4.帰り道
カツ、カツ、カツ、カツーー。
股下83cmの綺麗な脚がコンパスのように規則的な円弧を描いて、田舎道のアスファルトを音を立てて蹴る。
葵は、土居中高校からその最寄り駅へ向かう下校路をひとり歩いている。
歩きながら、剛のことを思い出している。
今日の剛の指導で、やっとわかった気がした。なぜ、自分が水泳をやっているのかが。
水泳への情熱を失ってハリボテになっていた「人魚」。その名前の中身を剛に与えられたような気がした。
葵は思う。
ーー自分はこれから、あのコーチに認められるためだけに泳ぐのだろう。
葵はななめ45度下を見ながら、脚だけさかんに動かして歩く。
自然と足早になっている。
早く家に帰って、ぐっすり眠って休んで、明日になって学校に来て、また水の中に入りたい。
…正確に言うと、早く水の中に入って速く泳いで剛に褒められたい。
認められたい。見られたい。自分が人魚のように華麗に泳いでいる姿を。水泳関係者の中に恐らく大勢いるであろう自分のフォロワーにではなく、剛に。
まさかこの自分が…水着の肢体を衆目に晒すたびに視線恐怖症を悪化させていた自分が、泳いでいる姿を誰かに見られたいと思うだなんて。
ーー剛の2回目の指導が終わったあとのロッカールーム。つまり、ついさっきのこと。
競泳水着を脱いで、肌と髪の大敵である塩素水を流すためのシャワーを十分に浴びて、それから上下の下着と制服を着けて、髪を普段よりも長めの時間を費やして整えて、普段は膝下まで長くしているスカートを少し巻いて短くしてから…やっぱり同じ年頃の女子高生のように化粧品を持ってきてればよかったかな、と思った。
葵はロッカールームの扉に手を掛けて、後ろを振り返る。室内にはやはり自分と同じようにいつもよりも手間と時間を掛けて身だしなみを整えている理子と優。いつもは3人で帰ることも多いのだが。
「ボクは、ちょっと部室を掃除してから帰りますっ。お疲れ様でした葵せんぱいっ!」
優はそう言ったが、3人しかいない部室はそんなに散らかりもしない。わざわざ1人残って掃除をする必要があるだろうか。
理子部長も…
「優ちゃんの掃除が終わってからプールと部室にカギを掛けなくちゃ…ほら、誰か入ってくるとその、マズいし…おつかれさま❤」
と、横に垂らした髪の手入れをしながら言う。
あんなに化粧をして…。見た目のお手入れにそんなに時間がかかるものなのだろうか。自分は普段しないからわからないが、気になる。そして、ヘンタイが入ってくるとマズいからカギを掛けるのはわかるが、みんな水着は持って帰っているし1人残ってまで施錠の確認をする必要はあるのだろうか。
そう思っている葵も校内を出る前に"彼"をちゃっかり探したが、指導を終えた剛はすでにどこかに消え去っていた。
なので、いま1人歩いている。
馴れ合うよりも、そちらの方が気楽でいいと思った。2人は自分にとっての唯"二"の友人だけど、友情と初恋は別の問題…やはり、自分は負けず嫌いなのだ。
葵は大切なことに気がついたような気がしていた。そういえば自分が水泳を始めたのも、幼い頃に母親から「やれ」と言われたからだった。唯一の肉親にただ褒められたくて、始めたのだ。そして、カラダと水泳の腕が成長するにつれて母親とは徐々に距離ができて、自分は水泳を続ける理由を見失っていただけ。
いつの間にか、続ける理由を自分の人魚としてのプライドに置き換えていた。ココロの中で起こっていた変化に気がついていなかった。
だからこれからは、あの人のために、泳げばいい。自分は誰かのために泳ぐことしか出来ない人間なのかもしれない。人一倍他者との関わりを避ける自分は、本当は誰よりも依存体質なのかもしれない、と今日のところはそう結論づけてみる。
