56.他愛もない会話
二週間という月日は、早いようで、やはり短いようで。
日常は、あっという間に過ぎていった。
ウェルテは、料理組の仕事にも、この屋敷にも、だいぶ慣れたようだ。家無しの彼女は今、屋敷に泊まり込みで仕事をしてもらっている。
仕事の覚えも早く、配膳係や皿洗いとして頑張っている。料理の方は……まだ少し時間がかかりそう。
そしてもう一つ、時間がかかりそうなことがある。
魔法の出力が、いまだ不安定なのである。
呪文は、ただ文言をなぞるだけでは効果がない。意味不明な言葉の羅列になるだけである。
その言葉の意味を正確に込めることで、呪文は効果を発揮する。そのため、多彩な魔法を扱うには、多くの呪文を暗唱し、かつ、言葉の意味を覚える必要があるのだ。
つまり、勉強が苦手なウェルテにとって、一番の苦行にほかならない。実践にはまだまだ程遠いとの、サーラの見解で、いまだに座学で、知識を叩き込まれている。
「……んで、いまはサボりか」
「休憩です〜っ!!」
つい先ほど、ウェルテは庭作業をしていた俺に会いに来た。
彼女は俺の冗談に、ぷう、と顔を膨らませ不快感をあらわにしたウェルテ。
そんな表情を見ながら俺は、ふふっと笑みをこぼしながら、庭に並べたプランターに水を巻いていた。
「あ、ランジェ様。ついでにこれを持っていけって、サーラ様が」
ウェルテは、サーラから預かった液体入りの瓶(一升瓶ほどの大きさ)を両手に抱えていた。それはおそらく、俺が調理組に依頼していた品物だ。
「お、サンキュ」
「……ランジェ様。いまは何をなさってるのですか?」
「ん? 見てわからんか、水やりだよ」
広大な庭の外れに並べられた、プランター群。
いずれの植物も芽を出し、花を咲かせていた。
ここは日当たりが良い場所で、たっぷり陽の光を浴びた枝葉は、太く丈夫に育っていた。
「この花はなんですか?」
「そか、知らないか。これはトマトだ」
「トマ……と? ……うーん……やっぱり思い出せないですぅ」
「いやいや! これは知らなくて大丈夫だよ! 今、俺が『名付けた』んだから!」
あまりに自然に会話していたため、彼女が記憶喪失だったことを失念していた。
「なーんだ、ランジェ様が名付けたのですね……って、そんなことできるんですか?」
よかった、あんまり気にしてないようだ。
「あ、ま、まあな。ここは新種を試験的に育てている、いわば試験場だからね」
そういって、俺はほかのプランターにも水をかけた。
俺の開花能力で、幾度となく、無理やり交配を繰り返した種。
それがちゃんと、普通に植えて、能力を経ることなく発芽し、実がなるかの最終確認を行っているのだ。
こちらの世界でも、トマトに似た野菜が数多く育ってはいた。しかしいずれの品種も虫がつきやすく、実は熟しても甘みや旨味は皆無で、それでいて寒暖差に弱かった。だから俺は、それらを適宜、配合を試みて、特に寒暖差に強く、甘みも十分な『トマト』を作り上げた。
「ただ、どうしても虫が寄り付くんだよなぁ」
「それは、ランジェ様が育てた草木や実が、美味しいからでしょうか?」
「なるほど言いえて妙だ。そうかもしれないな」
彼女なりの太鼓持ちか。それとも純粋にそう思っているのか。真意は確かではないが、悪い気はしない。
ただ、虫が寄り付くことは大問題で、せっかく作った食物が人間の口に入る前に害虫に根絶やしにされてしまう。
野生の獣なら、罠を張ったり柵を設けたりで対応できるが、虫となると物理的対処は難しい。大きさが小さい分、一番おいしい部分をかじられたり、致命的な病気を持ってきたりと、厄介この上ない。
「んで、秘密兵器の出番、ってわけ」
「? これが、ですか?」
俺はサーラが持ってきた、一升瓶を指さした。
(サーラにお願いしていたアイテムを、ウェルテが持ってきたというのは、もしかしたらサーラが気を利かせてくれたのかもしれないな)
ふと、そんな考えが頭をよぎりつつ、ウェルテの持つ一升瓶を預かる。
「ありがと」
「いえ、ありがたきお言葉……って、臭っせえええっ!!」
