2 ハーオス病院-④
「それと、ここはどんな病院です? 明らかにその人間も人外もいませんよね?」
「奇形専門だからな。詳しくは院長のヤーシャに聞け」
聞きに行こうとネルアは立ち上がる。
しかし彼がその動作を拒否するように手で『座っとけ』と示した。
レヴィは流れている監視カメラ映像へと目を移す。
小さく分割されたモニターには廊下を歩く院長が映っていた。
院長のヤーシャは診察室と書かれた部屋の扉を開きつつ、大きく欠伸をしている。その様子がリアルタイムで流れていた。
次の瞬間、ネルアの目の前に院長が現れた。
「はっ、ちょっ、なに、モニター室!?」
ヤーシャは何もせずとも大きな目を更にかっ開く。見開いたまま、即座にレヴィを振り向いた。
「レヴィィイイイイイ!! ボクこれ酔うから、やる時は連絡してくれない!? そしたら身構えるから!」
「身構えたってヤーシャは転移酔いするだろ」
ネルアも院長の転移には目を大きくした。ふとドアを見る。明らかだが閉まっている。開けた痕跡はない。
突然すぎる空間転移に慣れるにはまだ時間がかかると自覚した。
「ヤーシャさん」
「は、はいっ!? な、なななんでしょう」
ヤーシャは名前に反応し、急いで振り返る。が、振り返ったは良いものの、人間であるネルアだと気づき、飛び跳ねる猫のように距離をとる。ヤーシャは反射的に両腕で顔面を大きく隠しつつ、自信なさげに返事をした。
そこからはネルアによる質問大会が始まった。
ネルアのハキハキとした声にヤーシャは逃げられず、怯えながら答えを紡ぐ。
ここはどんな病院か、何処に位置しているのか、従業員の数は……など、ありとあらゆることをネルアは遠慮なく質問する。
座るネルアに対し、ヤーシャは立ったままか細い声で回答した。
奇形専門の病院、アリゾレッド北部の山奥、従業員は院長と副院長の二名しかいないこと、患者の数や仕組みの大体は普通の内科と変わらないこと、などが告げられる。
話が終わる頃には時刻は十七時を指していた。
「コーネルアス君」
「ネルアでいいです」
「あっ、はい。ネルア君、その……そろそろ帰らないの?」
ネルアは歪に笑った。
そして目を泳がせた。
(そうだった……実家にも帰れなければ、宿泊するための賃金もない)
ネルアの動揺は伝染するようにヤーシャへも動揺を広めた。ヤーシャの動揺は何かまずいことを聞いてしまったのではないか、地雷を踏んだのではないかという被害妄想である。
「じ、実は……」
ネルアは心の内を打ちまけた。
家も金も友人も何もかも持ちえていないことをしっかりと言葉にした。
発言にはレヴィもネルアを振り返る。ネルアは目線を落とし、悔し顔で手には力を入らせた。ネルアは苦し紛れに二人の目を見て懇願した。
「お願いしますっ! 泊めさせてください!!」
「いいぞ」
またしてもレヴィは簡単に答える。
ネルアは感謝の言葉を大声で叫び、深く頭を下げた。
許可の言葉にネルアは顔色をパァーっと明るくする。その傍らで大量の汗を流し、置いてけぼりを食らうヤーシャの姿。
ネルアは昨日までの経緯を二人に話した。それは泊めてもらうせめてもの理由だと判断したからである。どういう過程でクビになったのか、親への失望された状況、そして自殺未遂。それらを含めて昨日のことを簡潔にはっきりと述べる。
紆余曲折ある話の内容にヤーシャはアワアワし、落ち着かずに両の手で手遊びを始めた。
「まってネルア君。その、ええと……なんでキミの親がクビになったことを知っていたの? 連絡いってたとしても変じゃない?」
ヤーシャはネルアに頑張って問いかけた。
「それについては…………分かりません」
少しばかり重い空気が淀む。ヤーシャとネルアは同時に目を細めていた。
重苦しい雰囲気を打ち切るようにレヴィは口を開く。
「ネルア。お前、どうやって警官になった」
「どうって……別に普通にですよ。普通に試験を受けて合格して。家は貯金も少ない母子家庭で何度か落ちましたけど、三度目でやっと受かって」
数秒後、ヤーシャはネルアの発言に汗を浮かべてしまう。その表情にネルアは疑問を持つも、レヴィは変わらず微笑みを見せており、状況が飲めなかった。
「そいつはコネだな」
「うわっ、言っちゃうんだ…………でもボクもそうだと思う」
ネルアは眉を顰める。疑念を示すように首を傾けてレヴィの目を見た。
「コネ? 家にそんなお金はありません」
「だからもっとプライベート的なこと」
「プライベート?」
「例えば不倫とか」
「は?」
パリンッ、とガラスの割れた幻聴がネルアの中で響いた。
猛烈なグチャグチャとした感情がネルアの脳内に引き起こされた音である。それらは瞬間的に負の感情へと結びつき、ドロドロとしたものへ変わっていく。
「そ、そんなわけありません!!」
「その二人に裏切られたんだろ」
ネルアは言い返す言葉が見つからず、下唇を強く噛んだ。
「なんか可哀想……大変だったんだね」
ヤーシャはネルアの話を聞いてから、少しだけ気分が和らいでいた。感情移入し、心配が勝ち、一気にネルアへと距離を詰める。ふんわりと背中を摩ってヤーシャの目元は涙ぐんでいる。
よしよしと背を触れられていることにネルアは気づかない。それほど、ネルアの自律神経は一気に狂い始めていた。
ネルアの脳で嫌な想像が度を超えて映像化していく。
ケシェニカという上司と己の母は確かにネルアを罵倒した。しかし、その口で二人は交じり、喘ぎ合っていたのではないだろうか?
