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「何だい、山でひどい人間を拾って来たって聞いたけれども」
じろり、と強い眼光の婆さんが、カンニャンの抱えている男を見やる。
そして上から下まで眺めた後、婆さんは彼女に言った。
「この男、何が原因か知らないが、皮膚をかきむしっているね。それに草や泥でかぶれたと見える。カンニャン、あんたさっさとその男を丸洗いしてきな。手当はそれからだよ。ああ、髪の毛も刈り上げておくれ。頭も相当、かきむしっている」
慌てふためいていたカンニャンと違い、経験がものを言うメイホァ婆さんは冷静だ。カンニャンはとりあえず、腕利きの薬師である婆様の言う通り、男を丸洗いすべく、井戸の方にむかった。
既にこちらに来た子供たちが、ありのままを話していたからだろう。村のおば様の一人が、鋏を持ってきていた。
「ほら、使いな。うわあ、ひどい。悪夢を見そうな状態だね」
「触るとわかるんだけど、熱もすごい」
「それだけ赤くはれてれば、そりゃ熱も出るわよ。ほら、さっさと洗って!」
ここで手伝う、と言えないのは、仕方がない。カンニャンが拾って来たのだから、この男の責任は皆、カンニャンが持つ事になるのだ。
そのため、なにくれとなく声をかけてくれるし、必要そうな道具は貸してくれるものの、実際にこの自分より体格の大きな男を、カンニャンは一人で文字通り、丸洗いした。
下履きまで引っぺがして洗わざるを得ず、年頃の娘なら見なくてもいいだろうブツを目の当たりにしても、カンニャンは動じなかった。
子供たちが、真夏の暑い時期、水遊びする時に素っ裸なのと何が違う! という発想の転換である。
これが年頃の、うら若き乙女であれば、出来なかっただろうし、周りもさせなかっただろう。
だがカンニャンは十三という、乙女というのはまだ幼いが、十分な働き手という年齢だった。
それに、カンニャンなら大丈夫だろう、という謎の認識も村では働いていたのであった。
そんな村の女性たちの考えなど知る事もなく、カンニャンは洗い終わった男の体を、子供たちがいそいそと持ってきてくれたぼろきれで拭った。こうして清潔に洗っても、体液がにじみ、血がにじむ体をしている。
それをまた担ぎ直し、カンニャンは今度こそ、メイホァ婆さんの仕事部屋に入った。
そこは色々な薬草や香草が干されて壁につるされ、独特の匂いに包まれた小屋である。
壁一面にたくさんの引き出しがある箪笥が置かれ、さらにその上のざるにも薬草が詰まれ、壺の中では熟成するべき薬がたくさん詰まっている。
そこの囲炉裏の真ん中では、ちょうど炎症止めと痛み止めとかゆみ止めに、抜群の効果がある彩燦蚕の糞から作った薬が、水に溶かされて泡立っていた。
相変わらずの激臭である。この匂いはものすごく、臭い。洒落にならないほど鼻が曲がる、と言ったのは誰だったか。
子供だって泣いて嫌がるが、これ以上に効果がある塗り薬は、村にはないのだ。
「あ、ぼろきれ包帯!」
子供の一人、フェンがざるにそれなりの量の包帯を持ってきて、入口で足を止め、そこに包帯を置いて転がるように逃げていく。匂いに耐えられなかったのだ。
カンニャンも鼻をつまみたいが、男を抱えているわけで、どうしたって無理である。
「早く入りな」
「うん」
カンニャンは頷き、いつのまにやらジィズゥがざるを背中に乗せて、彼女を見上げている。
「ありがとう、手伝ってくれて」
「あんたの蜘蛛と同じだけ、子供たちも慣れればいいのにな」
ひひひひ、とメイホァ婆さんが前歯が一つ抜けた口で笑う。
カンニャンはとにかく手当てが先だと意識を切り替え、老婆が示したむしろの上に、男を寝かせた。
「良し、冷めた。あんたが布を薬に浸して巻きな。わたしゃやらないよ」
「手伝ってくれたっていいのに」
「あんたが拾って来たんだ。あんたが死ぬまで面倒を見るのが当然さ」
「はいはい」
言いつつカンニャンは、囲炉裏の薬に指を突っ込み、泡立つわりに熱くない薬液の中に、ぼろきれを浸す。そして軽く絞り、男の体を入念に覆っていった。
なるほど、頭の炎症もすごい。
というか、顔の炎症がこの男の中で一番惨かった。いったいどれだけ痒くて、顔をかきむしったんだろう。皮膚がある場所の方が少なく、肉が見え、ところどころ白くもある。
「……ばあちゃん、この人の炎症なんだと思う?」
「さてね」
「え?」
聞いたカンニャンは意外に思った。というのも、メイホァ婆さんは色々な物を見てきた人生だという事で、あらゆる怪我や症状に詳しかったのだ。
その婆さんが、分からない、と言った事に近い発言をするなんて、滅多な事じゃない。
そんなにこの炎症は珍しいものなのだろうか……?