田園の中の田舎道を、駅に向かって1人歩く。剛がすでに居なくなっていたので、スカートはいつものように戻してある。いや、いつもよりも長めにしていた。男と初めて触れたこのカラダも、あまり人に見せたくなかったからだ。ただ恥ずかしかった。シンプルな気持ちだったが、その感情がどこから来たのか自分でもわからなかった。
本当にあのコーチといると、初体験とわからない事だらけだ。なんにもわからない間に、ただ惹かれてしまった。それはもう、認めざるをえない。
「コーチ…」
なぜか、つぶやいてしまう。
「黄金指 剛コーチ…」
ーーふふ、変な名前。
変な名前を、もういっかい、言ってやろう。
「こが」「せんぱーいっ!!おつかれさまでーすっ」
幸福な自分ひとりの世界に浸っていた葵は、いきなり後ろから優に話しかけられた。
「ミーンミンミンミン…」
「なんですかそれ?コガネムシ?じゃなくて、セミ?」
後輩の後ろからの襲撃に、ブロック塀にへばりついた虫になってやり過ごす葵。
「あのさ…いきなり大声で話しかけないでって前にも言ったよね…?私それ1番キライなの」
「あは!先輩って意外とお茶目なんですね。顔にナニか付いてますよ」
葵の内心のドキドキなど意にも介さず、とぼけた表情で優が葵の顔についたホコリを取る。きょとんとしたかわいらしい優の顔が30cm前の15cm下にある。優の髪もよく見れば、いつもよりふんわりと仕上がっていた。
やっぱり、いつも自然体な優には勝てない。だから多分、自分はこの後輩に常に憧れと嫉妬を抱いている。
「そういえば、掃除は終わったの?」
「あ…はい!けっこうすぐ終わりましたよっ!」
「ふーん…」
大方、自分同様に剛に会ってから帰ろうと思ったのに見つからなかったのだろう。すでに駆け引きは始まっている。
でも、優にも歯切れが悪くなる時があると知って葵はすこし嬉しくなった。
バス停に差し掛かった。
「せんぱーいっ!アイス食べましょうよーっ!アイスーっ!」
好物のドングリを見つけたリスのように突然優が90度直角に方向転換してぴょんぴょんとスキップでしながら自動販売機に駆け寄った。そのダイナミックな動きで一瞬、いや三瞬くらい純白でシンプルな形状"の"が丸見えになった。
優のスカートは普段からかなり短いが、今日はさらにその限界までを狙っているのか、脚と尻の境目くらいまでしかない。チキンレースのようにキワキワまでに攻め上げているので小動物の優が少し跳ね回るだけですぐポロリチラリとしてしまう。優と同じクラスの男子は、毎日このような無自覚な無地の"お溢れ"にあずかっているのだろう。
「どれにしようかな~♪」
自動販売機の前で中腰になりながら真剣な表情でアイスを選ぶ優。膝に手を当てて色とりどりのアイスの写真をまじまじと眺めて吟味している。
「あ…」
ゆえに、スカートもずり上がりチラリじゃなくて8割方モロリとしてしまっている。布地の撚れ具合もわかるくらいに。
「ちょっと優。あの、白いのが」
よって、色はもちろんその直角二等辺逆三角形の形状もすべて見えている。突き出された股布が、そのより濃い白色の扇形の存在感を主張しつつも「頂角はココであるとする」と言いたげなほどに設問内によりわかりやすい指示を与え、内角の和を導き出しやすくしていた。
したがって、頂角の先端部にあたる禁断の頂点Aを始点とした一本縦筋からなる垂直二等分線の対称軸が、上下逆さまの底辺の中点に相当する箇所であるところの点Pにまで至っており、二等辺三角形の条件である左右の線対称を満たしているという事や、健康的に日焼けした肌と縁のゴムが食い込む日焼けしていない白肌の境界に定置する頂外角がスカートに隠されていて見えない2つの底角の和と等しいという結論が得られるであろうことは数学が得意な葵ならカバンからノートとペンを取り出すまでもなくアタマの中で容易に推定できる。
