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「派手にやったな」
「なんだ、ヤーユ兄さんの耳まで、市場での騒ぎが聞こえてきたって言うの?」
「あれだけ盛大に目立てば、おれまで簡単に聞こえてくるぞ。おれの耳はそこまで衰えていない」
自宅に戻ったランは、大叔父があきれ果てたと言う調子でそう言ってきたので、市場の騒ぎはあっという間にこちらまで届いたのだと知った。
村での出来事だって、簡単に一日で広まったので、人の多い街なら余計に広まるのは早いだろう。
ランは靴を脱いで家の中に上がると、ヤーユはどこから入手したのか、何かの肉を囲炉裏であぶっている。
「何を焼いてるの? 私の知らない匂いがする」
「馬肉だ」
「馬……? 馬って高級なお貴族様の乗り物で、食べ物じゃないと思うけど」
「しわしわのまともに走れないじいさんやばあさんは、最終的には人間の胃袋の中に入る。そう言った馬にまで、餌をくれてやる余裕のある貴族ばかりではない」
「ふうん……。で、兄さんはどうしてそんな物を手に入れられたの」
「馬頭琴を作って欲しいと頼まれてな。報酬代わりに肉の欠片をもらってきたというわけだ」
「兄さん、ばとうきんって何?」
「馬の皮と骨と筋とその他から仕上げる楽器だ。蛮族の楽器だが、今の皇帝には蛮族趣味があってな。そう言った物を作って欲しいと依頼が来る事もある」
「……兄さん兵士だっただけで、楽器作りの人じゃないでしょ」
「蛮族にしばらく捕らえられていた時期に覚えさせられた」
「……」
ランはそれを聞いて、そうだ、見た目こそそれなりに若く見える大叔父であるが、重ねた年月は自分の五倍近いのだと思い出した。うっかり見た目がとても若々しく、自分より十歳も年上に見えないものだから、つい若者の感覚になっていたらしい。
蛮族がこの国の兵士達を捕まえていたような、大きな蛮族との戦は、もうランの年齢よりも遙か昔の話で、蛮族に蚕の作る生糸を渡すようになってからはそんな戦は起きていないのだ。
「ヤーユ兄さんって長生きだったっけね」
「そうだ。いい加減見送った友達に会いたくもなるが、あいつらに長生きしてくれよ、と最後に言われてばかりだったからな。これからもしぶとく生き続けるだけだ」
ぼりぼりとそり残しのひげをひっかいたヤーユは、彼曰くじいさんの馬肉をランの方にわける。
「熱いうちに食え。冷めたら脂が固まってうまくない」
「はあい」
肉ならなんだって食べられる自信のあるランは、馬肉にかじりついてからぼそっと言った。
「筋っぽい」
「よぼよぼのじいさんだからな。当たり前だ」
「兄さんそんなにあっという間にかみ切れてすごくない?」
「慣れ方がある。年の功だ」
意味が正しいのか正しくないのか、ヤーユはそう言って馬肉を飲み込んでいたのだった。
夜の食事が終わればもうやる事はない。下々の身の上に、明かりの燃料は高い。周辺の家のほとんどが、食事が終わればむしろに横になって寝てしまう。
そのためランもそう言った生活をしており、歯を磨いてからむしろに横になる。ヤーユはこれからしばらく、家の中にこもって馬頭琴を作るのだろう。彼の仕事は何でも屋のような側面があり、その仕事内容によって家を早く出て行ったり、こもり続けたりする。
仕事が一定しない人というのは、村ではランが見た事のない人種だが、街は人間の闇鍋で、蛮族も胡人も多いのだから、仕事を色々持っている人だってそれなりにいるらしかった。
「ジィズゥ……」
ランはむしろの上に横になって、寝返りを打ちながらも、生まれた時からそばにいてくれた、あの大きな蜘蛛の足の立てるガシャガシャという音が聞こえないのが、さみしかった。
その存在の気配がない事だってさみしかった。
「いまどこにいるの。お前は大丈夫? 足は痛まない……? 私はいつだってお前を思っているよ」
ランは小さく呟いて、夢を見るならほとんど覚えていない母よりも、ずっと一緒だったあの蜘蛛の夢が良い、と思いながら目を閉じた。
「なあなあ、あんたのその上着を譲ってくれないかっていう話があるんだ」
「お断り。大体何で今更そんな話になるのさ? あり合わせの物をかき集めた貧乏人の上っ張りだって、皆で馬鹿にして、貧乏人の着る物って言ってたのに」
あの騒ぎから数日の間は、ランの周辺の環境には変化が無かった。どうも、年端もいかない少女が大きな大刀を弾き飛ばしたという話が、眉唾物とされたからであるようだった。
確かに、実際に見なければランがそんな事をしたなんて思いもしないだろう。
だが、一週間ほどの時間が経過したある日、孫の誕生日だから鶏の肉を買いたいと言った近所のおばあさんに付き添って市場に行くと、ランは顔見知りの商人にそう声をかけられたのだ。
聞いたランは怪訝な顔でその話を断った。
白く白くさらした麻よりも白いランの上っ張りの正体を聞いた商人達は、皆声をそろえて、貧乏な山奥の貧乏人の上っ張りで、びた一文にもなるか怪しいと言っていたのだから。
そのため、今そういう話を持ちかけられても、ランからすると意味のわからないお願いだった。
「……あの騒ぎを、蛮族の若い族長の側近が見たとか見てないとか。で、大刀の鋭い刃すら通さないその上っ張りが欲しいと言っているとかなんとか」
「えー、知らないって。これは私の上着で、これからも貧乏人の上着って事にしておいてよ」
「こっちも噂、噂、また聞きのまた聞きって感じで、正確な話が回ってこないんだよ。でも一応、知らせておく親切心があったんだよ。あんたにゃ山羊の恩がある」
「ふうん。まあ一応頭の片隅に置いておく。あ、おばあちゃん! その鶏よりもそっちの鶏の方が太ってる気がする!」
ランは顔見知りの商人との会話を切り上げて、鶏選びに熱心な近所のおばあさんの方に駆け寄っていったのだった。