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18 残り一日


 空気が酷く冷たい。



「せっかく捕まえたというのに。なぜ逃したんですか? ミヤビさん」


 (しのぶ)と名乗るそいつは、両手で大きな蜘蛛の巣を作り出した。視界に糸が広がる。


……落ち着け、まだ負けたとは限らない。


「ただニンゲンの世話をしただけだし」

「噂では、ニンゲンが嫌いって聞きましたけど」


こいつ……めんどくさい質問ばっか。

もういいや。攻撃しちゃお。



『藤爛漫』



「……っ!」


 忍は一瞬目を見開いたが、なんと自分の攻撃をスパッっと糸で切ってしまった。その切れ味に、抱き上げている佐久夜も息を呑んだ。

 僕もうっすらと顔に汗が滲み、笑いが溢れる。


「ははっ……どうする? サクヤ」

「どうするってなんだ!? 早く逃げろ馬鹿!!」


 ポカポカ叩かれながらも、床をひと蹴り。少し忍と距離を置くことができた。


よし……!! このままどこかの部屋に入って、窓から出よう。


「……ん?」


 素早く部屋の襖を開けようとしたその瞬間。足に違和感を感じた。


「雅! 足に糸が巻き付いてるぞ!!」


 なんと足は逃げないよう床と糸でくっついていた。動かせず、びくともしない。


あいつ……卑怯だっての。


「逃しませんよ」


 忍はつぶやきと同時に、大きな蜘蛛の巣を投げてきた。ビュンッっと異様な速さの音が鳴る。


やばい。逃げられない。


 ぎゅっと瞼を閉じた。勝てない。たったこの数分で思ってしまった。しかし。



「ミヤァァァァァァ!!!」



 どこからか聞き覚えのある、うるさい叫び声が聞こえてきた。ハッと目を開けると、目の前には蜘蛛の巣がなく、大きな黒い翼があった。

 数枚の羽が宙を舞う。


「大天狗……」


 目の前に立つ大天狗は、必死に蜘蛛の巣を押さえていた。手の甲には血筋が浮かんでいる。


「いいからっ……!! 早く逃げろ……!」


 きっと心配で見に来てくれたんだ。


「ありがと、絶対後でまた助けに行くから」

「分かって……っる!!」


 大天狗は思い切り糸を風で吹き飛ばす。その風のおかげで、足の糸もちぎれた。糸は風に弱いようだ。


「行くよ、サクヤ」

「あ、あぁ!」


 部屋に入り、窓を開ける。そして勢いよくそこから飛び降り、すごい速さでどんどん落下していく。


「なっ、ななななななっ!!!」


 サクヤはバサバサと髪を揺らし叫んだ。それになんだか頬が緩む。


「…………サクヤの不細工」

「はっはぁぁ!?」


きっと、大天狗ならなんとか倒してくれるはず。

なんか楽しい……かも。


 上から見る煉獄の街は、何度も見てきた。でも。今は佐久夜が言っていたように、赤い雲の上を飛んでいるように思えた。


 僕はこれから、これほど街が美しいと思えることはないと思う。





****





「二人とも! 無事だったの……!? よかった……」



 あまねの湯につくと、涙で瞳を潤わせた菊が抱きついてきた。


少しの出来事だったけれど、キクには大事だったみたい。

まぁ、みんなから恐れられてる獄城だもんね。


 そして後から大天狗も無事に帰ってきた。話によると、シノブに「関係のない人は巻き込みたくない」と言われ、逃してもらえたという。

 シノブは、よく読めない人だ。


 それに、一体なぜシノブは自分の名前を知ってんだろう。噂で聞いた可能性もあるけど、自分を見ただけで名前はわからないはず。


 しばらく夕飯を食べながら考えたが、佐久夜や菊、大天狗と話しているうちにどうでも良くなった。



 夕食を食べ終わった後。時間も遅かったので、佐久夜を風呂に誘うことにした。実は。これまで一度も一緒に入ったことがない。


「ねぇ、サクヤ。一緒に風呂でも入んない?」


 食器を片付けた佐久夜に、内心ドキドキしながら話しかけた。しかし、佐久夜にはなぜか焦ったように顔を背けられた。


「えっ、あっあぁ。また今度でもいいか? 今は気分じゃなくてな」


いつもならここで諦めてた。

でも、今日はいつもと違うんだ。


「明日で、煉獄にいれるのも最後だって言ったら?」

「え…………?」


 そう。明日で佐久夜が煉獄に来て、ちょうど四十九日目。


初めは自分がサクヤを避けていたせいで、何日か話してない日もあったんだよね。

時が経つのはあっという間だ。


 佐久夜は少し黙ると、目を泳がせながら気まずそうに頷いた。その理由はわからない。


「そうだな。俺もそろそろだとは思っていた」


 佐久夜はもう一度真剣に頷き、自分から温泉に向かって行った。


なんだ。僕と入るのが嫌だったわけじゃないんだ。


 自分も佐久夜の背中に駆け足でついて行く。その途中。ふと、自分の心がふわふわしているのに気がついた。


明日で最後。

なんだろう……不思議な気分。





****





「はぁぁぁ…………やっぱりここの温泉って最高」


