14 悪夢と正夢
『ミヤ…………みや……び』
「な、何?」
『みや、び……雅』
「だから何? 誰なの?」
真っ暗な暗闇。ただ一人、僕は見えない女の声に戸惑っていた。
これが夢なのはわかる。でもこの僕を呼ぶ声は何……?
『みや……雅……』
その声は、だんだんと近づいてくる。そして奥の暗闇に、小さな光が見えてきた。
「誰? 誰かそこにいるの?」
すると光に、蕾が咲いた。
「……何、これ?」
空中に浮かぶ蕾はやがて大きくなり、僕の顔より大きく育った。そしてついに花びらが開き、開花した。
なんと蕾は、真っ赤な梅の花になったのだ。
「……っ!! お母さん!」
花の中心には、なんと梅の上半身が咲いていた。
思わず彼女を「お母さん」と呼べば、上半身だけの梅は僕の頬に手を伸ばし、そっと包み込んだ。そんなことをされたら、勝手に目から大粒の雫が流れてくる。
そして僕の涙は花びらに垂れ、梅の花はもっともっとと大きく育っていく。
「なんで……ウメさんがここに?」
枯れた声が暗闇に響く。
「…………ミヤ。私の可愛い息子、ミヤ」
しかし梅はただ、優しく僕の頭を撫でるだけだ。
「手が、手が冷たいよ。お母さん」
「……」
沈黙の後、梅はそっと僕から離れた。そして、見慣れた真剣な眼差しが向けられる。情緒が少し、掴めない。
「ミヤ。私は今日、あなたに伝えたい事があって来ました」
「つ……伝えたいこと?」
二人が黙ると暗闇は静まり返り、より黒さが増していく。しかし、彼女の言葉は光のようにはっきりと聞こえた。
「犯人はあなたのすぐ近く、身近な人にいるわ」
「えっ?」
ぞわりと体が震える。
身近な人?
でもなんでそんな急に……
「じゃ、じゃあさ。犯人は一体誰なのか知ってるってこと?」
「……って」
「え、何? なんて言ったの?」
梅は、かすかに微笑んだ。
「彼を、救ってあげて」
その笑顔がどこかで見た気がしたのは、きっと佐久夜のせいだ。
「彼……それってサクヤのこと?」
「どうか、救って」
「……」
話が通じない。まるで話し相手が梅であって、梅でないみたいだ。話しかけるのを諦めかけた時、彼女はふと呟いた。
「犯人はね」
ドキッと心臓が跳ね上がる。勢いよく顔を上げると、梅の口から血が滴っているのが見えた。
「は……?」
「犯人、は」
だんだんと梅の様子がおかしくなっていく。自分が泣き止んだせいか、いつの間にか花も水分をなくし、枯れ始めていた。
「ね、ねぇ! どうしたの!? どこか痛いの!?」
「犯人、ハネ」
ドバッと彼女の口から血が吹き出す。それはお互いの着物にもかかり、僕も思わずビクッと体を震わせた。
「お、お母さん……?」
「ねぇ、聞いて」
彼女の胸辺りの着物は、血の色で染まっている。なんだか、気味が悪いほど生暖かい。
「あ……ち、血が」
「頼って、頼られる、人に、なりな、さい」
どこか聞いたことのある言葉と光景が、視界を震わせる。これは、あの日の朝と同じだ。
「どうか、自分から壁を、作らないで」
途切れ途切れ呟く彼女に、僕は顔を青白く震わせた。
「分かった! 分かったから!! もう喋んないでよ!! 傷が、広がる……」
僕は思い出してしまった。あの日。梅はこの言葉を最後にして、息絶えたと。
そしてそんな彼女は、もう力無く自分の肩に寄りかかってきた。
これも、あの時と同じ。
下半身に咲く花はもうとっくに、薄汚い茶色に枯れている。
「お、お母さん……」
「彼を、救ってあげて。私は死んでも。期待し続けてるから」
しかし急なはっきりした声に、目を見開いた。これは、正真正銘の梅。本人だ。夢なんかじゃない。
えっ、夢なんかじゃない……?
次の瞬間。ツーンっと鼻の奥深くまで、血の匂いが香った。
****
「……っ!?」
目を覚ますと、いつもの自分の部屋、布団の上で寝ていた。
夢……?
起き上がると、手にある違和感を覚えた。櫛だ。あの櫛が握ってある。
えっ? なくしてたはずなのに……うっ!
ツーンっとまた鼻の奥が痺れた。それは泣きそうになったからではない。
「血の匂い……」
どこからか、血の匂いがする。まるで、あの日の朝と同じだ。
僕は激しく鼓動する心臓を、着物の上から肌に爪が食い込むほど握りつぶした。
ダメだ。動かないと。
きっと今、誰かが殺されている。助けないと。
『彼を、救ってあげて』
あぁ、嫌な予感がする。
****
玄関へ走る途中、僕は必死に頭を整理した。
さっきサクヤとキクの部屋を覗いたけど、サクヤは部屋にいなかった。ということは、今サクヤの身に何か起こってる可能性が多い。
あと、旅館には人の気配があるから、まだみんな寝てる。
それに今は早朝で、旅館周りに人がいない可能性が一番高い時間だ。
「とにかく、急がないと」
素足のまま玄関を通り過ぎ、勢いよく扉を開いた。扉の少し先に、人影が見える。あの背の高さ、きっと佐久夜だ。
僕は急いで彼の元へ走った。それも必死に生きてることを、願って。
「サクヤー!!」
近づいていくにつれ、人影が二人になるのが分かる。佐久夜の隣には──
……あれ。
ふと足を止めた。彼までは、まだあと五メートルほどある。
サクヤの前にあるのって、まさか。
「死体……?」
佐久夜の足元に倒れる影は、真っ赤な着物を着ている。それに血だらけだが、茶髪なのは分かる。
茶髪で派手な真っ赤の着物。そんなの、彼女しかいなかった。
「ねっ姐さん、姐さん……!!」
「……っあ! ミヤ!!」
自分の微かな呟きに、綾は佐久夜の足元から上半身を起こした。どうやらまだ死んでいないようだ。
「姐さん!!!!」
僕は慌てて綾の側まで駆け寄った。
「大丈夫。今すぐ術で手当てするから」
「えっえぇ、そうしておくれ……!」
綾の差し出した手は、信じられないほどガタガタ震えていた。一体佐久夜と何があったんだろうか。
昨日まで普通に会話してたはずなのに……
「何があったか知らないけど、佐久夜も手伝って!!」
「……」
試しに佐久夜に話しかけたが、彼の瞳には今、血だらけの綾しか映っていない。いつもと何かが違う、そう気づくのも自然だった。
「サクヤ……?」
返事はない。それに綾はなぜか必死に首を振った。その顔は、花魁とは思えないほど酷い。
「話しかけちゃ駄目だよ! もうっ……!! あたしの手当はいいから、早く逃げておくれ!!」
「は、逃げる!? こんな状態で何言ってんの?」
綾はまだ必死に首を振っている。瞳には涙が溜まっていた。それに顔にはまるで、「最期の願いだから」と書いて見える。
「早く……早く逃げておくれ。殺されるよ……」
「殺される?」
一体誰に……あ
「まさか、」
「ほら、早くにぃゲァッッッ!!!!」
その瞬間。綾の腰に簪が突き刺さった。血飛沫はあまり飛ばなかったが、僕の脳内には彼女の声がべったりとこびりついた。
彼女は、死んだんだ。




