09
「さて。お父様。お母様の病は直に完治しそうですわ」
「…………」
私は地下牢へ再び訪れて椅子を置き、鉄格子越しに父と対面する。
「どうかしら? 私も片手間に彼女たちの監視はしていたのだけど。
別に他人に本心を見せないことも人間だから普通ではあるわよ」
「……こんな」
もっとも多少の揺さぶりは掛けさせて貰った。
具体的に言うと浮気相手と妹が美人だと広め、その所在地を特定の伯爵家以上の家に広めたの。匿名でね。
そうすると浮気相手と妹の下へ釣書が届いた。
彼女らは嬉々として、それらを吟味し始め、ついでに父のことを罵倒していた。
『あの役立たずじゃ、だめだったからね。もっといい男を選ぶわよ』とか。
そういう方面の台詞だ。そして地下牢で彼女らの監視以外にする事がない父はそれらの台詞を聞いた。
「誓って言うわ。その魔道具に映した姿は本物。疑うのなら貴方を『透明』にして、直に目で見させましょうか?」
「こんなものを見せて私を閉じ込めて、お前は何がしたい……」
あら。
「ふふ。『私が何をしたいのか』と聞けるようになったわね? よくてよ。
以前までの貴方であれば、頭ごなしに私に命令するだけだったでしょう。
私の意思を聞かず、道具のように。奴隷のように。
貴方を閉じ込めて、いたぶった理由は当然、貴方のその認識を変えるため。
じゃなきゃ『話』にならなかったでしょう? あの子たちの姿を見せたのは……そうね。
実際、どうかしら? カルロス・ロット。
あちらの娘がお前の娘であることは確か。公爵家で養うことはしないし、援助もしないけど。
あの子も腐った性根で育つのは間違いないわ。
私が力を示す前のように欲をかき、この家や私を狙ってくる。
そうなった時、私はあの子を殺すしかないの。もちろん、証拠もなくやってのけられるわよ?
つまり、あの子の性格を叩き直さなければ、あの子は死ぬしかないのだけど」
行き着く先は破滅。私を見下す限り、私の地位を狙ってくるでしょうし。
その野心や欲望が捨てられなければねぇ。
「あの子をまだ娘として救いたい? あの女をまだ愛している?
あの女たちの正体を知った上で」
そう問いかける。私の質問に対して父が選んだ答えは。
「…………そう」
私は首を横に振った。哀れで、どうでもいい結末。
まぁ、死ぬよりマシと思えば私も気が楽かしら。
「お膳立ては整えてあげるわ。見通しの甘い卑劣さか。或いは裏切られたからこそ求める腐った愛情か。どっちでもいいけど」
ええ、父の出した答えは単純。
『浮気相手と妹を捨てる』こと。
監視した結果、聞いた彼女らの本音がどうしようもなかったらしい。
真実の愛を意外と本気で信じていたのか。
最後通告のために試す行動も取るらしい。
具体的に言えば『罠』を張る。
ま、私からすれば血縁上の父には変わりない。味方してあげてもいいわ。
試したいことは単純よ。
このまま、みすぼらしい格好の姿で、あの2人の前に立たせてくれ、ってね。
父からの提案。
そして彼女らがそんな父を見限り、見捨てるのなら。
母の元へ帰ってくるのだそうだ。
こういう男にありがちな『お前は俺を愛しているんだろう?』というヤツね。
まだ私のことも絆せると思っているのかもしれない。
力を示せば示すほど『こちら』に付いた方がいいだろう、という打算。
いいんじゃない? 目覚めた母が、それでいいと言うのなら。
ある意味、このために母を寝たきりにさせていたようなもの。
最低な男であろうとも、どうしても欲しかった男なんでしょう、お母様。
私は、ロット公爵家を守れて、結婚相手に口出しをされないのなら母の趣味を否定しないわ。
領民の生活が守られるのなら常識の範疇で資金も出しましょう。
かくして父の大芝居が始まったの。私の演出でね。
私自身はまだ彼女らの前に姿を現わさないわ。
「リディア! メルディアン! やっと見つけた……!」
それは私が用意した舞台。
とある伯爵家に協力をお願いして整えたわ。
子爵と結婚したばかりの子爵夫人なのに、娘連れで伯爵家に媚びを売りに来た二人の元へ父は訪れた。
「か、カルロス……!? 貴方、その格好は……!」
「お父様!?」
ボロボロの姿で伯爵家へ現れた父に驚く浮気相手リディアと妹メルディアン。
私はその場に居ないわよ? 虫の使い魔を飛ばして遠隔で見学中。
「探したんだ! さぁ、行こう! 公爵家にはいられなくなったが……ようやくマリアンから解放された!
