15
「ああああああ……」
今度こそ族長がうめき声をあげた。気の強く決定権を持っている奥方と、三人の娘の我儘と、族長としての責務の板挟みである。そして雷公の機嫌を損ねたら何が起きるかわからないが、厄介極まりない事だけはわかっている族長である。
「……何とか考えるから……お前は蚕小屋でお客人の面倒を見てくれ……」
深いため息をついた族長がそう言ったため、今度こそカンニャンは、掘立小屋の方に向かった。
掘立小屋の入り口では、ジィズゥがお客人の事を見守っている。
お客人は、小屋の壁に背中を預けて座り、じっと囲炉裏の炎を見つめているようだ。
彼の視線の先では、今日の分の塗り薬を溶かしているメイホァ婆ちゃんがいる。
彼に婆ちゃんは説明をしているようだ。
「こうしてこの液体を、包帯の上から塗っていく。この塗り薬を使っている時は、包帯を外しちゃいけないって事になっててね。包帯が滅多にないほどがちがちになるんだがね、効果は絶大だよ、普通一年以上かかる治療が、数か月で済むようになるんだからね」
「……」
ふんふん、とお客人は頷いているようだ。婆ちゃんが続ける。
「あんたはこの山の薬と相性がかなりいいようでね、炎症止めがこれだけ直ぐに効く奴も滅多にいない。あんたこの村にこれて幸運だよ」
「婆ちゃん、今日の分の塗り薬? 今日また上から塗るの?」
彼等の話が区切れたところで、カンニャンはそちらに声をかけた。彼女が来た事に気付いていなかったらしいお客人が、びっくりした様子で彼女の方を向く。
包帯の隙間から覗く瞳は、やっぱり知性を感じさせるものである。
カンニャンが戻ってきたため、即座に背中によじ登る大蜘蛛を背中に乗せて、カンニャンは座った。
「今日は塗る日だよ。そっちの御仁にも、この薬の効果を説明していたところさ。今、あんたの肌は布の下で作り直されている所だってね。包帯を取る時は、完璧に治った時だってね」
「そっか。ねえお客人、実は諸事情が重なっちゃってさ、掘立小屋から、私がいつも寝泊まりしている蚕小屋に、移ってもらう事になったんだけど、それだけの距離歩けそう?」
「蚕小屋ってのは、この村の特産の中でも飛び切り価値のある、彩燦蚕の飼育小屋の事さ。今繭が大量にまぶしのなかで出来ているから、そりゃあ圧巻の光景だろうよ」
メイホァ婆ちゃんが説明したが、お客人は、どうして飼育小屋に移動なのだろう、と理解していない風である。
「……本当に、ごめん。お客人を招く場所でもないとは思うんだけど、族長の四合院には、お年頃の娘が三人もいてさ、その母親たちが、年頃の娘がいる場所に、他所の若い男を寝泊まりさせられないって言って譲らないんだ。族長も何度も話し合ったそうなんだけど、奥方たちが結束したら逆らえないもんだから」
カンニャンが謝りながら説明すると、彼は息だけで笑った。笑うのか。笑えるほど回復したのか、とカンニャンが目を丸くすると、彼はこくりと頷いた。
そしてゆっくりと、立ち上がり、そのまま村の女衆が譲ってくれた草履に足を通す。
「今から行けそう?」
こくり。彼が黙ってうなずく。カンニャンは、それなら、と手を伸ばした。
「杖も必要だろうけど、手を貸すよ。ほら、私の手を取って」
彼は少し戸惑ったらしいが、ゆっくりと包帯に覆われた手を彼女の手の上に乗せた。
「なんだ、手は結構堅いのか」
「……?」
カンニャンの独り言に、彼が不思議そうに首を傾ける。それを見て、カンニャンは笑った。
「いいところのお坊ちゃん臭いから、手はふもとの村の豪商の息子並みに、柔らかいんだと思ってただけ」
それを聞き、何か言いたげに彼が口を開こうとした物の、包帯がそれを阻んだ。がっちりと巻かれた包帯は、流動食と薬くらいしか通さないのだ。
そのまま村の中を歩いていく。杖をついてふらふらと歩く彼は、あちこちを見回している。そんなに物珍しいのだろうか、と思いつつも、山の中の村は、ふもとの村とは大きく違う事くらい、カンニャンだって知っている。噂に聞く都はもっと人が多くて道が広くて、にぎやかだというから、こう言う村みたいに、道も狭ければ人も少なく、はっきり言えば蚕の方が数が多いと冗談めかす村とは、色々違うのだろう。
「足は大丈夫? 歩きにくかったら言えよ、背負うから」
背負う、と聞いた瞬間に彼が首を振った。確かにカンニャンのような、十六歳以下の少女に背負われたら、男の矜持が泣くのかもしれなかった。
