1 ヒトもどき-①
2117年
アリゾレッド連邦 ミステピッド市
────── 夜
カラン、カランと音が鳴る。
薄暗い部屋で不規則なカラン、という食器音。窓のないコンクリートで囲まれた日当たりのない部屋。その空間に金属製の寝心地が悪そうなシングルベッド、一人用の机と椅子。
床には現代では珍しい紙媒体の本と映画のディスクが無数に積まれている。
過疎的な部屋で、椅子に一人の青年。
屍を彷彿とさせるほどの人間離れした青白い色の皮膚に浮き出た血管を持つ青年。
消炭色をしたスウェット素材の上下共に大きめのサイズの長袖長ズボンは楽にくつろぐための格好である。服に覆われていない肌や眼球は明らかに何とも人間とは言い難く、かと言って身なりは人外とも形容し難いほど人間に近い形を表していた。
青年の右手にはカップが一つ。中には湯気が立ち込める紅茶が注がれている。紅茶にはレモンが一欠片。クルクルとかき混ぜられる紅茶とレモン。質素な室内をレモンティーの香りが包み込む。
部屋を唯一照らす、傘型のデスクライトはチカチカと僅かな残機で青年の手元を照らしている。
青年は机に用意していた消費期限切れの牛乳をレモンティーへと注ぎ、スプーンでゆっくりとかき混ぜる。
混ぜる際にカップへ当たるカランという音。それはとても小さな音。しかし、無音の部屋ではよく鳴り響いた。
「で、警官様が何用で?」
青年は暖かい紅茶をかき混ぜたまま、ようやく目線を前へと移す。机を隔て、警官であるネルアは青年を警戒していた。
台形型の制帽を被り、制服の胸元には国の紋章がある。紛れもない警官であることを示し、青年を鋭く睨む。ネルアの眉間には怒りを示す皺、自身の黒い眼でこれでもかと彼を注意深く凝視している。攻撃的な瞳はこの過疎的な家を訪れてからの数分、紅茶を嗜もうとする青年から一分たりとも離しはしなかった。
一丁の銃を青年へ向けることを怠らないまま。
「二度も言わせるな! 貴様のような非登録の奇形は行動の自由が認められていない。国の意思に反する奇形は即座に捕獲対象だ!」
ネルアは汗ばんだ手で拳銃を強く握り、カチャリと音を鳴らせた。勿論、セーフティは降りている。
「速やかに署へ、そして軍へのご同行を」
青年は紅茶から透明度がなくなり、レモンミルクティーが完成したことを確認する。用済みとなったスプーンを受け皿へと置き、取っ手に指を掛けると軽い力で持ち上げた。
「貴様の情報は上がっている!! 両手を上に掲げ、直ちにこの国への『正しき』忠誠を!!」
ネルアは言葉を叫び散らかす。声量は脅迫ともなる怒声の勢い。騒然たる言葉を耳では聞きつつ、青年は片手に持つカップを口元へと近づける。
息を数回、穏やかに吹き、冷ましていく。
まだ湯気の舞うレモンミルクティーを、ゆっくりとした瞬きと共にゴクリと口に含む。
一口含んだ紅茶は思った以上の熱さが保たれていたのか、青年は二口目に行く前にカップから口を離す。受け皿へと反射的にカップを戻した。
「あー、まだ熱かった。氷入れるか」
氷を二、三個ほど調達するために青年は狭いキッチンへと立ち上がった。
その言動はネルアの怒りを掻き立て、冷静さをなくさせる一方。
「ふざけるな!! 貴様の場合、人外ではなく人間のフリをして溶け込んでいるつもりだろうがそれももう終わりだ!」
二人の緊張感の差は明らかな程。ネルアの怒りと戸惑いは増すばかり。銃口は歩く青年へと向いたまま、少しの動きも見逃すまいと構えを辞めずにいる。
「何も演技をして世を渡り歩いてないさ。奇形への法は暗黙としてしか定められていないのが現状だろ」
「奇形が歩行する区域も目的も、この国では管理の対象だ!!」
『奇形』───── ネルアは青年に対してその言葉を何度も使う。ネルアは分かりやすく奇形を差別する。理由は人種によるもの。世界には大きく分けて二種類の人種の存在がある。
ひとつは人間。
ひとつは人外。
人間。ヒト科の哺乳類。四肢の内の二足を直立させて歩行し、生物的な老化の概念を持つ人種。
人外。ヒト科の哺乳類、もしくは非哺乳類。獣人や亜人、精神を宿した無機物の人型等、人間以外の形容で人間と同じ言語で意思疎通が可能な人種。一定の発育期間を過ぎれば生物個体としての変化が停止する特徴を持ち、老化の概念を持たない。
二種は違った異型で地球人としての人権を共通に持ち、何隔てなく共存をする。
互いに感情を持ち、脳の発達状況に差はない。
そして奇形。
奇形とは『人間 × 人外』で運悪くこの世に生み出された生物。
双方の異種交配によって誕生した姿はどちらにもなり得ない奇形児として誕生をする。奇形の見た目は様々。
奇形は『どこか』で『なにか』が食い違うように見た目や内部に大きく現れる。双方にしか存在しない内臓がぐちゃぐちゃと入り乱れたり、人間にも人外にも見られない狂わしい臓器の誕生など。
臓器過多により必要臓器が圧迫され、呼吸ができずに死亡の例。呼吸器官が生命的に足らず、巡っていないことに気づかずに一瞬にして死亡の例。
簡単に表すと寿命が短い障害者である。
想像しやすいケース、それは口や目、四肢の数が複数、はたまた合体されて一つだったり。足から手が生えたり、眼球から角や舌が緩い粘膜と共に伸びたり。生成された状態が不規則というのが大体である。