堂々とお前たちを迎えられるようになったんだ! ああ、リディア、メルディアン! 私の本当の妻と娘よ……! ようやく真実の愛を結ぶことができるんだ!」
父が感動したように彼女らのそばに近寄る。
けど、予想した通りの反応を彼女らは示した。
「近寄らないで!」
ピタリ、と止まる父。
浮気相手は嫌悪感を滲ませて父を見る。
「何が真実の愛なのかしら? さんざん調子のいいことばかり言って。
結局、貴方は……、私たちなんて捨ててしまったんでしょう?」
「…………」
伯爵が微笑みを崩さずにこの茶番を見守っている。
彼女は、伯爵の前で滅多な台詞を言いたくないんでしょうね。
だから捨てられたことにした。
「ふむ。どうやら積もる話がおありのようだ。しばらく私は下がろう。終わったら声を掛けてくれたまえ」
「えっ……、あの。でも……私、怖くて……」
「怖い?」
「そ、そうです。怖い……! お父様、いいえ、この男が何をするのか分からなくて! 伯爵様! どうかお守りください!」
なんて父を悪者扱いして伯爵に庇って貰うスタイル。定番ねぇ。
「はは。その心配はないよ。じっくりと話し合いたまえ。私も愛する妻が屋敷で待っているからね。妻と一緒に過ごしているさ。だから気にしないで時間を使っていい」
「え」
「は?」
最初から2人の相手をまともにする気がなかった伯爵は、従者を連れて、さっさと屋敷の中へ去っていったわ。
残されたのは3人。
それを遠巻きに見守る騎士たち。
「……怖い、か」
ビクッと。震える2人。でも父は長期間の監禁生活で激昂する感情を失ったみたい。
静かに怒るようなその声色は、むしろ前より迫力があってよ。
「それで? お前たちはどうしたい。俺と共に来て俺と暮らすか。
たしかに娘が出来て、血の繋がった親子だ。公爵家ではなくなるが、それは元から。
マリアンに邪魔さえされなければ、そうなっていた関係だぞ。どうだ?」
「……公爵家でなくなって、それでどうするのよ?」
「どうとは?」
「貴方は伯爵家にも、どうせ戻れないんでしょう?」
「まぁな。既に兄貴が継いでる」
「じゃあ今の貴方はなに?」
「……マリアンとの離婚が成立すれば、ただの元貴族の平民になる。だが住む家ぐらいは用意してやれるぞ」
これは本当。長年の慰謝料としてね。
母からではなく私のポケットマネー……扱いの資金から。
まぁ母が問題だったのは間違いないもの。
いえ、監禁分と暴力分の慰謝料でいいかしら、そこは。
「は! バカじゃないの? 誰が平民のあんたなんかに用があるのよ!」
「…………メルディアン。お前はどうなんだ? リディアはともかく、お前の父親は間違いなく俺だ。俺と一緒に来ないか?」
「行くわけないでしょう? お父様……いいえ、もうお父様じゃないわね。
私を公爵令嬢にしなかったアンタなんか、私の父のわけないわ!」
うーん。清々しいぐらい。
あら? 妹はまだ私と同じ12歳なのだけど。
性根、叩き直せるかしら、この子。
腹黒いことは別にいいのだけどね。
「……そうか。では、お前たちはもう俺とは縁などないと言うんだな?」
「そうよ!」
「そう言ってるでしょう? そんな薄汚い格好して、みっともない! 今すぐ消えなさいよ!」
「……分かった。リディア。俺はもうお前など愛していない。金輪際ずっとだ。そしてメルディアン。お前も俺の娘じゃない。絶対に、二度と、俺にすり寄ってくるなよ」
「はぁ? 負け惜しみを言わないでくださる? 平民になるんでしょう。私たちはまだ貴族よ」
「そうよ! 早くどっかに行きなさいよ、汚らしい!」
「……そうか。子爵に好きにして貰うといい」
「は?」
父は、もはや憎悪も湧かないのか、冷たい目で2人を見下ろして振り返って去っていったわ。
去り行く父にまだ罵詈雑言を投げかける母と娘。
『物語』の破滅が決まった悪役そのままの人物たち。
まぁ、こんなものかしら。
ああいう状態にまで落ちぶれた父は、母の元へ帰ってくるつもりらしい。
流れとしては普通は?
母に見捨てられてから、あの状態になるんだけど。
お生憎。母は一連のこの顛末を知らずに寝ている。
心底からの『改心』とは言い難いけど。
『あんな女とは知らなかった』『これなら彼女の方がマシだ』と。
そういう風に思うなら。母が望む限りは……ねぇ?
いくつかの保険を掛けておいて、あとは寝たきりの母の看病を父に命じましょうか。
母が目覚めた後は領地の屋敷へ父と母を送りつけるわ。
公爵位を私に正式に譲って貰った状態でね。
その後はまぁ、適度に。2人で勝手に信頼を構築していけばいい。
これで……まぁ、父と母の問題は解決か。
浮気相手は、ともかくとして妹の性根はどうしようかしらね。
ここまで来れば放っておけばいい、私に関わる権利はない、というのが道理。
でもねぇ。あの子もまだ12歳。本当にその性根は腐っていて取返しがつかないのか。
あの母親と一緒じゃダメよね、たぶん。
……また荒療治、しましょうか?