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カンニャンの出発は、とにかく急いで準備が行われた。というのも、第一夫人が怒り狂い、何をするかわからなかったし、その娘が、母の恨みで、どういう行動をとるのかも、予測できなかったのだ。

いいや、ある意味予測は出来たかもしれない。カンニャンに危害を加える、という側面に関しては。

そう言った事情から、カンニャンは、村の子供たちに、手短に別れを告げ、そして看病している男の所へ行った。


「……というわけで、私は、ここから去って行かなくちゃいけないんだ」


あんたの看病を、最後までできなくってごめんな、とカンニャンが詫びると、彼は包帯の向こうから、哀し気な目を向けてきた。

そして、いきなりカンニャンの手を掴んできた。

掴んだ手に、渡されたのは、彼の身元を証明するかもしれない、あの佩玉である。


「これ、どうするっていうの」


流石のカンニャンもこれには動揺した。こんな贈り物をもらう理由がない。分からない。

これはこのお客人の大事なもののはずだ。

それをこうして、村から去っていく女に渡すのはどうしてだ。

目を見開き、固まったカンニャンに、彼は視線を向ける。何か言いたげな瞳で、なかなか動かせない、ぎちぎちにまかれた包帯の奥で、とても静かな感情が、彼女に向けられていた。


「お、れい」


「あんた、しゃべって……」


一拍遅れて、彼が覚悟を決めたように、包帯を無理やり動かし、言ったのはそんな言葉だった。

とても短くて、しかし明確な単語。お礼、と彼は言ったのだ。

彼は両手でカンニャンの手を包み込み、じっと、彼女を見つめる。


「……お礼に持って行けって?」


カンニャンは、相手にこれ以上無理やり喋らせたくなくて、そう、問いかけた。

彼が、それを聞き、こくりと頷き、それから、目を細めた。

そうだ、と肯定する仕草だった。

この男にとって、カンニャンが行った当たり前の事のいくつかは、それだけのものを送るにふさわしいお礼だったのだ。

そういう事に、カンニャンはやっと気が付いた。でも、どうしたって言いたい事がある。


「なあ、もしも、もしも、ジィズゥに何かあったら、あんた、出来たら、庇ってやってくれないか。あんたを見つけて、私に助けさせたのは、あいつなんだから」


もしも、本当に例えば、あのとてもやさしくて頼もしくて、強い蜘蛛が、この村に戻ってきてしまった時。

自分は庇えない距離にいるだろう。その時に、このお客人なら、何かしらの、カンニャンが思いつかない力で、守ってくれやしないだろうか。

カンニャンはそんな事を思って、頼んだ。


「あんたを助けたのは、私じゃないんだ。あの、優しいまだら模様の大蜘蛛なんだ。だから、頼む」


カンニャンの懇願に、男は静かに頷いた。

そしてカンニャンは、夜明け前の、まだ暗く、道も怪しい中、一人大叔父さんの元に旅立った。





「……リャオの娘が来ると聞いていたが、ずいぶんやぼったい娘が来たな」


都の方にいるという、大叔父を頼って、延々と一人移動していたカンニャンだったが、その大叔父の家である、結構なあばら家の前で、大叔父と初めて対面する事になった。

大叔父は、ちょっとありえない位、若々しい男である。大叔父というのだから、それなりに老人だと思っていたのに、現れたのは、父の族長よりも若く見える男なのだ。

流石にこれには、戸惑う以外にどうすればいいのか。

そして顔を合わせた途端に、やぼったいなどと言われて、もう、どうするんだと言いたい。

ちなみに、リャオとはカンニャンの母の名前だ。美しいという意味と、炎という意味を持った彼女は、確かに華やかな燃え上がる炎の明るさに似た、美しさだったという。


「……初めまして、ええと私は」


「名なんて聞かなくていいだろう。どうせ呼び名は……字は違う」


大叔父は面倒くさそうにそう言った。


「お前はなんと己を呼ばせる」


大叔父はやはり面倒くさそうな声で、そう問いかけてきた。確かに、字は自分で決められる物だし、変える事も出来るものだ。

だがカンニャンは、もう、何年も、カンニャンとしか呼ばれていなくて、新たな自分の字を、思いつかなかった。

完全に戸惑った顔をした娘を見て、何か察したのだろう。大叔父は溜息をつき、いった。


「その顔、どうせカンニャンという役割でしか呼びかけられた事がないんだろう」


「……うん」


「お前の父親もろくでもない。自分の娘の名前くらい、ちゃんと呼んでやればいいだろうに」


大叔父は、父族長すら、カンニャンを役割名でしか呼ばなかった事に対して、少し呆れているらしかった。

確かに、父親は無条件で、娘の名を呼んでいい存在だ。確かに普通は、娘を役割ではなく、名で呼ぶものだ。

だが、これから一緒に生活するのに、どう呼びかければいいのだろう、そしてどう呼んでもらえばいいのだろう、と全く分からなかったカンニャンが、途方に暮れていると、大叔父が言った。


「お前はランと名乗れ」


「……のろまだからですか」


「お前は一流だ。ランにはそういう意味もある」


つまり、一流のカンニャンであったから、ランと名乗れ、と大叔父は言っているらしい。

では大叔父を何と呼べばいいのか。カンニャンが問いかけようと口を開くと、大叔父が先に言った。


「俺はヤーユだ。名は……忘れた」


「大叔父さん、物騒な字なんですね……」


ヤーユとは伝説にある、人喰いの猛獣の事である。


「戦争にばかり参加して、全部で生き残ったからな、ついた字だ。絶対に生きて帰って来る、人でも食って生き延びているんじゃないか、と言われてつけた字だ」


「ひどくないですか」


「通り名なんかそんなものだ」


それだけ言い、大叔父は言った。


「大叔父さんというのはこれっきりにしろ。なにせ見た目がこれだからな、そんな若い親戚がいるとなったら、やれ不老長寿の妙薬を知っているだろうだの、変な絡まれ方が悪化する」


「わかった、ヤーユさん」


「ヤーユ兄さんにしろ。お前みたいなやぼったいのを、嫁だなんだと思われるのは気に食わない」


ヤーユはそう言い、家の中に入っていく。カンニャン……ランもその後を追いかけ、入口で靴を脱ぎ、そのあばら家の中に入って行った。


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