であるからして、結論として現在の状況は証明するまでもなく丸見えだった。いくら人通りのほとんどない土居中の道とはいえ、あんまりにも無防備過ぎる。
「ど・ち・ら・に・し・よ・お・か・な♪」
熾烈な競争を駆け上がったミントチョコとダブルストロベリーの白熱の決勝戦を見守る優の顔が卓球の珠を追うように動く。メトロノームのようなその規則的なリズムに合わせて優のカラダもくねくねと動く。それに合わせて丸くて身長に対しては割に大っきめで日焼け跡と白い"の"が丸見えなお尻が、まるで葵を誘うようにぷっちんぷりんと蠢いている。
「いやあの優どちらというかぱんちら」
「…おぉ。葵君に優君じゃないか」
「ウッ!?」
いきなりの剛の出現。人間に戻ったはずの葵はまた一瞬デバッグモードに入ってしまった。
「…コーチ。お疲れ様です」
ロボットから回復してピボットでくるりと振り返りつつも、優の場所のすぐ後ろに立って剛の視界をすぽっ、と塞ぐ。剛はパンツ一丁の姿から上下赤のジャージ姿に着替えて、スポーツバッグを肩から提げていた。
「もう帰ったと思ってましたが、まだ学校にいたんですね」
「更衣室が遠くてな。教員用のトイレを使わせて貰ってるんだが…もう少しなんとかならないか相談してるところだ」
そうだ。服装も振る舞いも体育教師でしかないけど立場上この人は部外者だったのだ。使う者のいないプールの男子更衣室と男子トイレは施錠されているため、教員用トイレのある校舎までは少し歩かなければならない。
「お?2人して買い食いか?」
「あ、あのいま優がアイスを選んでてその白いのが丸出しであの白いのってアイスのことじゃなくて」
自分がポロリしてしまったわけでもないのになぜか焦る葵。律儀に後輩の背中を守っている。
「あっ、コーチ!さっきぶりです!」
優も、剛が来たことに気がついた。
「アイスならオレが奢るよ…サイフに小銭が溜まりすぎて重たくなってたんだ」
と、言いながら剛がポケットからパンパンに膨らんだ小銭入れを取り出した。ギッシリと中身が詰まっていてズッシリと重そうだ。
「えっ!いいんですか!?わーいっ!♪」
ぴょんっとジャンプして、白い"の"と喜びを同時にあらわにする優。
「あ、えっと。ありがとうございます…」
「ははは。なんのなんの!」
生徒たちの買い食いは剛として問題ないようだった。水泳の指導中以外は気のいいお兄さんでしか無いっぽい。
剛にアイスを1本ずつ買ってもらった2人。葵は別にあまり食べる気はなかったが、流れで買ってもらうことになってしまったため仕方がない。
「いただきまーっす!あーー…」
包み紙を破り捨てた優が、円柱状の棒アイスにかぶりつく。
「…ーんっ!ぐじゅじゅぼべろるろぬじょぬれろえるるろ!!」
「うっ…!」
優の強烈なトルネードスピンが掛かったサイクロンバキュームな食べ方を見て、思わず葵はうめき声を上げてしまった。なんだか知らないが見ていてゾワゾワして不安な気持ちになる。
優のピンク色の舌べろが棒アイスを下から上にそって見せびらかすように舐めあげたり、先端を洗濯機のように反時計回りのドラム式で責め立てたりして、しゃぶりちらかす。強烈な舌使いで責め立てられて、見る見る内に細くなっていくアイス。
「ちょ。ちょ。ちょ。ちょっとちょっとちょっと優」
「ぐぼじゅぼるちゅぶちゅぱろれろれろれろちゅぱっ…はい?なんですか?葵先輩?」
「いや。ちょっと。その、なんというか…それ、いつもそうやって食べてるの?」
「あ、もしかして食べ方おかしいですか…?ボク、ちっちゃい頃からこうなんです。えへ❤」
「おかしいというか、凄まじいというか…」
