16
彼は彼女の話を聞きながら、色々な蚕の繭を見ている。光り輝くような光沢を放つ、鮮やかな色から淡い色まで、この世の美しい色の大半がそろっているような光景は、見とれるものがあるだろう。
しかし今年は、桃色の繭が思っている以上に少ない。やはり親蟲に、青系統を取ったからだろうか。
だがあの親蟲が、一番糸の艶がよくて、糸も丈夫で、ほれぼれするものだったんだけどな……
それに桃色の繭は、第一夫人が族長夫人の権力を使って、ほとんど茹でて糸にしてしまったのだ。カンニャンが止める間もなく、お湯で煮込まれてしまったら、どうしようもない。
来年のために、桃色の繭を残してくれ、と去年主張するべきだっただろうか……
「……」
男は立っている事も疲れたらしい。確かに、薬と流動食くらいしか口にできない男が、長い間立っていられるわけもない。
「あ、気付かなくてごめん、こっち座って」
カンニャンはそう言い、いつも自分が暮らしている一画に案内した。あまり寝心地はよくない莚と、囲炉裏がつかえないから置かれている焼き網などがある場所だ。
「ここは蚕のための小屋だから、人間が暮らす場所はこの隅っこなんだ、ああ、でもあんたにはちゃんとした布団が届く事になってるから、板敷に薄っぺらな莚で寝かしたりしないよ」
カンニャンが慌てて言うと、男はそうか、と言いたそうにうなずいた。
その夜の事だ。布団を用意すると言った族長だったのに、蚕小屋に布団を運び入れる使用人は誰もいなかった。
カンニャンもかなり待っていたのだが、布団を担いだ使用人の村人は誰も来ない。
男は壁に寄りかかり、うつらうつらと船をこいでいるのだから、持ってきてもらわないと困るのだが……何か問題があったのだろうか。
「なあ、布団貰ってくるから、一人で大丈夫か?」
カンニャンは男に声をかけた。男はうとうとしながら頷く。これなら容体が急変したりしないだろう、と判断した彼女は、背中に蜘蛛を背負ったまま、四合院の方を目指した。
四合院の方には、こんな時間でも村人が行き交いしている。何人か、銀月蚕の報告に着ているみたいだ。
そんな彼等とともに、四合院の中に入った時の事である。
「そんないい物を、あの蚕小屋に持っていくんじゃありません!」
「族長様のお達しで……」
「彼よりも、正しい血筋の私のいう事を聞きなさい! あんな桑の匂いが染みついた場所に、いっとういい布団を持って行けば、その布団をもうこちらで使えなくなるでしょう! そんなこと許しませんよ!」
「ですが奥方様、お客人に布団を届けるようにと……」
「延々とその事ばかり言って! そんなに布団を持って行きたいなら、あなたの家の布団を持って行きなさい!」
「そんな、予備の布団なんてものが、私の家にあるわけがありません!」
カンニャンは建物の影から、もめてんな……と呟いた。
いい布団は財産の一つだ。第一夫人が大事に保管していたのかもしれない。
それを持ち出すべく動いた使用人が、見つかって思いっきり怒られているのだ。
族長は庇わないのか……と思った物の、族長は見当たらない。
もしかしたら、銀月蚕の様子を見に行っていて、不在なのかもしれない。
族長が、銀月蚕の様子を見に行くのは、この時期はよくある事だ。村の大事な蚕の様子を知るのは、族長として当然の仕事なのである。
それにしても、ずいぶんもめている。使用人は第一夫人に思いっきり怒鳴られて、小さくなっているが、お客人に布団の一式も出さないのは失礼だ、という普通の事はわかっている様子だ。
なんとかできないものか、という顔をしている。
カンニャンはこれ以上待っていても話がまるで進まないので、物陰から姿を現した。
「奥方様、私の使っていない布団があったと思いますが、それを使ってはいけませんか」
「お前の布団なんてもの、とっくにほどいて別のものに作り変えてしまいましたよ」
おい、一応あれは母さんが作った布団だ、何を勝手にほどいているのだ。
蚕小屋に持って行くのは汚れるからいけない、と言って保管すると言ったのは奥方あなただろう。
それをばらばらにしたのか。
カンニャンはそれを言いかけたものの、第一夫人に逆らうと後が怖い事をわかっているため、ぐっと飲み込んだ。
「奥方様、お客人に布団の一式も用意しないのは、さすがに」
「あんなみすぼらしく、薬臭い包帯巻きに、布団なんて用意するわけないでしょう。……お前も、さっさと家に帰りなさい」
しっし、と村人を追い立てる第一夫人。彼女はカンニャンに近寄ると、持っていた杖を振り上げた。
そのまま叩くかに思われたが、彼女の背中のお守りが、がちがちと威嚇音を鳴らしたため、うっと引きつって手をおろした。
しかし、厳しい顔をして言う。