加えてケシェニカはネルアの腹、顔、腕、足という身体のほとんどを殴った。その手で母の身体のほとんどに触れ、抱き触っていたのではないだろうか?
ネルアの想像はストレスとなり、吐き気へと繋がっていく。
口元を抑え、ネルアは正直に現実から逃げ出したくなった。
蹲るネルアに対し、ヤーシャは『どうしよう、どうしよう』と医者らしい判断を下せなかった。慌てたヤーシャはネルアへかける言葉が見つからず、キョロキョロとネルアを見たりレヴィを見たりしていた。
「ネルア、ここで働けよ」
ネルアの脳が妄想から現実へと引き戻される。
レヴィはネルアの顔を一言で上げさせた。
彼は初対面の時と同様に、謎めいた微笑みを浮かべている。
「えっ、良いんですか!?」
ネルアが大声で返事をする。
「ああ。元々保護する予定だったし──────────」
「ちょっとレヴィ!? 何言ってんの、彼は人間。ダメでしょ」
レヴィの声を遮り、ヤーシャは声を上げた。ヤーシャはネルアの背から手を離し、レヴィへと困り顔で近づく。
ネルア相手には怖がっていた声も奇形であるレヴィ相手となれば声はしっかり発せられている。それもそのはず、ヤーシャは人間と人外が括られる『ヒト』に良い思い出がない。ここぞとばかりに院長の権限を主張しようとネルアを全面否定した。
「俺の容姿もほぼ人間だぞ。どうせ、従業員足りてねェから雇う予定だったじゃねェか」
「そうだけど、そうだけども」
「じゃあヤーシャの信用を得れなかったら即クビで。どうだ、ネルア。やるか?」
「やります」
「早ェな」
ネルアは迷いを振り落としたい一心ですぐに答えた。
俄然として目は燃えている。
ヤーシャはネルアの目を眩しく捉えた。そして数分悩む。
しかし、答えはすぐに出る。
ヤーシャはため息と共にネルアの要求に折れた。このハーオス病院で労働面での必要性を考慮し、ネルアへ震えたグーサインを出す。
ネルアはヤーシャへと燃え輝くほど眩しい自信に満ちた顔を向けた。
「ヤーシャさん含め、患者からの信用を得る。レヴィさん、これでいいですか?」
「ああ。部屋も支給してやるよ」
ネルアはヤーシャを見る。
ヤーシャは震えたグーサインを出した。
ネルアの状況を考慮し、反論をしなかった。それはネルアに対し、多少哀れみの情を持ったからである。
再度、ヤーシャはネルアの暗い昨夜を想い、肩をポンポンと触れた。
その行動は裏目に出た。
院長、副院長共に自身の願いを受け入れてくれたにも関わらず、ネルアはヤーシャを睨んだ。それはもう情景反射のようなものである。自分の背に触れている奇形らしい手にどうしようもなく拒否反応を示してしまったのだ。
ギロリとした目つきにヤーシャはすぐに手を離す。元警官の、奇形を取り押さえていた怖い視線は彼の恐怖の限界値を一瞬で超えさせた。
ヤーシャは逃げる。
扉を荒々しく開き、全速力でネルアを離れた。
「まずはお前自身が差別意識をなくさねェとなァ」
「すみません……」
ネルアは拳を胸の前でぎゅっと握り、歯を食いしばった。それと同時にレヴィの目を見る。
「……あなたは怖がらないんですね。普通、奇形ならヒトを恐れるはずですが」
「んー、そこら辺は国柄だろうよ。あとそれ差別的発言してるようなものだぞ」
ハッとしたネルアは両手で口を塞ぐ。
レヴィは苦笑をしつつ、立ち上がった。
「じゃあ空き部屋まで案内しますかね」
「はい」
二人はそのまま階段を使って一階へと上がる。
部屋の位置、それから病院の配置を分からせるための歩行である。ネルアは瞬時にそれを理解し、転移を使わないことへの納得がいった。
ネルアは二階の患者が使用する個室へと案内される。
部屋は相変わらずの黒い部屋。目立つように白いパイプ式のベッドや白い小さな冷蔵庫が置かれている。
ネルアは部屋を舐め回すように隅々まで調べた。部屋には机、エアコンからクローゼット、トイレに浴室も備え付けられている。
小さい病院ではあるが設備がしっかりしているところにネルアは素直に嬉しがった。
レヴィはモニター室へと戻ろうと扉を開いた。
しかし、立ち止まり、ネルアを振り返る。
「よろしく、ネルア」
「はい。よろしくお願いします」
レヴィはゆらりと手を振りつつ、部屋を出る。
ネルアによるハーオス病院での生活が幕を開けた。