田舎の山奥で、子供の作った蟲用のわなに、どうしてそんな男が引っかかるのだろう……
もしかして、症状がひどすぎて、治らないと判断されて、山に捨てられたのだろうか?
たまに聞く話だが、このあたりの山の中には、ぽつぽつと村があり、だいたい捨てられた人は村人に保護されて、そのまま村の住人になっている。
麓では変な病でも流行りだしたのか? 夏だし……?
そんな事が気になった彼女だが、今は手当が先のようだ。
メイホァ婆さんはその間に、別の薬を煮溶かし始めている。
「そっちは?」
「毒見蟲の抜け殻さ。炎症を治すにも体の中の悪いものをださにゃならない。これから三日はあんたの覚悟と根気が試されるよ」
毒見蟲、と村で呼ばれている手のひらほどの大きさの蟲は、人間と同じものしか食べない。つまり、人間が食べられない物は食べないため、未知の食べ物を取ってきた時に、判断材料として使われる蟲だった。
一家に一匹以上飼っている蟲で、これの抜け殻を煎じた液体は、強力な毒だしの作用を持つがその分、体の消耗が半端ではない。
メイホァ婆さんがこれを用意するのは、手遅れになるぎりぎりの患者の時だけだ。
この正体不明の男を診て、村一番の薬師は、それが必要だと判断したのだ。
理由が何であれ、それを使うべきだと。
「……飲ませられるかな」
男はぴくりとも動かず、呼吸だけがかろうじて男が生きていると知らせている。
こんな状態の男に、果たしてうまく飲ませられるだろうか。
「飲ますのはやってやるよ、これにはコツがいるからね」
頼もしいのだかなんだか。男の体中に包帯を巻いたカンニャンは、男のかろうじて開く口に、婆さんがその薬を一匙、一匙、飲ませるのを手伝った。
「さて、飲ませたら隣の掘立小屋にいれな。間違ってもあんたの巣穴に入れるんじゃないよ、蚕を汚すなんてもってのほかだからね」
「うん」
「ちょうど蚕のまぶしも終わったんだろう。だったらあんたは三日くらい、男の面倒を見てもいいはずさ」
婆さんが患者から目を離した。つまりもう、婆さんがする事はなくなったという事だ。
「とりあえず、今から族長様に報告してくる」
「そうしな。もし男たちが探している盗人が、この男だったら。男たちは忙しい時期なのに、山に入らなくてよくなる」
さっさといけ、と尻を叩かれる勢いで男ともども掘立小屋に追い立てられたカンニャンは、ぼろっちい莚に男を寝かせ、ちらっとジィズゥを見た。
「……様子見、頼んでいいかな」
まかせろ。というように頼もしい大蜘蛛が動く。器用に感情を示す蜘蛛である。
カンニャンは男をちらっと見てから、急いで族長の四合院に向かった。
四合院では、昼に報告のために戻ってきた男たちとすれ違う。彼等は苛々していた。まだ見つからないと苛立っているのだ。
そんな男たちに話しかける事をせず、カンニャンはまっすぐ族長のもとに向かった。
「族長。山の中で男を拾い「何故まだ見つからないのだ! このあたりの山に最も詳しいのは、この村の男ではないのか!」
カンニャンが報告の声をあげようとした時、怒声がその場で響き渡った。身をすくめる大きさの声だ。誰だ。族長相手に怒鳴るなんて……
ちらっと奥を覗くと、族長が頭を下げている。
「申し訳ありません、しかしかならずやお探しの貴人は見つけ出せと」
「一日の猶予もないのだぞ! このあたりの蟲は都と違い、けた外れに大きく凶暴だ!」
「申し訳……「謝ってもあの方は見つからないのだぞ! 何とかしろ! ええい、我々も探しに行く!」