「お前、いつまであの臭い客人の世話だと言って、仕事を怠けるのですか? 桃色の繭が少ないと聞きました、ならばお前が、山奥になりなんなりいって、せっせと桃色の繭を拾ってくるのが役目でしょう! 役立たずが!」
そんな簡単に、目当ての色の繭が見つかるわけがないのだが、第一夫人は無茶難題をカンニャンに命じるのが大好きなのだ。
そして目標を達成できなかったら、出来損ない、役立たず、と非難するのが大好きなのだ。
これもその一環だろう。カンニャンはそれが分かっていた。
そのため、何も言わなかった。
お客人の布団、どうするかな、とそれだけを考え、一礼して無言で四合院を後にしたわけだった。
布団は手に入らなかったし、お客人を堅い寝床に寝かせるのは嫌だな、と思いながら彼女が蚕小屋に戻った時、小屋の中にお客人はいなかった。村の中心部に来るなら、すれ違ったはずだ、どこに行ったのだ。
まだ万全の体調ではないはず。
どこに行ったんだろう。
カンニャンが蚕小屋を飛び出し、周囲を見回した時の事だ。
蚕小屋から少し離れた場所にある、とある小屋の方に、うっすら明かりが見えたのは。
そしてその小屋は、とある蟲がいる小屋のはずでもある。
それに、風に乗って小さく、子供たちの話声が聞こえてきた。それも小屋の方からだ。
子供たちなら何か知っているかもしれない、とカンニャンは足早にそちらに向かい、扉を開けた。
そして……大量のもこもことした生き物の中にうずまり、べろべろと舐められている男を見つけたのである。
「……な、な、何してんの……」
「あ、カンニャン」
「あんちゃんが、布団ないって聞いたから、おれらの寝るところに連れてきた」
「ここならふわふわがいっぱいだから!」
子供たちは、各々お気に入りのふわふわを抱きしめたり、上に乗っかったり、寄りかかったりしている。
カンニャンはそんな中で、数多のふわふわに囲まれて、さぞかし気持ちがいいだろう寝床に寄りかかりながらも、舐められている男を見た。
「大丈夫か……?」
男はこくりと頷いた。そんな彼を、包帯越しにべろりと舐めるそれは……羊蟲という。
背中にもこもこふわふわとした物をまとう、六本足の生き物だ。背中はふわふわ、ひっくり返すと蟲っぽい、それゆえに羊蟲と呼ばれているその虫は、温厚で子供たちが世話する蟲の一種である。たしかそろそろ脱皮の時期で、この蟲たちは背中のふわふわを脱ぎ去り、山に去っていくはずである。
このふわふわ、いい敷物になったり織物になったりする。蚕の糸と違い、あまり交易品にならないのが特徴で、その代わりというのか、このあたりの村では、新しく生まれた子供とその母親に、温かいおくるみや掛物を作る時に使われる事が多い。
子供たちは、母親がそう言ったものを作るために、この蟲の世話をしているわけである。
そんな羊蟲に包まり、男はそのまま寝入ってしまったらしい。それからぴくりとも動かなくなった。
今日は大丈夫そうだ、とカンニャンが肩の力を抜いた時、子供たちが言った。
「やっぱり布団貰えなかったんだ」
「うん、まあ」
「大丈夫だよ、羊蟲、三日たったら脱皮して山に帰っちゃうけど、そうしたら敷物の代わりに皮のいくつか、蚕小屋に届けるし」
「あんちゃん、めっちゃくちゃ羊蟲に気に入られてるし」
「じゃあ。頼んでも大丈夫か?」
「任せて!」
子供たちが胸を張ったため、男の事を彼等に任せ、カンニャンも眠るために、蚕小屋に向かう事にした。
「羊蟲は……かじらないから大丈夫か」
言いつつ、羊蟲のふわふわとは比べられないほど、堅い莚に横たわったカンニャンは、そのまま眠りについた。
そして早朝、夜明け前。カンニャンは、耳元でかちかちと牙を鳴らす音を聞き、なんだなんだと身を起こした。
そんな彼女の耳に入ってきたのは、荒っぽい足音だった。あんなに足音を立てる村人はあまりいないのだが……これは間違いなく、
「カンニャン! お母様から聞きましてよ! 桃色の繭が少ないそうじゃありませんか! このぐずが! 何をこんな時間までうとうとしているの! お前はさっさと山で桃色の繭を探してくるという役目があるでしょう! この私が呼びに来た事を幸運だと思いなさい!」
きんきんとえらく頭に響く音の声だ。この声が苦手だったカンニャンは、こっそり眉をひそめた。だってあまりにも頭に刺さる声なのだ。ジィズゥの威嚇音の方がましなくらいの声である。
このキンキン声で山に入れば、蟲一匹だって近寄らねえんじゃないのか、と村の子供たちがこっそり言っている、この声の主は、第一夫人の掌中の珠、何よりも公主様扱いされている一人娘である。
カンニャンを、これまたお決まりのように見下し、奴隷のように命令する一人でもあった。




