根を破って勢いよく笑顔のあいつが落ちてきた。屋根にはもちろん、見事に大きな穴が空いている。
「雅!」
「……」
僕は叫び声も上げず、サッと背を向けて必死に走った。それにあいつはものすごい速さで追いかけてくる。
「みーやーびー!」
「し、しつこい……」
こんなストーカー人間だが。たった一つの救いは、人間にはいつか体力の限界が来ることだ。
煉獄にいる者も一応疲れはあるが、人間の何倍も体力がある。半刻(約一時間)お互いよろよろ走り続けると、流石のあいつも走るのをやめ、宿へ帰って行った。
帰ってくれるのは嬉しいし、安心する。だけど去っていくあいつの顔が楽しそうに笑っていて、毎回ポツリと呟くのが気になった。
「また明日も来るからな」
****
そんな地獄な日々も今日で数週間目。今日は街に出かけることにした。どうせ、宿にいたってすぐあいつに捕まるし。
街には、悩みなんて何もかも吹き飛ぶような極楽が待っている。この日寄るのは、『玉ノ屋』。櫛や簪など髪飾りが多く売っている店だ。
玉ノ屋の店長『琴』は、この近くあるに遊郭で有名な花魁で、副業でこの店を開いている。
「すみません、コトさんっていますか……?」
店の中に入ると、やはり彼女はいた。しなやかな黒髪を腰までまっすぐ下ろし、サイドの髪をあごのあたりで短く切った髪型の。
「ミヤちゃん! いらっしゃい」
普段花魁として働いているためか、漂う色気が隠しきれていない。彼女は目ををパチクリさせた後、優しく微笑んだ。
「今日は何の用?」
「あぁ、えっと、これです」
僕は着物からある物を取り出した。それは藤柄の布で包まれている。
布を優しく手の上で解くと、中から美しい櫛が出てきた。しかし櫛は、なんと真っ二つに割れている。
「これ、落として割っちゃったんです」
琴は一瞬目を見開くと、納得したように頷いた。
「じゃあ、その櫛を直せばいいのね?」
「うん。ウメさんの大事な櫛なんだよね」
琴は丁寧に櫛を受け取ったが、櫛をよく観察すれば少し申し訳なさそうに眉を寄せた。
「でもこれ、綺麗に直すならかなりの値段がかかりそうだわ」
やっぱり、これだけ壊れてたら直すのも難しいか……でも。
「構いません」
その声に一切の迷いはない。琴は困ったような顔になったが、自分の真剣な表情に負け、櫛と共に奥の作業部屋へ消えていった。
しばらく待っていると、櫛の代わりに紙を持ってまた戻ってきた。
「一応なんとかなりそうだわ。希望の日付はある?」
「できるだけ早く。明後日までにはお願いしたいかな」
琴は頷くと、「他の商品もぜひ見てって」と笑顔で首を少し傾けた。
別に他の櫛を買うつもりはないけど……見るだけならいっか。
店は、櫛や簪の飾りでキラキラと輝いている。
だけどそんな男が気になるものなんて……
そう思っていたが、いくつかの棚を通り過ぎた時。一つの耳飾りが目に留まった。
それは自分の髪色とよく藤の耳飾りだった。藤の花のデザインで、手に取ってみるとまるで宝石の雫のように垂れて輝いている。
まぁ。これを買ったところであげたい人なんていないんだけどね。
そろそろ店を出ようかと顔を上げたその時。ふと隣に気配を感じた。
待って。まさかだけど──
そのまさか。なんと隣には佐久夜が笑顔で立っていたのだ。
「お、やっと気づいてくれたな」
「あ〜……」
そうだった。こんな気分のいい時は、必ずあいつに壊されるんだったけ。
僕がまた走って逃げようとするのを、佐久夜は慌てて手首を掴んで止めた。意外と痛くなかったのは、彼なりの優しさだろうか。
「待て。あの、えっと……き、今日は別にしつこくする気はない」
佐久夜は眉を下げ、お願いと少し微笑んできた。こんな申し訳なさそうな顔、人間しかしない。だって人間はいつも謝ってばかりだと聞いたから。
僕は一瞬戸惑ったが、冷静に返事を返した。
「なら別に、好きにしてよ」
走らされないで済むというなら、仕方ない。今日だけ、大人しくしてやろう。
何も言わずまた商品へと目を向けると、佐久夜は珍しく落ち着いた声で話した。
「さっき見てた藤の耳飾り、あれ買わないのか?」
「別に。買ってもあげたい人いないし」
そんな僕の言葉に、佐久夜はただ何も言わず、微笑んだ。
……なんか、言ってよね。
僕はなんだか居心地が悪くなり、早足で店から出て行った。でもそれは、決して気味が悪いわけではなかった。
佐久夜が自分に向ける視線はしつこい。でも、どこか暖かった。人間は、そうやっていろんな目をするらしい。
僕は、初めての人間にほんの少しだけ。興味を覚えた。
雅:人間嫌いな少年(主人公)
佐久夜:雅が初めて世話する人間
菊:雅と共にあまねの湯で働く少女
梅:菊の母親、あまねの湯の支配人
琴:玉ノ屋の店長。花魁。
よかったらブックマーク、下の評価よろしくお願いします!
していただいたらもっと煉獄が盛り上がります。
2024:12:3 まで(休日は除く)一日、朝昼晩の3回に分けて投稿する予定です。
あまねの湯で皆様をお待ちしています。