3 ハッピーバースデー-②
ネルアがハーオス病院に来てから数日が経過した。
そして1月1日。
患者からのネルアの評価はまちまちである。
最初こそ怖がられる三つの要因であらゆる奇形患者を怯えさせた。しかし今はどんなに簡単な願いから困難な要望までとにかく喰らいつく様を見せつけていた。
その行動力は患者から少しばかりの信用を培わせた。
「ねぇねぇ、ネルアちゃん」
病室でベッドに腰掛けている奇形が一名。一人部屋の病室で患者はネルアに会話を求めた。
「なんでしょう? ナイフさん」
奇形患者の名はナイフという。
彼女は成人女性の形をしており、服を着ていない。普通ならそれは変質者として真っ先に捕えられるだろう。
しかし、ナイフの皮膚は見えない。それもそのはず、あらゆる刃物が身体中から飛び出している。
刃物で構築された体は余すことなく肌を隠した。
目はある、らしい。彼女の目元は当然ながら刃が守り覆っている。そのため、眼球を確かめることはできない。けれど彼女は刃の隙間からこちらを覗いている。
ネルアもナイフの怪我の手当てを任された時、彼女に薬を塗るのは一苦労だった。勿論、髪から鼻、歯まで折れたカッターのような物で形成されている。
そして微かに隙間から見える皮膚は赤い。刃物が飛び出ている接着面は所々瘡蓋で覆われている。
「ネルアちゃん。チミはどぉんな自殺未遂を? 自分を殺す感覚はぁ?」
ナイフは未知に対しての探究心が凄まじい奇形だった。
その姿勢はネルアと似ている。分からない点を放っておかない二人は数日間でかなりの仲を深めていた。
「そんなことは分かりません。オレはこの傷の感覚を覚えていませんから」
ネルアが自身の首元のチョーカーを触る。黒いチョーカーで隠されたその内にはしっかりと縊死未遂の傷が刻まれている。
「そんなそんなぁ。ヒトであるのに命を絶つという選択をした感覚を私は知りたくて──────────」
ジャキンッッッッ! と伸びた。刃が。
ナイフの右肩から大きな鉈が飛び出した。
「え、ちょっ──────」
ネルアは一歩下がる。反射的に。危険を感じたから。
彼女からの鉈は止まる。ネルアの眼球から五ミリセンチメートル手前で。
(う、後ろに下がっていて正解だった……)
ネルアは深呼吸をする。一息つくと知らず知らずのうちに構えを取っていた。
それは背中の腰から銃を取り出すポーズである。
しかし、当然ながら銃はない。
癖で銃を取り出す仕草を体はまだ覚えていた。
「ごぉめん、ネルアちゃん……ワタヂったらお喋りに興奮してしまったの。そしたら体から鉈ちゃんがぁ」
(……これも異能なのか)
ナイフもレヴィと同じく異能を所持している。
しかし二人だけではない。
入院している殆どの奇形患者が異能を所持している。
ネルアはここ数日で患者のカルテに目を通した。初めは異能ではなく奇病だと感じていた。しかし、目の当たりにした奇病は確かな異能だった。奇病といえば現実的に聞こえるが明らかに非科学的な物も多数見られた。
ネルアから見た奇病は全て異能と変わらない物だった。
ナイフの異能は『刃』である。見た通りの異能である。
ナイフは元々皮のない歯の欠けた人体模型のような奇形で生まれたという。
本人曰く、生きていく中で外界からのあらゆる攻撃を防御するために後天的に異能が備わったと話していた。
「ナイフさん」
「なぁに? ネルアちゃん」
「元気そうで何よりですがオレを殺そうとしないでください」
「ワタヂがチミを殺すわけないだろぉう」
ネルアはため息を放つ。ここ数日死が近い毎日ばかりだった。
「その……退院して本当に大丈夫なんですか?」
ネルアは事実を口にした。
ナイフは治療が終わり、基礎的な異能の使い方まで学んだという。
そんなナイフの退院日は今日だった。
「大丈夫だよ。これでもワタヂ、レヴィさんに異能の使い方褒められたんだからぁ」
ナイフは口元に右肩を寄せた。
そして口を大きく開く。
ナイフは自信満々にあムッ! と鉈を齧りついた。
ボリボリ、バリバリと金属的な咀嚼音が鳴る。ナイフは自身の刃でできた歯で飛び出た鉈を徐々に食い尽くしていく。
(な、何故当然のように食べる……? やっぱり奇形はヒトと違って内臓が異質なのか?)
ナイフはペロリと自身の体から出た鉈を完食した。
「はわぁ~~~~、お腹たっぷちゃんだぁ」
ナイフは自身の腹を片手でポンポンと軽く叩く。鳴る音はポンポンではなくカシャンカシャンだ。
ネルアは額に右手を添え、やれやれと首を振る。
「退院の時間までには荷物を纏めてくださいね」
「うひぃ、分かってるよん」
ネルアはふと下を向いた。
(退院は喜ばしいことだ……でも)
少し寂しい。
折角仲を深めたというのに別れが来るなんてとネルアは眉毛を垂らした。
しかし、ナイフは笑顔だった。それもそのはず、退院を待ち望む理由があったから。
「怪我も治って異能の使い方も慣れてきたからさぁあ、ようやくあの国に行けるんだよ」
「あの国?」
「楽園国家だよぉ」
楽園国家とはルイスギー連合王国のことである。
アリゾレッドから西に位置する島国。そこは情報が一才掴めない謎の国と称されちる。
「でもルイスギーは入ることができないと聞いたことがあります」
ルイスギー連合王国は巨大な謎の黒い結界で覆われている。こちらからは見ることすらできない。これは有名な話だ。
「そうだねそうだねぇ。でも入ることさえできればワタヂは幸せな監獄で暮らすことができるんだ」
ナイフは続けた。ルイスギーは何があろうと入国不可であり出国不可だという。
「そんな大きな牢とも呼べる国になぜ行きたいのかオレにはわかりません」
「なぁんだ、ネルアちゃん知らないのぉ?」
「何がですか?」
ナイフが微笑みながら答えた。
「あの国は世界で唯一、奇形差別がない国なんだよ」
ナイフの刃に覆われた内の目は輝きに満ちている。
彼女は両手を祈るように掴んだ。
「ワタヂにとってジディ様は神に値するから」
ナイフは笑った。
(ジディ……?)
知らない人物である。
けれどつい最近、どこかで耳にした気がする。
ナイフは立ち上がる。小さな傷の付いたトランクを持って歩く。
ガシャンと足音を鳴らし、床を傷付けながら廊下を歩く。
ネルアはナイフを追いかけた。
ナイフは病院の扉を開く。
そして雪が降り積もる外に出た。
「じゃあねぇー、ネルアちゃん」
ナイフは弾ける笑顔をネルアに向けた。
「ま、まだ退院時間まで二時間ほどありますよ!」
「さっき鉈食べすぎちゃったから歩きたいんだぁ」
ナイフは指という鋏をピースにした。
そして笑顔のままネルアに背を向ける。
「またねだぜ、ネルアちゃん」
そう言いつつ進んだ。ふと数メートル先でナイフは振り向いた。
ネルアは深く礼していた。手を太腿の横に添え、敬意を表すお辞儀をしている。
それを見たナイフは喜ばしげな気分のまま後ろを向く。
そしてそのまま手を振る。彼女は西を目指した。