第009話
(しまった……またやらかしたか……?)
時の流れが間延びするかのような沈黙。
額に冷や汗を浮かべる俺の背筋は、寒くもないのに震細かく震える。
俺が掛けた制服を握りしめたままソッポを向く北河は、押し黙ったまま目も合わせてくれない。
何か癇に障ることを言ってしまったのか。
学校じゃ女子と絡む機会なんて殆ど無かったから、空気感とかよく分からない。
(これ以上ボロを出さないように今は黙ろう)
そうして再び訪れた沈黙。草薙はスヤスヤと寝息を立てている。
居た堪れなくなった俺は「温泉でも入るかな」と呟いて立ち上がり、赤いトレーラー・ヴェルファイヤーの裏へと回る。
『グルッ』
制服のズボンとアンダーウェアを脱いで、スカイライナーに預け湯船へ浸かる。
「くああ~~」
体に溜まった疲れを溶かすよう、肩まで湯の中に沈めた。
夜鳥と虫の鳴き声がBGM代わり。
ふと上を見れば、紫黒の夜空に満天の星たちが瞬いている。
(そういえば、あの子なんて名前なんだろ)
不意に泉で出会った女の子のことを思い出した。
輝く星々が彼女の赤い瞳を思い起こさせたのか。それとも湯に浸かることで水を弾く玉ような肌を連想させたのか。
「また会えるかな」
ポツリと口を突いた一言。
自分でも驚いた。
名前も知らない……それどころか会話もしたことのない誰かと『また会いたい』だなんて、人見知りな俺には初めての経験だ。
――バサ……。
「ん?」
優しい衣擦れの音に目線を遣れば、湯気の向こうに人影が見える。
白く濃い湯煙のせいで薄っすらとしか見えないが、そのシルエットは恐らく女性。
緊張が、ゴクリと意図せず喉を鳴らす。
(もしかして……あの黒髪の子?)
頭に浮かんだ第一声がそれだった。そんな不自然極まりない考えに至ったのは、今の今まで彼女のことを考えていたせいか。
(でもどうしよう! こんな所でまた会ったら今度こそ変態だと思われる!)
出会い頭に胸を掴み裸を見るという最低な第一印象を与えてしまったのだ。これ以上誤解を招く訳にはいかない。
焦燥から思考が覚束ない。軽いパニック状態の俺は何を思ったか、そっと湯の中へ潜り身を隠した。
(なにやってるんだ俺は……)
自分でも行動の意味を理解できない。恐らく『隠れよう』という気持ちが先走ったのだろう。
幸いと湯は色濃く見通しが悪い。隠れていれば見つかることはないだろう。
とはいえ、ずっと潜り続けることは不可能。
(反対側から、音を立てないように出よう)
白い湯気が姿を隠してくれることを祈りつつ、俺は湯の中で身を翻した。
そして音を立てぬよう水面から目だけを出した、その瞬間。
俺の目の前に、カピバラが居た。
眠そうに半開きの円な眼。ぬぼーっとした間抜けな顔で、気持ちよさそうに湯あみしている。
おちょぼ口から伸びる齧歯類特有の前歯。硬く茶色い毛並みに《《ずんぐり》》と大きな体。
間違いなくカピバラだ。
いつの間にか湯船に浸かっているだけでも驚きだと言うのに、カピバラは器用に前足を使って手拭いを自分の頭に乗せた。
『プキュ〜〜〜ッイ』
甲高く間抜けな声を上げた。
「ぶふぉっ!!」
風船から空気が漏れたような鳴き声。
不意打ちを喰らった俺は思わず吹き出して、湯船から飛び出し立ち上がった。
「可愛いモルモットかおのれは!」
思わず入れたツッコミの叫び声。飛沫と共に四散し響く。
『誰か居るのですか?』
湯気の向こうから声が聞こえた。若い女性の声だが北河や草薙ではない。もっと冷ややかで大人びた雰囲気の声質。
直後、ビュウと一陣の風が吹きぬけた。
分厚い湯気が掻き消されて、その向こうに見えるシルエットが顕となる。
結論から言おう。そこに居たのは赤い瞳の少女ではなかった。
だが俺は言葉を失った。
なにせ驚くほど綺麗な女性が、湯に入ろうと足を漬けているのだから。
ミルクティベージュの長い髪と、同じ色を呈した切れ長の双眸。くびれた腰と長い脚に思わず眼を奪われてしまう。
湯の縁石に腰掛け片足だけ湯に漬けている姿が絶妙に艶やかで、芸術的な肢体も相まって視線を逸らすことが出来ない。
驚き呆ける俺と同じく、女性も驚いた顔で俺を注視している。
視線が交錯した瞬間、俺はハッと我に返った。
「あ、す、すみません! ここ、もしかして貴女のお風呂でしたか?! てっきり無料開放の露天風呂だと思って――」
そこまで言いかけ、俺は釈明の苦笑い浮かべながら後退りするもツルリと足を滑らせた。
大きな音と飛沫を上げながら、湯船にダイブし腰をしこたま打ち付ける。
「痛てて……」
顔を顰めて腰を摩る。そんな俺の眼前に、
『大丈夫ですか?』
女性が手を伸ばしてくれた。
だが俺はすぐに顔を背けてしまう。
なにせ彼女はその豊満な胸を隠そうともせず前屈みになっているのだから。
(さ、逆さの双子山……)
親切心から手を差し伸べてくれているのに、邪な目で見てはいけない。というか見ては二度と湯から立ち上がれない。俺は理性を総動員して差し出さられた腕だけを見た。
「……ん?」
すると女性の腕に翠色した何かが付着している。肩から肘にかけて、歪な鱗みたく肌に張り付いて。
湯気で分からなかったが、肩や腕の所々に同じような緑色の石が付着している。石というより軽金属の結晶体か。
「この結晶、どこかで……」
眉間に皺を寄せながら俺は記憶の糸を辿った。すると、その時。
「どうかしたの、長瀬?」
ヴェルファイヤーの影から、北河がチラリと顔を覗かせた。
俺の背筋にひやりと冷たい何かが走る。
※この作品は小説投稿サイト【カクヨム】にも掲載しています。
※現在小説投稿サイト【カクヨム】にて新規作品を連載中です。良ければ御拝読ください。
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