蚕小屋の中では、子供たちが、あちこち見回っていた。繭の具合を確かめたりしているのだろう。子供でも、繭の調子を見るくらいの経験は積むのだ。幼虫の時代に餌を食べられず、繭をちゃんと作れないのも出て来る事はままある事で、そういった繭を外してさっさと食べてしまうのも、この村の風景だ。
「お前ら、お客人も今日からここで寝泊まりするからな」
「カンニャンだけじゃないの?」
「何で四合院じゃないの」
「あ、母ちゃん言ってた。夫人たちが男入れるの嫌がったって」
「よくわかんねえな……病人看病するのも嫌とか、夫人たちの感覚わからない」
子供たちが口々に言いながらも、一つの繭を外しにかかっている。
「お前ら、どうしてそれを外そうと思ったんだ?」
「繭が透き通る位糸を作れなかった蚕だから」
「そうだな、そう言う繭は、加工する時手間だけだもんな。よし、皆で外せるか?」
「大丈夫―!」
言いながらまぶしによじ登っていた子供の一人が、足を踏み外したようにふらつく。そのまままぶしから落っこちたものの、カンニャンが慌てて滑り込み、子供を受け止めた。
「おまえなあ、しっかりしろよ」
「足が滑った、ありがとうカンニャン」
子供を助けるために、躊躇なく滑り込んだカンニャンを、呆気に取られて見ているお客人。
「あんちゃん、カンニャンに面倒見てもらうの?」
「だったら大丈夫でしょ、カンニャンはおれたちだって世話してくれたもの」
「あんちゃん立って歩けるようになったの? 動けるようになるの速い」
「素っ裸にされて水でじゃぶじゃぶ洗われてたの、ちょっと前なのにな」
「メイホァ婆ちゃんの薬よく効くよなあ」
素っ裸に剥かれて、水でじゃぶじゃぶ洗われていたと聞いた彼の心境はどうだろう。そんな事をカンニャンは思った物の、治療の一環だったのだから許してもらおう、と思っておいた。
そしてまぶしから、不良の繭を外した子供たちは、途端に誰が糸を家に持っていくか、さなぎを家に持っていくかで話し合いを始めた。子供たちは皆育ちざかりで、お腹はしょっちゅう空いている。そして繭の中のさなぎは絶好のごはんだ。これがあれば二日はおかずに困らないという事もあり、子供たちの話し合いは一歩も譲らないものになっている。
結局、誰かの家に持って行き、素揚げにして分け合おうという事で意見が落ち着いたらしい。
糸は、糸繰が上手な家のかあちゃんに持って行くらしい。さすが仲良しの子供たちであった。
蚕小屋の中は子供たちが毎日のように来ていて、掃除をしていたらしく、埃なども落ちていない。汚れなどもってのほかだ。この小屋の蚕の糸は、銀月蚕の何倍もの価値があると、この村の子供なら誰だって知っている。
この小屋の主はカンニャン一人だが、この小屋が一番村で価値を持つという事は村の誰でも知っているわけで、この小屋に何かしらの嫌がらせもするはずがない。悪戯なんかしたら何日ご飯を抜かれるかわからない、というのは子供だって知っている。
それ位、この小屋の価値は村にとってあるわけだった。
そして男は、あらゆる光るような色を放つ繭が数多ある光景を、呆気に取られてみているようだった。
それを見て、カンニャンは問いかけた。
「都には、こんなにたくさんの色の糸がないの?」
否定。
「じゃあ、繭がこんな風にまぶしにたっぷり入っているのが、珍しい?」
肯定。
確かに蚕を育てている村の中でも、これだけあらゆる色の繭がそろう村はこの村一つだけだというから、珍しいのも道理だ。
「この村だけが持っている、彩燦蚕っていう蚕がいるんだけどな。この蚕は特別な蚕で、物凄くたくさんの色の繭を作るんだ。ただし育てるのにとっても手間がかかる」
じっと視線を感じたので、カンニャンは話を続けた。
「この蚕、じっとしてないんだ。餌を探してめちゃくちゃうろうろする、養蚕用の蟲とは思えない蚕でね。おまけにこの蚕は、運動させないと具合が悪くなる。だから繭を作るまで、毎日毎日、夜明けぎりぎりの時間から、山に連れて行くんだ。で、夕方に間に合うように、餌を食べさせて、この村のこの蚕小屋に連れ帰る。色々交配して、もっと大人しくならないかやってみたけど、大人しくなると、色つやが劣るようになるから、これでいいかって事になって、私が一切合切の面倒を見るようになったんだ」
かちかちかち、とジィズゥが顎を鳴らす。お前だけじゃないだろ、と言いたそうだ。
「私一人で出来る事じゃないよ、このジィズゥが、追い立てたりしてくれるから、人間は私だけで出来るだけで。実際私がこの役目を引き継ぐまでは、数人がかりで世話してたもの。先輩の婆様たちは、物凄い研究家たちだったから、ここまで彩燦蚕が見事な色の繭を作る種になったわけだけど」