クチの周り一面に白濁のベトベトを塗れさせ、棒アイスを咥えながらクリクリしたつぶらな瞳の上目遣いで見上げる優。
「優君は水泳にも間食にも一生懸命だな!何ごとにも前のめりなその姿勢…素晴らしい!」
「えへ♪ありがとうございますっ!」
剛以外の成人男子がをそのピンク色のアナコンダがクリームの上をヌメヌメとのたくるが如き舌使いを目撃していたなら、前のめりどころか前かがみになっていてもおかしくはない。
「…あっ!ボクばっかり、ごめんなさい!コーチも食べますか?」
自らの体液でヌトヌトになった棒アイスを剛に勧める優。自然体にもほどがある。すでにどこからが棒アイスでどこからが優のエキスなのかもうわからなくなっているソレを人に勧められる天真爛漫さが葵にはうらやましい。やはりこの後輩はあなどれない。
「ハハハ!オレは甘いモノはいいよ」
優の提案を剛が謝絶したのを見て葵はとにかくホッとした。田舎道のバス停でなぜ自分はこんなにも緊張しているのか。
「ぐっぽ!❤ぐっぽ!❤ぐっぽ!❤ぐっぽ!❤ぐっぽ!❤ぐっぽ…!❤」
そうこうしているウチに優の舐め上げは新たな段階に移行していた。目はニコニコさせながらクチはひょっとこのように窄めて、溶けて細くなったアイスを手に持ったまま顔を前後左右上下斜めに動かしてハイスピードトルネードピストンをブチかましている。おクチにアイスを、というよりはアイスにおクチをブチこんでいる。
「ゆ、優??それは誰から教わったの…?」
「へ?」
「おクチから迎えてあげてください」とバーテンダーに言われでもしたのかクチいっぱいに頬張るようにして奥深くまで咥えこんでは蛸のようなクチで出し、また一番奥まで吸い戻すディープなスローティングを繰り返す優。まるでアイスの先っちょの汁を喉奥で味わっているかのようだ。しかもちゃっかりとグビグビ動かして先端部を責めることにも余念がない。アイスの中から芯棒を吸い出そうとでもしているのか。
「うーん…教わったというか、自然とこうなったというか…しいて言えばママですかね?小さい頃、ママが家の冷蔵庫でよくアイスキャンディを作ってくれたんです」
「そ、そう…なんだ…」
優の母親は、優に見た目も性格も良く似た愛想の良い美人主婦だ。葵は大会の応援席で一度目にしたがある。優とはすこぶる仲が良く、見た目も性格も若々しいので優の姉かと思ったほどだ。
「はいっ!…パパもコレ大好きらしくて、『ママの"アイスキャンディ"は最高だ!腰が抜けるかと思ったよ。毎晩でも味わいたいね』ってよく言ってましたっ!」
「そ、そう…?なんだ…」
優の説明にいささかひっかかる点があったが、葵の人生経験ではなにもわからなかった。
「じゅろろろろろろろろろろろ………!!❤❤❤」
葵がやや混乱している間にも、歯医者でクチに溜まった唾液をバキュームで吸われる時のようなくぐもった重低音が優のノドからゴロゴロと響いている。舌ベロも左右にテロテロと動かしているのか、優のアゴがにゅるにゅると揺れていた。アイスがすぐ溶けてなくなってしまいそうな激しい舌使いだ。
「あーあ、吸いすぎてもうこんなにしおしおになっちゃった…」
「残しちゃダメだぞ。作ってくれた人に申し訳ないからな」
剛もクチを挟んできた。この2人に挟まれていると、葵はこの世界の捉え方がよくわからなくなってくる。
「もちろんですっ!❤あーーーん…ちゅばっ❤じゅるるるっ❤」
優がこれでトドメと言わんばかりにちゅるちゅるとおクチ全体をすぼめて、先っちょから最後に残ったお汁まで吸い上げた。
「んぐ…じゅるっ❤じゅるるるるるるるっ…❤ごくっ❤ごくっ…❤……ごっくん!❤❤❤……ぷふーっ!一滴もこぼさずに全部飲めましたっ!❤ごちそうさまでした、コーチ!❤」
