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「あら、運がいい事ね」


「はい、運よく山を降りられたので」


余り頻繁に、蚕小屋に来ない筈の第一夫人が、カンニャンの顔を見た途端に、そんな事を言う。おそらく、蟲や獣に襲われる前に、村に戻れたからだろう。

確かに運がいいというのは事実である。あの霧の男が、ジィズゥの知り合いが、自分を送らなければ、自分は今頃、何かの餌になって胃袋に収まっていたに違いないのだ。

そんな事が分からないカンニャンではない。山は厳しく現実的で、夢物語のような事は滅多に怒らないのだ。

まあ、霧の男の事自体が、何かの夢物語のようだし、一晩明けたら、あれは夢だったんじゃなかろうか、と思う位である。

今日自分は、彩燦蚕の繭の出来具合を、確認する予定になっていた。

というのも、染料を探しに行くにしろ、桃色の野蚕の繭を探しに行くにしろ、村と山を行ったり来たりするのは現実的ではなく、効率が悪い事である。

しかし、拠点にできたはずの仮小屋が、蟲に襲われたという事で、全く使い物にならない今、安易に山で、そう言ったものを探す事は出来ない。

犬蟲を連れた男たちの中でも、狩人としての能力が高く、逃げ足も速い者たちが、数人で集まり、山の仮小屋を全て、確認する事になっているのだ。

女子供が仮小屋を使う事をするのは、男たちの確認が終わってからだと、族長は厳命した。

事実、女子供ではもしもの時に、あっという間に食われてしまう。犬蟲の扱いに長けていて、何かに襲われた時に対応できる男たちが、安全を確認してからでなければ、普段の初夏の山と同じように、山奥に入る事は出来ないというわけだった。

第一夫人が彼女を見ながら、さらに言う。


「あなたは死んだものだと思っていましたよ、先触れが来た時にね」


「本当に、引き返すのが遅かったら、蟲の餌でしたね」


カンニャンは、小屋につり下がったまぶしの中の、繭を早朝の朝日の中で確認しながら返事をした。

色の具合が、やはり、いい。光沢が素晴らしいのだが、全体的に青や緑の色が多く、もっと言うなら金や銀の粉をまぶしたように輝く繭が、ずいぶんと多かった。

それはおそらく、交配に選んだ蚕が、そう言った輝きを放つ個体であったからだろう。

しかしその個体たちは、青っぽかったから、今年の繭の色の系統が、そちらになってしまったわけである。

彩燦蚕の交配と繁殖は、カンニャンの一存で決まるものであるから、こうなった事を誰かに責任転嫁する事はしない。

たとえ最近の流行りが桃色や赤色の絹糸で、役人たちもその色の糸や布地の方を多く欲しがっているにしろ、だ。

それに、隔世遺伝と呼ばれる、時を超えて出て来る色もある。青色の繭の蚕の孫蚕が、鮮やかな桃色や赤色になる事だってあるのだ。

そんな事は、彩燦蚕を育てている歴代のカンニャンなら誰でも知っているし、報告を受けている族長や村の長老たちも、よく知っている事だった。

しかし、第一夫人は、まぶしを見回して、己が欲しがる桃色の繭が、あまりにも少ない事実に機嫌を損ねた様子だった。


「なんですか、お前は。桃色の繭が少ないではありませんか」


「今年は、そう言った色の繭の個体が少ないようですね」


「お前が交配したのでしょうが! お前、私や娘たちに意地悪をしたつもりですか! 飛び切りの衣装に、今年は桃色や赤色を使うと知っておきながら!」


「そんな事をするはずがありません」


怒られても、繭の色は、繭が出来上がるまでわからないのだ。それを意地悪をしたといちゃもんをつけられても困る。

糸の艶、ふとさ、均一性、それらを見ていたカンニャンは、背後で怒鳴る第一夫人に、どう言い訳をするか考えた。

例えば、前のカンニャンが仕事をしていたならば、第一夫人はその意見を尊重し、文句を言う事はなかった。繭の色に好みの物がなくても、交配の結果だから仕方がない、と言わせる事が出来たのだ。

だが、今、カンニャンは自分一人で何もかもを行っていて、そして第一夫人は自分が大嫌いだと来ている。

大嫌いな義理の娘のいう事を、聞かないのだから、もう、どうしようもないのである。

どうするかな、何というかな、と思っていたカンニャンに、第一夫人は言う。


「そんな事をするはずがありません? お前は性根の悪い、意地汚い、怠け癖の在る、人を恨む事だけは一人前の小娘なのですよ! 私や娘が、ちょっとしたしつけをする事すら気に食わないのですから、これ位の意地悪はするに決まっています!」


どんないちゃもんだよ。カンニャンは言いたい事を飲み込んだ。色こそ流行りの色ではないが、この光沢やきらきらと輝く金銀の粉をちりばめたような繭の美しさを、評価してはもらえないのだろうか。

これが前のカンニャンがいた時だったら、第一夫人は、美しいとほめただろうに。

そんなにも自分が気に食わないのか、……知っているが。

第一夫人に文句を言えば、折檻となって帰ってくると知っているから、カンニャンは黙った。

言っても言わなくても、第一夫人はカンニャンに対して、ろくな事をする事がない。

まぶしから下りたカンニャンを待っていたのは、第一夫人が降り上げた鞭だった。

まさか、乾燥を待つ繭がある蚕小屋の中で、流血沙汰になりかねない事を、するとは思わなかった。

だから、カンニャンは反応が遅れてしまったし、繭が汚れないように、身を挺したのは職業的な根性の結果だった。

だが。

ぐちゃ、という音が聞こえたのに、カンニャンの体はどこも痛みを感じなかった。

何が起きたのか。

わからない。

ぎゅうと強く閉じた瞳を開いた時、カンニャンの目に入ってきたのは、足の一本が打ち据えられて、つぶされて、ぶらぶらと揺れている、大事な相棒だった。


「ジィズゥ!? 夫人、なんて事をするんです!!」


「生意気な蟲ですこと! それにしても、鞭で叩けばそれなりに対応できるのでしたら、さっさと鞭で打ち据えて潰しておけばよかった」


「なっ!!」


カンニャンは、あまりの事に怒りで目がくらみそうになりながら、これ以上大事な兄弟分が、痛めつけられないように前に出ようとした。

したのだ。だが。


がちがちがちがち、と顎を鳴らしたジィズゥが動く方がずっとずっと早かった。

ぴゅっ、とその蜘蛛の口から何かが飛び出し、第一夫人の顔に当たるのはあっという間の事で、第一夫人が、ぎえええええと何かの怪物じみた叫び声をあげたのはそのすぐ後だった。


「ぎぇえええええええええ!!!」


「なんだなんだ!」


「何があった!」


その、第一夫人の叫び声は村中に響き渡ったらしく、わらわらと朝の仕事の途中だった村人たちが、蚕小屋に集まってきていた。


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