13 綾が酒を飲む理由
あれから数日後。まだ僕たちは「仕事」という地獄から解放されていなかった。
「ミヤ〜! 酒を持ってきておくれ〜」
掃除中、旅館の受付台からヘラヘラした声が響いた。
それに菊と佐久夜は困った顔になったが、僕はうんと眉を釣り上げる。そしてどかどかと受付台に入り、綾を叱った。
「あのさぁ、僕たち掃除中なんですけど! 姐さんも酒ばっか飲んでないで、仕事してよね!?」
しかし、綾は声をあげて笑い出だした。
梅とは対照的な、美しく強い女性。今までとは全く異なる性格なので、どう接したらいいか菊も佐久夜も戸惑うことが多い。
だけど僕は、これまで何度も関わったことがある。だから彼女の扱いには慣れていた。
「ふっ、ハハハハ! そんなこと言ったてあたしが聞くとでも思ってんのかい。酒はあたしにとって栄養なのさ」
「じゃあ、僕らは休みが栄養です。いい加減休ませてよ!」
実は僕も佐久夜たちも、ずっと朝から働きっぱなしなのだ。綾は笑い終わると、ニヤリと笑った。
「いいよ、休ませてやるよ。でもその代わり、一緒に酒を飲んで話でもしようじゃない」
「……余計な話しなければね」
「分かってるさ」
綾は口角を上げ、首を傾げた。仕事よりかは、雑談する方がマシだ。
****
「で、そんときミヤが客を殴っちゃって〜!! 馬鹿よね〜、あはははははっ!!」
……まぁ、こうなるとは思ってたよ。
酒に酔った綾は、予想通り愉快に僕との思い出(黒歴史)を語り始めた。菊と佐久夜も話にクスクスと笑い、本当に居心地が悪い。
それも今話しているのは、自分が遊郭に放り込まれた時。僕が綾に寄ってきた迷惑客を殴ってしまい、こっぴどく怒られたときの話だ。しょうもない。
「で、その客はどうなったんですか?」
しょうもないのに、佐久夜は興味津々に綾を見つめる。
こんな姐さんの話なんて、無視すればいいのに……
「その迷惑客の友人が謝りに来てくれたよ」
「友人?」
菊は、また新たな酒のビンを綾に渡す。綾はそれを受け取ると、また一気に飲み干してしまった。
「えぇ、なぜか友人が謝りに来てね。まぁいい顔立ちだったから許してやったよ。……あっはっはっ!!」
「ちょっ、危ない!」
僕は勢いよく傾いた綾の椅子を支えた。梅さんとは全くの真逆な行動。女は本当によく分からない。
「姐さんは面食いだもんね〜」
それに菊は口元に手を添えて笑った。女子同士だと、どこか話が合うのかもしれない。
綾は菊に大きく頷いた。
「そうさぁ。でも、だからってミヤを好きになったりはしないよ」
「え、なんで?」
綾は僕を見つめた後、目を細めた。言いたいことはなんとなく分かってる。
どうせタイプじゃないから、とか言うんでしょ。
「梅の子供だからね」
それに菊と佐久夜は首を傾げる。
あ〜……知り合いの子供には手を出せないみたいな?
もっと詳しく話を続けてくれると思っていたが、案外綾はすぐ話を切り替えた。
「まっ……流石に好きになれないよ。あっ、ほら。酒が足りないよ酒が!」
「えー! まだお酒飲むの? 大丈夫?」
菊の心配に、綾は口角を上げた。何か企むときの彼女の癖だ。
「酒を持ってきてくれたら、今度はあたし、コト、ウメの花魁時代の話をしてやるよ」
「えっ三人の!?」
菊は一目散に台所に走って行き、光の速さで帰ってきた。菊の昔話好きには敵わない。
「キクったらいい子だねぇ……よし。じゃあまずは何から話そうか」
「三人はどんな花魁だったんですか?」
佐久夜は左手を少し上げ、おとなしげに呟いた。それに綾もまるで教師になったように調子に乗る。
「そりゃあ、美人だって有名だったさ。いつも部屋の窓から街を眺めては、道を歩く男達に手を振ったよ」
ん……? 窓から手を振る?
「上級の花魁は普段、簡単には姿を見せないんじゃないの?」
「ミヤ〜、あんたそれ何年前の話をしてんだい。今はそんな硬い決まりはないよ」
ふーん、変わったんだ。
まぁニンゲンが楽しめるようにするのが煉獄だもんね。
「サクヤも遊郭に行っておいでよ。今ならあたしやコトが歓迎して踊ってやるからさ。……あっ、それか夜の方がよかった?」
「いっいや、遠慮しておきます……」
「って冗談よ!! ははははっ!! 可愛い子だねぇ」
綾は笑い終わると、よろよろと立ち上がった。人間よりかは体力があるはずなのに、今日はかなり強い酒を飲んでいたようだ。
この馬鹿。
「姐さん、僕が部屋まで運んであげるから。ほら、肩に腕回して」
ズンッと肩に重さが加わる。それに酒臭い。
どんだけ飲んだんだよ。
後の仕事は菊たちに任せ、僕は綾の部屋へと急いだ。しかし彼女の部屋を開けた途端。ものすごい酒の匂いが広がってきた。
「臭っ!!」
部屋の机や床には、何本もの酒が置いてある。中身は全て空のままで。
なんとか足場を見つけ、酒を一箇所にまとめる。少しだが、綾を床に置けるスペースを作ることができた。
「ほら、一旦水も飲んで」
「ん……ありがとね」
よかった、意識はあるみたい。
しかし、色々と他にも問題はある。
「で。これ、一体何日で飲んだの?」
「これ?」
「この部屋にあるお酒だよ。こんなに飲んで……大丈夫なの?」
綾はふふっと微笑んだ。酔っているのか、普通に笑っているのか分からない。
「心配してくれるんだねぇ」
「はぁ……いいから。これ、何日で飲んだの?」
「三日さ」
「はあ!? 馬鹿じゃないの!?」
強いて五日くらいだと思ってたのに……!