 空間に、自分の大きな声が響いた。客は今の時間帯は寝ていて、風呂は貸切状態になっている。


「あぁ、よかったな」


 少し遠い洗い場から、佐久夜の声がする。


なんか距離を置かれている気がするんだけど……まぁいっか。


 特に話すこともないので、ぼんやりとつぶやいてみる。


「なんか……四十九日って早すぎない?」

「そうか? 俺の人間界では結構長い気もするけどな」

「それはニンゲンの価値観でしょ。僕は七十年以上も生きてるから……」


 ゴロンと頭を湯の端に寝かせた。石の冷たい温度が頬に伝わる。

 実はここ、露天風呂なのだ。


「……雅」


 声がしたが、返事をせず頷いてみた。佐久夜はそれを空気で感じ取り、話を続けてくれる。


「今、怒ってるか?」

「ううん、別に」

「そうか……」


 二人が黙ると、微かに風で草木が揺れる音が聞こえる。


「……姐さんのことでしょ」


 自分の言葉に、佐久夜は少し黙った。何か考えているようだ。


「その……ひどいことをしたと思ってな。肝心な自分が殺した記憶がないし、雅の心を傷つけた」

「うん」


 まずは話を最後まで聞く。今、僕がすべきことはそれだけな気がする。

 佐久夜の声は少し、涙の気配がした。


「正直捕まった時、助けに来てくれるなんて思ってもなかった。もう、嫌われたと思って」

「うん」

「でもそんなことはなかった。あっいや、もしかしたら嫌われてるかもしれないけど、とにかくその……助けてくれてありがとう」


 サラッと自分の前髪が風で揺れる。のぼせてきたんだろうか、頬が熱い。


こんな……こんな真剣に誰かに感謝されたことなんて、今までなかった。


「僕のほうこそごめん。佐久夜が犯人かは置いといて、強く当たりすぎちゃった」

「そんなことない。俺が勝手に逃げ出しただけだ」


勝手にって……なんでそんなに自分を悪く言うんだろ。

これもニンゲンの特徴?


「実はあの後、サクヤがいなかった五日間さ。僕、めっちゃサクヤのおにぎり食べたかったんだよね」

「え、おにぎり?」


 佐久夜は目を見開く。


「うん。ちょっと味は薄いけど、すごく美味しい。手つきも慣れてたよね。人間界でも作ってたの?」


 しかし返事はない。


……そっか。サクヤってなぜか人間界の話したがらないよね。


「別に嫌だったら答えなくても」

「いや。今日は最後だからな。腹を割って話すよ」


 最後の一言は、すぐ間近から聞こえた。顔を上げると、佐久夜が自分の後ろに立っていた。


「俺は毎日、自分で弁当を作っていたんだ。料理が得意だったからな」

「へー、ぽいぽい」


 少し褒めると、佐久夜は照れながら隣の湯に浸かってきた。オレンジ色の静かな水面に丸い水紋が広がっていく。そして桜のいい香りと、優しい声。


「親は忙しい人でな。自分のことは自分でやってきた」

「学校は?」

「もちろんいい学校生活だったぞ」

「ふっ……冗談はいいから」


 鼻で笑うと、佐久夜は「本当の話だ!」と声を荒げた。


あれ。なんか嘘ついてるように聞こえたんだけど。

気のせいか。


「成績も優秀で、運動もできた」

「へー。僕と一緒じゃん」

「ふっ……そうだな、たしかに」


 しばらくどうでもいい自慢話を聞いた後、佐久夜はのぼせてきたと言って湯から上半身を上げた。もう体はほんのり赤く染まっている。


「全く……ニンゲンってほんと体力ないよね」

「お前、世界中の人間に謝れ」


 クスクス笑い合うと、ふと違和感に気づいた。


「あれ」

「ん? どうした?」


……サクヤのお腹にあるあの線、なんだろう?


 よく見ようと近づくと、佐久夜は「あぁ」と納得したように呟いた。


「これは昔の()だ」

「傷? でも煉獄の湯には怪我を治す力があるはずだけど……あ」


 まさか。昔、ウメさんが言ってた。

『この湯はすべての傷を治すというけど、ニンゲンの死因だけは消せないのよ』と。


「死因……?」

「なっ…………はは、気づいたんだな。そう、事故に遭った時にできたんだ」

「じゃあ、つまり……サクヤは事故で死んだの?」


 目の前の彼は頷く。どんな事故か聞いたら、佐久夜は怒るだろうか。


「あのさ。姐さんも言ってたんだけど、サクヤって家族とのトラブルがあったんじゃないの?」

「家族と……? 喧嘩くらいしかしてないな」

「え、そうなの!? じゃあ関係ないか……」

「あぁ、関係ないな」


 まだ聞きたいことはあったけれど、話はそれきりで終わってしまった。


 そして佐久夜と僕は、順々に静かに湯から上がった。その時、佐久夜の腹から血が出ていたのは、本人によると傷がよく開くからだそう。


部屋に行ったら、包帯巻いてあげようかな。




雅:人間嫌いな少年(主人公)

佐久夜:雅が初めて世話する人間

菊:雅と共にあまねの湯で働く少女

大天狗:あまねの湯の常連客

忍:?


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