「よくできました!優君!」
「えへへっ♪とっても美味しかったです!…あー、吸いすぎて棒がこんなにシワクチャになっちゃった」
「本当によかったよ。いい舐めっぷりだった」
「そ、そんなぁ…❤ホントですか?」
「ああ、優くんに舐めさせるのがクセになりそうだよ」
「えへへ❤ボク、これ大好きだからずっと舐め続けられますよっ♪24時間でも❤」
「おっ、頼もしいな。じゃあまた今度見せてもらうとしよう」
「はいっ!…また溜まっちゃって重たくなった時は、いつでもボクを呼んで下さいねっ❤❤❤」
「ハハハ!よろしくっ!」
相性バッチリな師弟に挟まれて、葵はなぜか遠い目になっている。
「あっ、コーチ!みんなーっ!」
「おっ。理子君も来たな」
理子が制服の前を揺らしながら駆け足でやってきた。探していた剛がやっと見つかったからか、それとも念入りにした化粧をお披露目できたからか、大層嬉しそうだ。
「コーチっ!お疲れ様ですっ❤」
「おつかれ、理子君…水泳に関することではないが、制服の着こなしにも注意しなさい」
「きゃっ!❤やだ、私ったら…❤コーチに追いつきたくて、ここまで走ってきたから外れちゃったのかしら…❤」
理子はなんと制服のボタンの3番目までを外していた。普段は上まできっちり締めている優等生の理子が、今日は変な方向でおかしい。そして剛は全然変わらない。
「あ、アイスおいしそ~。私も食べようかな…」
「理子くんも食べるか?オレが奢るよ」
「えっ!?いいんですか?」
「いただきま~す…れろ、れろ、んふ…ちゅっ、ちゅっ…❤れろ、れろん、れろろろろん…❤❤」
理子は剛に買ってもらったアイスを左手に持ちながら右手で髪をかきあげて、自分の横顔とクチの端のホクロを強調させながらねっとり、れろれろ、ねるねるねるね、と円柱の外側をナメクジが螺旋階段を登ってゆくように舌べろをローリングクレイドルさせながら舐め始めた。…が、さきほど優に最後まで変わらない強烈な吸引力を見せつけられたあとでは、ややインパクトに乏しい。
制服のボタンから覗くIの字の谷間に、ぽと、ぽと、とアイスの汁が落ちている。理子のカラダの丸みを強調させるようなラインを描いて。
剛にアレをされて以来の理子は、どこか変わってしまったようだ。まるで剛にナニか大切なモノを奪い去られてしまったような、「責任とってくださいね」とでも言いたげな恨めしげな目をしている。優しくておっとりしているだけの先輩だと思っていたが、これが女の情念というものなのだろうか.
いま理子が着けているピンク色に白の刺繍が入ったかわいくも色気がある”の”は競泳水着よりも布地の丈が狭く、白い肌が見えている面積が大きい。理子の自慢の桃まんの谷間付近にのっかっている胡麻粒、つまりホクロが見えている。白いモチ肌と黒いホクロのモノクロニスムがこれまた鮮やかで、あざとい。葵はデジャヴを見てしまった。
「んふっ…ふぅっ…れろぉ~っ❤れろぉ~っ❤れろぉ~っ❤」
理子の糸目が遠くの山でも見つめているかのようにうっとりとしてきている。舐めているだけで自分の世界に入ってしまっているようだ。アイスが溶け出してその甘ったるい雫がポタポタと、白く濁った液となって理子のホクロ付近に落ちてきた。それが谷間上部のバミューダトライアングルに溜まって、逆三角形のプールとなる。まるで理子の胸からミルクが湧き出てきたかのように。
「るろん❤るろん❤るろん❤るろん❤るろん❤るろん❤」
「どうした?葵君。食べないのか?」
「…た、食べますよ。もちろん」
葵は思わず見入ってしまったが、優の強烈なディープインパクトを目の当たりにしても動じなかった剛には、情念のこもったスローライフなポリネシアン食いも響いていないようだ。
