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「これだけあれば売れるほど痛み止めが作れるな……」


カンニャンはそんな事を言いながら、繭を作り始めた事を、族長に報告しなければ、と小屋を後にした。

村の中はそんなに大きくも広くもない。だが村の家よりもはるかに、蚕を育てる小屋の方が大きいし、蚕の与えるための大きな桑の畑が広がっている。

昼も過ぎたからか、そこかしこでは子供たちが桑の葉の束を背負い、小屋に入っていくのが見えた。

おそらく桑の枝の交換だな、そろそろあちらの蚕は大食いに拍車がかかっているはずだ。

カンニャンの育てる彩燦蚕は一年に一度しか育てられない蚕だが、村の他の住人たちが手分けして育てている銀月蚕は、一年に二回育てる蚕である。

彩燦蚕は一年に一度しか孵化しない蚕だが、銀月蚕は一年に二度孵化する卵なのだ。

それは品種の違いなので、そこまで珍しい事でもないし、カンニャンからすれば、当たり前の事であった。

そして銀月蚕はそろそろ四回目の脱皮が終わり、特にもりもりと食事をする大きさになっているはず。

そうなると、どうしたって一日に三回以上桑の葉を与えなければ、大きく美しい繭にならないので、大人も子供も、桑の葉をつむのに余念がないはずなのだが……その時期に男たちがどうして、山に犬蟲を連れて入っていくのか。今は大事な時なのに。

そんな事をまた考えた後、カンニャンは村の中で一番立派な四合院の中に入った。

まずは小さくとも門があり、そこに建物が二つほど、それは使用人のための建物と便所であり、その奥には族長の四人の娘が暮らすはずの西の建物と東の建物が立てられ、最後は奥に族長とその第一夫人の暮らす建物がある。

ちなみに、東の建物の方が西の建物よりも格式が高いため、娘たちはそちらに移りたがるものだが……とりあえずカンニャンはその争いから脱退しているので、娘たちの暮らす建物の中では一番日影でひっそりとしていて、じめじめした場所が本来ならば生活空間である。

しかし彼女は彩燦蚕の面倒を見ながら、蚕小屋で生活する方が性に合っているため、今の所家の部屋に戻る予定はなかった。

そのため、彼女がちらっと見た自分の部屋である場所は、他の姉たちの物置小屋と化したのだろう、そんな物が所せましと積みあがっていた。

大方ぼちぼちそろえだしているだろう、嫁入り道具の中でも、湿気がそこまで気にならないものたちを置いているのだろう。うん。

カンニャンはそのまままっすぐ進み、族長が家にいる時、そして書き物をしている時に使う仕事部屋の前に来た。仕事部屋の前の壁は大きく窓が開けられていて、ここの主に用事がある村人が、ここから相談できるようになっていた。

だが今日は、そこに、村の人間とはとても思えない人間が何人もいた。

誰だろう、よそ者がここまで来るなんて珍しい。ここではまだ生糸が作られる時期でもないから、他所の村に嫁に行った人、婿にいった人達が、手伝いに来たという報告もない。

なのに知らない身なりの、物々しい空気の、ピリピリとした顔の人たちがたくさんいる。

これは声をかけていいだろうか、しかし今日声をかけなければ、他の村に行った人たちを手伝いに呼べない。カンニャンは少しだけ様子をうかがう事にした。

幸いと言うべきかなんというべきか、族長の娘にあるまじき擦り切れた衣類を身にまとい、それらをそれなりに糸でかがって繕ったなりをして、足にはすっかりすり切れた靴をつっかけ、足りない場所は布で巻いて補っている彼女が、族長の娘だとわかる余所者はいないだめ、村の中でも下働きのように思われるだろう。

カンニャンは首を伸ばして、彼等の会話を聞いていた。


「しかし、ここから落ちたらこのあたりで見つかる可能性が高い」


「あの方が大蟲に襲われたのはこのあたりなのだ、だからこのあたり一帯の山の住人に声をかけている」


「それだったらこの周辺も怪しい、この周辺は大蟲がたくさん暮らしている場所だ」


「ではあの方はそこに?」


「川を目指して歩いていれば、否応なくこのあたりの大蟲の縄張りにぶつかるはず、見つけやすいというか、痕跡が残っていそうなのはこのあたりだと思われます」


……誰かを探している? 会話の中身で、誰かを探している事だけは、カンニャンにも伝わってきた。その探されている人は、かなり余所者にとって重要な人であろうことも予測できた。

だがカンニャンには関係ない。どうしよう、報告したいのにできない、どうするかな、出直すかな、そうしたら銀月蚕の世話の手伝いに行かなくちゃ。

今日は今から山に登るのはちょっと面倒だし、まぶしの作業は重労働で、薪を拾いに行くのならともかく、彩燦蚕の世話がひと段落した頃に、いつも行っている仕事は出来ない。

そんな事を考えながら、もう少し時間がかかりそうだったら、銀月蚕の手伝いに行こう、とカンニャンが決めた時だ。


「カンニャン、どうした」


族長が、末の娘がそこに困ったように立っている事に気が付いたのだ。

よし、気付かれたなら幸いと、カンニャンは言う。


「うちの蚕が、繭造りに入りました。あと見立てでは四か月ほどで、繭もいい状態に入ると思われます」


父は敬うべき、と一応習っていたカンニャンは、仕事の報告であるため、それなりに丁寧に喋った。それを聞いて、娘が父に話しかけたと思う人はいなかっただろう。

村の住人たちはそれに馴れているが、余所者はそうはいかない。

物々しいいでたちの、いかにも近隣の住人ではないと思われる風貌の男たちが、彼女をうっとうしげに見る。


「今はそれどころではないのだ! そんな物の報告などしなくていい!」


苛立った口調。明らかに苛立っているのはどうして? そんなの知らないよ、私だって仕事の報告をしなくちゃいけないのだ。

カンニャンは言い返そうとして、言い返してもここでいらいらするばかりだな、と止める事にした。

とりあえず族長への連絡は終わった。そのためカンニャンは、一礼し、その場を後にする。そしてそのまま、少し休憩して、おやつでも子供たちと食べてから、他の家の手伝いに回ろう、と歩き出した時だ。