いつか中毒で死ぬんじゃないの?
「あのねぇ、こんなに酒飲むとか、普通じゃないから! なんか悩み事でもあるわけ?」
「ふっ……女の悩みさ。あんたには分からないだろうけどね」
女の悩み?
……意味わかんない。まだ酔ってるのかな。
「いいよ。聞いてあげるから」
「いいや。あんたには無理だね」
そう言って綾は机の上にあった酒のビンをグッと飲み干した。
「は? まだ隠してあったの!?」
「無限にあるよ。酒は」
いや、知らないし。
というか流石に危ない。死ぬでしょ、これ。
「もう、飲酒禁止ね!?」
僕はサッと綾の握っていた酒を奪い取った。特に綾は抵抗もしない。しかし代わりに、無気力な声を出した。
「そんなことしても無駄さ……執着すれば、そう簡単にはやめられないよ」
そう言って綾は自分の膝に頭を置いてきた。真下には彼女の顔がある。
「ひ、膝枕とかやめてよ。気持ち悪い」
「今日くらい許しておくれよ〜」
綾はしばらく黙ると、そっと僕の顔に手を伸ばしてきた。自分は思わずぎょっと目を見開く。酔ってるにも、程がある。
「な、なに」
「かっこいい顔してるねぇ」
またからかってるのかとも思ったが、綾の顔はもう笑っていなかった。何かを思い出しているように見える。
「昔。あんたに似た男と出会ったことがあってね」
「……遊郭?」
「そうさ。あたしの出会いと別れは、いつも遊郭にある」
綾は顔から手を離し、目を覆った。眠いのだろうか。
「その男とは気もあって、身請けの話も出た」
「へー」
「でもその男は結局。あたしとの婚約を破棄して、ウメに惚れやがった。まぁ、その後病で死んだけどね」
梅。急な名前にドキッとした。
これって……まさか昨日大天狗から聞いた、姐さんとウメさんの花魁時代の話?
「その後も、あたしは別の男に落ちた。でもその男も途中でウメに惚れてね。だから結局、その男もウメにあげることなった」
それに「今度は上手くいってキクを産んだのさ」、とも付け加えられた。その言い方はどこか、後悔の色がする。
「でもその男もキクが生まれた後、死んだよ。みんなウメが可哀想だって言うけど、ウメに二人も男を取られたあたしはどうなんだろうね」
「……」
「あぁ、別に可哀想だって言われたいわけじゃないよ。ただ、私は周りから嫌われてるって。そう感じたのさ」
しかし言葉とは裏腹に、真っ赤な唇は少し震えていた。僕はそれに気づくと、なんだか自分の気が緩んだ気がした。
「だから最近そのことを思い出して、お酒飲んでたの?」
「ふっ……それもあるかもね」
綾は片手で術を使い、部屋の酒を全部消してしまった。なんだか申し訳なくなってくる。
「今はぽんぽん口から言葉が出てくるけどねぇ、愛する人を亡くした時の気持ちはたまったもんじゃないよ」
「それでも姐さんは……一人で立ち直ったの?」
「立ち直った? ははっ! 立ち直ってたら今、酒なんか飲んでないよ」
綾は笑った。さっきよりかは元気が出てきたみたいだ。
よかった。
そして綾はよろよろ起き上がり、僕と顔を向き合わせた。
「だからミヤ。あんたは今あるもの、大事にするんだよ? 消えたらもう一生、戻ってなんてこないからねぇ」
「そんなの……分かってるってば」
「よし。じゃあ、話は終わりにするよ。さっ、出ていっておくれ」
しっしっと綾は手のひらで僕を追いやる。せっかく話を聞いてあげたというのに。
しかし部屋から出ようと戸を開けた時、綾は「あっ」と声を上げた。
「何。まだなんかあるの?」
振り返ると綾は肘をつき、真っ赤な唇で意地悪く笑った。
「あたしは今ねぇ。その男に似た、あんたに惚れてるかもしれない」
「………………ぇ」
掠れた声が出てしまった。
僕に、惚れてる? 姐さんが?
そんなの初耳だ。
「でも今回はよく分からない。あんたが好きなのか、あの人に似たあんたが好きなのか」
「……」
「血は繋がってないけど、ウメの子供だって言うのにねぇ。今回の恋も、諦めるしかないね」
初めて見る綾の切なそうな表情に、ズキっと心も痛んだ。
僕は、なんて返したらいい?
彼女に、何ができる?
「じゃあね、ミヤ」
しかし声と同時に、素早く戸を閉められてしまった。いかにも彼女の性格らしい行動に、ため息が出る。
「はぁ……」
困ったとか、照れるとか。そういうのじゃないな。
姐さんにはこれから、ちゃんと愛し合える人と出会って、幸せになってほしい。過去のウメさんに囚われず。
僕は一人、かすかに酒臭い廊下を歩いた。