「ぬぼっ❤ぬぼっ❤ぬぼっ❤…ん、ごくっ……濃ぉい…こんなのノドに引っかかっちゃう…❤」
こちらに注目されていない事に気づいた理子は、さらに舌をネジ込むように円柱の上部にぐぽぐぽと洞窟を作って、反時計回りのドリルで掘り進んでゆく。アイスをグリグリと舌べろで穴をほじくるように責め立てる理子。優のワザとはまた違ったスローに責め立てるテクニック。
人によってアイスの食べ方もこんなに違うのか、とさらなるカルチャーショックに襲われる葵。理子の清楚な顔がベトベトのアイスの白濁液で汚れていく。技術点で勝る優のダイナミックな艶技に対抗して芸術点を獲りにいく作戦だ。
「葵君は、チョコレート味が好きなのか?」
「いや別に好きというわけでは…」
が、やはり審査員の目には留まっていなかった。
葵もアイスにクチを付けようと包みを破ったはいいが、剛に見られていると、どうも食べられない。剛の前でアイスクリームをペロペロ舐めるのも、カプカプ齧り付くのも、なんだか恥ずかしい。
結局、剛からすこし顔を背けて口元を見られないようにハムスターのように啄む。緊張して味があまりわからない。
「しかし、こうやってみんなで外でアイスを食べるってイイな。オレも学生の頃を思い出すよ」
「…その時は誰と食べたんですか?」
葵はうっかりそう訊いてしまって、後悔した。自然にクチをついて出た一言だった。剛の発言の一言一言が耳に残って、それをじっくりと考えてしまう。
「…」
剛は答えない。なにかココロの大切な箇所に触れてしまったのだろうか、と不安になった葵が剛をチラリ、と見ると…。
「…」
剛は、顔を俯けて腕時計を見ていた。
いつになく真剣な表情をしている。
「…葵君」
「は、はい。なんですか?」
剛にいきなり真剣な顔で迫られてなんだかドキドキする葵。
「時計持ってるか?いま、何時かわかる?」
「え?時間ですか?」
スマートホンを取り出して時刻を確認する。
「…いま、17時20分です」
「まずい!時計が止まっていた!早くいかなければ!次の電車が来るのが10分後だ!」
いきなり剛がそう叫んで、だっ!と走り出そうとする。
「わ、わかりました!私も一緒に行きます!」
また、クチをついて言葉が出てしまった。今回は、理子と優もちょっとびっくりしている。
「いや。あのそういう意味ではなく私も電車なので遅れちゃうとまずいし。ほら。犬がその」
でも、走り出した恋は止まらない。理子はバス、優は徒歩、そしてアイスはどうでもいい。眼の前であたふたしている男と一緒にいる時間にくらべれば。それに、剛と一緒に駅まで走るなんて、なんだかわくわくする。手なんか繋いじゃったりして。それはないか。…今はまだ。
「キミはアイスを食べてなさい!オレは走る!それじゃあまたな!」
「え。あ。あ…じゃあ持っていって食べます!」
「それはいかん!電車内は飲食物持ち込み禁止だ!」
あ、そういう所は気にするの?と葵は思った。
いったいどうすりゃいいのさ、と混乱する葵に、剛は…。
「よし!わかった!葵君!ここで頑張ってすぐに食え!オレが応援してやる!」
「は?」
「コラッ!」
剛の怒声がズシン、と葵の腹の底に響く。その響きは脊椎を伝わって葵の脳髄に至り中枢神経を揺さぶる。一瞬で葵は、寝る寸前の2歳児のような夢心地の顔になった。
「いいからつべこべ言わずに早く食べろ!」
「ワッ、わかりました!いま舐めますからっ!」
ナニも言っていないのに怒られた葵はもう犬になるしかない。
「すぐ舐めるんだッ!!」
「わ、はいっ!…べろっ!ぐちょっ!ぐぼぼぼぼっ!!!」
葵は、今しがた学んだばかりのテクニックを見様見真似で繰り出した。
「おっ!いいぞ!イイ気迫だ!アタマから行け!」
「わひっ!…じゅぼろろろろろっ!じゅむっ!じゅばっ!おろろろっ!!」