「ああ、臭い臭い。蚕の糞の匂いが染みついているわ」


彼女が中庭を通って行こうとした時、すれ違いざまに、彼女と大違いの、村で見る限り上等な、色とりどりの衣装を身にまとった娘たちがいった。

彼女たちはカンニャンの異母姉である。

しかし待遇は大違いで、母親がとっくに村からいなくなっているカンニャンと、母親たちが競い合い争い合っている三人の娘たちとでは、明らかなものがあった。

そんな物、カンニャンはもう今では気にしないし、蚕小屋で蚕の世話をし、ジィズゥ相手に会話している方が楽しいため、彼女たちの言葉では、そんなに傷つく事もなかった。

だが、競争心の強い彼女たちは、さりげなく彼女の足の前に足をやり、見事にカンニャンを転ばせて来る。

知っているがあえてそれを受けいれたカンニャンは、思いっきりその場で転んだ。

受け身はとったものの、転んで欠片も痛くないと言えばそれは嘘になる。

起き上がっていると、かちかちかち、と慣れ親しんだ威嚇の音が背後からして、ちらりと見ればジィズゥが、異母姉たちを睨むような場所にいて、大あごをかちかちと鳴らしていた。

明らかな威嚇の音、これ以上やるんなら相手になるぜ、と言いたげな空気の蜘蛛。

ひっ、と小さく悲鳴を上げたのは、姉たちの誰かか、それとも付き従っている乳母や女使用人か。


「なによ、事実じゃない。それにみっともなく転がったのはあなたでしょ!」


大あごを打ち鳴らし、食らいついてやろうか、とでも人間だったら言っていそうな大蜘蛛を見て、カンニャンに言うのは第一夫人の娘であるルィディエだ。彼女はめでたい蝶々、という意味の名前を持っている。

カンニャンは起き上がり、それから腕を伸ばして、頼もしい相方を呼んだ。


「ジィズゥ、大丈夫。ちょっと姉さんたちの前で、滑って転んじゃっただけだから」


嘘言ってんじゃねえよ、と大蜘蛛が見て来るものの、ここで大事な相方が、異母姉たちにとびかかるのはよろしくない。

何かあったらジィズゥを山に捨てて来いと言われるかもしれない。

そうすると、カンニャンの人生はそれっきり寂しすぎるものになるので、防がねばならない。

そんな事情から、カンニャンは、姉たちを庇うわけではないが、穏便に事を済ませるために、相方を呼ぶのだ。


「ほら、こっちこっち。父上にも報告が終わったんだから、休憩して、それから手伝いに行かなくちゃな」


相方はがしゃがしゃという音とともに、彼女の腕によじ登り、いつも通り彼女の背中に張り付いた。


「転んですみません、それでは、失礼します」


カンニャンは姉たちにそう言って一礼し、そのままそこを後にした。


「……でも、蚕の匂いって、異母姉さんたちも、糸紡ぐんだから臭いって思ってたら仕方ないと思うんだけどな」


族長の四合院を出たカンニャンが、少しだけ納得がいかないな、と思ったので小さく言う。

しかしそんな物、背中の相方以外誰も聞いていないので、まあ大丈夫なのであった。

四合院を出たあたりで、カンニャンはえっちらおっちらと、腹の大きい村の若い女性が、桑の葉を運んでいたため、大慌てで駆け寄った。


「駄目だよ、ユイイー! 君もうじき臨月なんだから、こんな重たいものもっちゃ! いくら今人手が足りなくても、妊婦さんはもっと楽しなくちゃ! ほら貸してよ、これ位私が手伝うって!」


「ああ、ありがとうカンニャン。私もちょっとの距離だから、大丈夫だって思って」


「お姑さんはそれ許したの?」


「役に立つところを見せたくて、やったんだけど」


「だめだめ、君の婚家では初めての子供が生まれるんだから! 流れたりしたら大変。お産は命がけなんだから」


カンニャンは言いつつ、重たいほどあった桑の葉を、ほとんど一人で持ってしまう。そこでユイイーは、それなりの量を持ち直し、息を吐きだした。


「妊娠してから、重たいものを持っちゃだめ、走り回っちゃだめ、汚いものも見ちゃだめ、だめ、だめ、だめが多すぎて息がつまっちゃう」


「仕方ないでしょ、お腹の子は、お母さんが見たものに影響されるって、町のお医者様とかが言ってたんだから。だから綺麗な男の子が生まれるように、雄の蟲を食べて、弓矢を側に置くんだから」


「そうなんだけど」


「旦那さんだって、ユイイーも子供も無事に生まれて来なくちゃって思って、働いてるんだから。ユイイーも気をつけなくちゃ」


カンニャンが大真面目に言うと、ユイイーは噴出してから笑った。


「あなたに言われると、気が楽になったわ、ありがとう」


そう言いつつ、二人は桑の葉を担いで、銀月蚕の小屋に行く。

そこではちょうど、蚕と、葉っぱのなくなった枝や糞を分ける作業に入っていた。


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