奇形の誕生にメリットはない。時代を通して、どの国でもその事実を理解している。
人間は人間同士での交配を。
人外は人外同士での交配を。
それが世界の暗黙としての基準である。
では何故誕生するか。答えは下らない見解。
単純なる興味本位からの実践によって生み出された一瞬の快楽での負の万物。
ろくでもない親となる人間と取るに足らない親となる人外。誕生を理解してしまった生殖側は、自身の中にいる奇形を吐物として捨てるか、死へ流させるかの二択を選ぶ。
選択の結果、世界の暗黙を破って万が一にでも誕生し、自我を確立させ、成長した奇形本人は隠蔽、殺害、廃棄、材料のどれかの餌食となる。
これらが奇形としての紛れもない定め。
『可哀想』が常識で当たり前の定め。
「どちらとも取れない化物が知らぬ顔で町中を彷徨くなど、おぞましく、不愉快で反吐が出る」
ネルアは立て続けに青年へ誹謗を続けた。自分らとは違う異種、つまりは奇形を動物で例えると答えは単純である。
動物と人間が入り交じり、よく分かりえない混ぜ合わされた変怪な生物が横断歩道をフラフラと歩いていたら即座に通報がかかるだろう。
それは人外からしても同様。
これがアリゾレッド連邦での共通認識。
奇形のデメリットを知った上で快楽は後に、単なる化物を生成するための手段と見て行動に移すヒト達がいるのなら、倫理を脱した狂い者くらいである。
「確かに、俺の両親はモラルのネジがイカれて左巻きだわ」
しかし、『奇形』は法的処置が難しい。直感で奇形と判断する脳とは引き換えに元を辿れば権限のある二種からの誕生なのである。
誰までを共犯として罪を処すかどうかを突き詰めても、他なる法も含めラインが難しくなるのが今の実態である。
その中、アリゾレッド連邦は奇形を『飼う』ことを処置としていた。世話を見てやる、差し伸べてやる、役目を与えてやる、これがこの国の遂行だと。
(…………でも、この奇形は何だ?)
ネルアは疑問を浮かべる。アリゾレッドの地で育ち、今まで見て捕らえてきた奇形とは明らかに違う。
普段、廃棄され拙く息をしている奇形を警官の名のもとに確保する。効率良く、納得のいく形で。連行に会話などあるわけがない。
奇形の大きさは様々である。しかし、精神面を見れば大抵成長仕切っていない。戸籍もなければ、種族としての権限もない。奇形で知恵を持ち、せいぜい生き残るのは軍に育てられ、脳を教育された後に前線で生贄となる一兵卒くらい。
(奇形にしては成長しすぎている。見た目は二十代後半 …………
いや、もっと上だろうか)
何かおかしい、それがネルアからの青年への印象。
限りなく人間に近い見た目だからだろうか。行動がこちら側と区別つかないほどだからだろうか。状況の落差からだろうか。
或いは全て?
あらゆる謎がネルアの脳をぐるぐると舞う。
見紛うことのない違和を持つ青年からの空気感こそが疑念の増幅の種であった。
(いいや、これはただ焦っているだけだ)
ネルアは自信を心へ唱え、自我を保つ。大きく息を吸い、震えた息を吐く。状況整理のための深呼吸である。
不安定な過呼吸とも見られる呼吸にネルア自身は無理矢理にでも息を飲み、整えようとした。
それは乱れをリセットするための応急処置に過ぎない。
「貴様のような奇形に認識も意思も必要ない。安寧は終わりだ」
青年は一人用にしては大きい冷蔵庫の大部分を占領する冷蔵室を開く。中身に目を移したままネルアには目もくれていない。
好機だった。
この部屋を訪れて、青年が背を向けているのは今が初めて。安心しきっている青年に銃弾を当てるには今しかない、とネルアは少しの笑みを零した。
静かに息を吐く。そして吸い、整える。
『思考よりも行動を』
それがネルアのモットーであり、正しさであった。
「あーはァ、そういや昨日で空にしたんだった」
青年は冷蔵室を閉じ、目当ての氷のために腰あたりに位置する製氷室を開く。
ネルアは忍び足で一歩を踏み出す。何か反抗の素振りを見せたのならば、すぐに撃ち込んでやるという姿勢で。
狙うは首。
生け捕りにするのならば足や腕、肩を狙うべきだがそれが通じなかった。
ならば下半身不随や全身麻痺の障害が青年へ残ってでも確実に取り押さえられる首を狙ってやるとネルアは目を熱くした。
(大丈夫。射撃には自信がある。こんな距離などいつもなら容易く射止めることが可能なんだ)
続けて一歩を出す。ネルアは『確実』が欲しかった。警戒している今、なんとしてでも。だから、できるだけの近距離を望む。少しずつ、着実に。
一歩ずつ息を殺しながら盗み足を青年へと向ける。音を立てず、ゆっくりと。
今度は外さない距離で撃ち込んでやる。
息を殺しながらまた一歩。
完璧なる確実を。
一歩。
また一歩。
大丈夫。
ドクン。
一歩。
大丈夫。
ドクンドクン。
また一歩。
自分ならやれる。
正当防衛で従わせてやる。
青年は一切もネルアの近付きに目を移さない。そのまま人間離れした黒い爪を目立たせ、骨張った素手で数個の氷を掴む。
製氷室を閉じ、冷気が青年の指の隙間から舞う。裏腹にネルアの体温は熱気に包まれていた。
自身の要件が済んだ青年はゆっくりと振り返─────────