持ち前のアスリートとしての体力とセンスを存分に活かして眼の前の目標に喰らいつく。
「あむっ!んぐっ!!ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」
「いいぞ葵君!キミはスジがいい!もっとスジに沿って舐めろ!」
「うっ、うわ…すご…葵先輩があんなに犬みたいにベッチャベチャのグッチョグチョになって…」
「はげし…ああぁ…す、すっごい…顔全部で舐めてるみたい…あうぅ…」
そして、天才に『ホンモノ』を見せつけられて圧倒される2人。
「コラッ!歯を立てるな!もっと下から丁寧に一滴残さず舐めとれ!よし!ウマいぞ!」
「はっ、はひ!はむ、あむ、ちゅぷ、ぺろ」
「あきらめるな!あきらめるな!唾液を振り絞れ!全身、一枚の舌べろになれ!!」
剛は中腰になってハチマキが似合いそうな熱血漢に早変わりし、両の拳を握りしめて葵にハッパをかける。葵は猛烈な冷たさを我慢して決死の覚悟で敵に食らいついている。
「はふ、はふ、ぺろ、える、ろぽ、じゅま、じゅま、るろ、うろ」
「やれんのか!?やれんのか!?えぇ、葵君!キミはやれんのか!?」
葵の体力が限界に近いことを即座に見抜いた剛は、葵の精神を昂揚させる手段に切り替えてきた。
「ちゅぶっ、ちゅぶっ、やれます!やれます!私、やってみせます!べろべろべろ!ちゅぶっ、れろっ!」
自転車に乗った農家のオジサンが呆然と眺めながら走り去っていく。
意識が朦朧としてきた葵は一瞬なぜだか知らないが剛を舐め回しているような錯覚に陥り、全身の産毛が逆だって、カラダの芯が熱くなってくる。右手でアイスを舐めながら左手で自然と自分自身のカラダを掻き抱いていた。
「よし!いいぞ!葵君、キミは舌使いもセンスがいいな!…コラッ!気を散らすな!眼の前のブツを舐めることに集中しろ!」
「ちゅぶっ!ちゅむっ!はむっ!れろっ!えろっ!るろれろべろぐちょねちょっ!」
剛の上げては落として、落としては上げるアメとムチの応酬。
「もうちょっとだ!こぼすなよ!垂らすなよ!しっかり舐めろよ!しっかり飲め!全部飲め!」
「れろっ!るろっ!りろっ!らろっ!んろろろろろっ!!」
葵は、剛に熱い眼差しで見つめられながら棒にヌメヌメと残ったとろとろのミルクをすべて舐め取って、飲み干した。
「葵君!よくやった!がんばったな!」
70年代の熱い抱擁で葵を抱きしめる剛。
「むぐむじゅべろれろ」
「もういいんだ!葵君!もういい!休めっ…!」
葵は、いまだに陶酔の表情で棒から滲み出てくるエキスを噛みしゃぶっていた。
「あううぅぅ…も、もうあんなの5秒前じゃない…」
「すごい…!青春ぽくてキラキラしてますね…!なんだかイライラもするけど…」
「イけたな、葵君!今回のタイムは1分5秒!!上出来だ!」
「はひ。はひはほうほはひはひは」
剛に叱咤激励されながらソフトクリームを一心不乱に舐め狂ったおかげで、葵はなんとか1分少々の自己新記録となる好タイムでアイスをやっつけることができた。が、アイスを食べたせいではないゾクゾクした寒気がまだ背筋に残っている。そして顔は真っ赤で目はウルウルに潤んでいた。ただし口元の感覚はまるでない。
「よし!全速前進!オレについてこい!」
「はひ。ひひはひょお」
氷点下を猛スピードで味わったせいでヒリヒリする舌とズキズキするこめかみを感じながら、バスの停留所から電車の停留所に向かって剛と葵は走り出す。
「ああぅ…2人であんなに激しくぅ…」
「イっちゃいましたね…」
残された2人の前の田舎道を、跳ね馬のエンブレムが印象的な真紅のスポーツカーが葵たちとは逆方向に駆け抜けていった。どこかの地主のムスコが乗っているのだろう。