俺に瓶を渡した途端、彼女は瓶と俺から身を引いた。そして鼻を押さえるも、どうも手にも悪臭が染みていたらしく、さらにむせ返っていた。
「ははっ、瓶の蓋でも緩んでたか? この臭さが効くんだよ……って、マジ臭っせぇっ!!」
俺は、その瓶に何が入っているのかを知っていたため、ある程度の臭気は承知の上だったが、覚悟を上回る刺激臭が鼻をついた。
「なんなんですか、それ! ……うぇっ!!」
「こ、これはな、農薬だよ、農薬」
「のうや、く??」
「酢をベースに、刺激が強い物を混ぜて、煮出した液体だよ。この刺激臭が、虫除けになるんだ……にしては臭ぇっ! 分量間違えてねぇか?!」
俺は悪臭に仰け反るも、息を止めながら、用意していた霧吹きに注ぎ入れた。そして意を決し、トマトや他の草木の茎に、まんべんなく吹きかける。
……もちろん、風上に移動して。
「ランジェ様は、そういった知識もお持ちなのですね」
ウェルテは、いち早く風上に移動していた。この辺はちゃっかりしている。
「んー。まあ、見聞きしたのを覚えていただけだよ」
転生前。日曜の夜。
明日から仕事という事実に、鬱々としていた時間帯。
テレビをぼんやり見ていたときに目に入って来たバラエティ番組。
なぜか農業知識が豊富なアイドルが、土地開拓を推し進める番組だったが、そのとき紹介されていた自然農薬の原料を、ぼんやりと覚えていたことが功を奏した。
その正確な配合は覚えていないが、実際に試験したり、サーラ率いる調理組に調整をお願いしたりで、最近はそこそこ効果の出る農薬を作り出せていた。
「……ありがとう、T◯KI◯のダッ◯ュ村」
「なんですかそれ」
「気にすんな。それにしても今回は、一段と臭いがきついな……」
サーラたちの独断で、お酢の配合を間違えたのか、はたまた、種類を変更したのか。理由はわからない。後で確認してみよう。
俺は常に風下にならないよう、ちょこちょこ動きながら、慎重に農薬を撒ききった。
そしてウェルテも俺と一緒に、ちまちまと動きまわる。『もう絶対嗅ぐもんか』との思いからか、その時の彼女の表情がすごい険しく、小動物のように俺の後ろについてきて、ちょっと面白かった。
「それより、休憩は終わらないのか」
それからしばらくして。
農薬を一旦撒き終え、だいぶ匂いも落ち着いてきた。
しかしまだ少し残り香が……。早くこの場から離れたい俺。
使った霧吹きも、一升瓶も、一旦はここに置いておこう。
しかし彼女の行動は、俺の思いとは真逆だった。
「もう少しだけ……。もう少しだけ、ランジェ様が作った花を見てから……」
そういって彼女は、臭気が落ち着いた頃合いに、プランターに近づいて花を愛でていた。
「きれい」
と、小さなトマトの白い花をみて感動する彼女。
俺もしばらく、彼女を見ていた。
微笑ましい光景かもしれないが、しかし、俺の心の中は穏やかではなかった。一つの心配事が、心のなかでジワジワと広がってきていた。
昨夜、あのククゥイ村が壊滅したとの情報が飛び込んできたのだ。
村人の殆どが、何者かの集団に襲われ命を落とした。
そして、巨大ななにかに村全体を蹂躙させられた。という。
野盗によるものにしては、規模がでかい。
それに、巨大ななにか、という点も引っかかる。
もちろん、犯人は捕まっていないどころか、目星すら着いていない。
「……厄介事にならなければいいが」
あの村は、僅かな接点とはいえ、つい先々週に関わっている。こちらまで何らかのトラブルに巻き込まれるのはゴメンだ。
今の日常を壊されるのはご遠慮願いたい。
とはいえ……。
「……そんなジロジロ見られると恥ずかしいです、ランジェ様!」
「お、ごめんごめん」
無意識に、俺はウェルテを見つめてしまっていた。
顔を真赤にして照れるウェルテ。
一方俺は、そこまで微笑ましく離れなかった。
どうしても一つの可能性を思い浮かべてしまう──。
『なぜあんな辺鄙な村が襲われたのか』
しかしながらその考えは──中庭から聞こえた、絹を裂くような悲鳴によって遮られたのだった。




