77. 逃走劇
「……」
「……」
剝ぎ取られたズボンは、部屋の隅に剥ぎ棄てられていた。いそいそとそれを拾い、履こうとしたのだが、いまだに両手が手枷で固められているため、うまくいかない。
「あ、あの……ウェルテ……さん……すんません……」
「……は、はぃぃ……」
んで、どうにもならなかったのでウェルテに手伝ってもらうという。
「なんか……すまん」
「いえ……わたしは侍女なので……はい、終わりました」
ズボンの紐も結んでもらい、俺の危ない部分を隠すことに成功した。俺もウェルテも顔が真っ赤っかだ。
「あの、ウェルテ、これはほら、不可抗力ってことで」
「……そんなことより!」
動揺が収まっていない俺とは違って、彼女はすでに切り替えが終わっていた。
ここは、俺たちのことを執拗に狙うエルフェイの住処だ。地上で何か爆発があったようだし、あまりこんなところでゆっくりしている時間などない。
「逃げましょう! ランジェ様!」
そう言って彼女は俺の手を強く引いた。すでに、彼女の紅潮は収まり、そして、今まで見たことのないような凛々しい顔つきになっていた。
「あ、ああ。急ごう」
「こっちです!」
彼女は俺の手を引いて、牢屋から出た。俺は地上への道は全く覚えていない(意識が朦朧とした状態で連れてこられた)が、ここまで来たウェルテなら出口はわかっているのだろう。
「なあ、ウェルテ。さっきの爆発は、君の……?」
「はい。……わたしの魔法です」
連れられながら、彼女に質問したところすぐに返答があった。あの地響きは、彼女が地上でファイアをぶっぱなしたのが原因だった。
「だとしたら、地上は今頃……その、大惨事って、こと、か」
「エルフェイの聖域の、半分を吹き飛ばしました」
そしてさらりと怖い回答が返ってきた。ただその内容は、俺の知っているウェルテの口から発せられるものとは、大きく乖離していた。
「ウェル……テ?」
「でも、今のわたしの力では、全員を駆除するには至りませんでした」
「なあ、ウェルテ?」
「特に、あの強い力を受け継いでいる、シトリスとカルマンダの二匹。あいつらはいまだ健在です」
「おい、ウェルテ! どうしちゃったんだよ!」
俺はウェルテに引かれている手を振りほどいた。やっぱ、変だ。
ただ、一瞬、彼女がウェルテの姿を真似た『偽物』とも考えたが、偽物がわざわざ俺の無防備な姿を前に襲撃しない理由はない。
──なんなら、赤面しながらパンツ履かせてくれる訳がない。
「ランジェ……さま?」
「ウェルテ、どうしちまったんだ? なんか、変だよ」
だから俺は、彼女が偽物とは思っていない。ただ……何か変なんだ。
「……」
「なんというか、性格がさ、変わってしまったような気がする。そんな簡単に魔法をぶっぱなして、集落を焼くなんて事、俺の知っているウェルテにはできないよ」
「……」
「なあ、|俺の知っているウェルテ《・・・・・・・・・・》は、どこにいったんだ?」
「わたしは……ウェルテです! ただ……ちょっと、ほかの人の記憶が混ざっちゃったというか」
「ほかの人の記憶?」
彼女の言い分に耳を傾ける。
「たぶん、あのシトリス達がいう『世界樹』の記憶です」
「!?」
シトリスたちの言葉を思い出す。世界樹が発芽すれば、ウェルテの記憶は消え去ると。
けど……?
「ウェルテの記憶は……意識は、無事なのか?」
「はい、なんかわかりませんが、わたしの意識は、まだ残ってます。むしろ、わたしの意識のほうが勝ってるというか……とにかく、わたしはウェルテです!」
俺を見つめる真っ直ぐな目。
安直な考えかと言われそうだが、俺は、その瞳に嘘偽りがあるとは思えなかった。けれど、やはり性格が急に変貌した感覚は否めなかった。
「……昔のウェルテなら、いきなり村を焼くなんてことしない……と思う……」
「ランジェ様。わたし、世界樹の記憶から教えてもらったことがあるんです……こちら、見てください!」
そういうとウェルテは、俺の手を引いて牢屋の前まで来た。
ここも木の根が蔓延り牢屋の役目を担っていた。その木の根の隙間から中が伺えそうだ。
「? この中になにが……?!」
中を覗いた途端、その惨状と鼻を刺す腐敗臭にたじろいだ。
中には人間と思われる遺体が山積みだった。
腐りかけのものもあれば、白骨化した遺体もある。長い年月、そこに放置されていたのだろう。そして遺体はいずれも、そこかしこに噛み跡が見られた。
何かに噛みつかれ、まるでその部分を咀嚼し食われたような跡……まさかっ!
「エルフェイの食べカスです。エルフェイは人の生気を持って繁殖し、その後、肉や腸を食らうんです。一時的に快楽を与えられますが、その後は、生きたまま喰われます……」
「なっ……うっ……」
思わず俺は手で口を覆った。一歩間違えれば、この遺体と同じ運命を辿っていたのだ。
「生きたまま……って、なんで……」
「弄んでいるんです。世界樹の記憶によると、奴らは、すべての生物の頂点に立っていると勘違いしている、他を貪るだけの存在。植物の魔力を吸い、邪魔な動物は虐殺し、自らの繁殖用に人間を攫い、喰らう……この世界に生きる者たちにとっての、害獣なんです」
俺の手を握る、彼女の手が強張った。
ウェルテは、自らの口で自分自身は害獣だと言い放ったのだ。
本来の姿は世界樹なのかもしれないが(想像がしにくいが)、今現在は彼女はエルフェイ。それであって強い否定口調でエルフェイを罵った。
それほど、世界樹の知るエルフェイの素行は、凶悪なものだったのだろう。想像に難くない。
「ウェルテ……」
「でも信じてください! 今のわたしはウェルテで、世界樹でも、エルフェイでもありません!」
彼女はさらに強く、俺の手を握りしめた。真っ直ぐな潤んだ瞳が俺の顔を見つめていた。少なくとも俺には、彼女が嘘をついているようには思わなかった。ことエルフェイに対して少し性格が捻れているが、今目の前にいる彼女は、ウェルテだ。
(また、女の子を泣かしちゃったな)
彼女と初めて出会った頃を思い出した。
ククゥイ村から彼女を連れ出し、柔らかく揺れる馬車の中で、泣いた彼女。
トモエさんから『女の子を泣かしたのは減点』と厳しい評価をもらう中、突然奪われた俺の唇──。あの時の温もりは嘘偽りじゃない。まだしっかりと覚えている。
「──帰ろう! ウェルテ!!」
「!!」
俺の声は洞窟で反響した。その声に、ウェルテはビクッと肩を震わせ驚いた。
「え、と、ランジェ様?」
「悩むな! 君はウェルテだ! それ以上でもそれ以下でもない! だろ?!」
「──あっ! はい!」
俺の言葉の意味に気がついたウェルテは、さらに泣きそうな表情を呈したが、すぐに笑顔になってくれた。そして俺も俺で、彼女が何者であろうと、ウェルテとして家に迎える決意を固めた。
「ウェルテ、君は俺の侍女なんだろ! だから、笑顔で帰ろう! 俺たちの家に!」




