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「そっか」
凄腕、と言われて悪い気はしない。カンニャンはおば様たちが食べな、とくれた雑穀のおにぎりの入った葉っぱの包みを懐に入れて、ジィズゥのまつ掘立小屋に戻ってきたわけだった。
そして雑穀のおにぎりを平らげて、指を舐めて塩気を舐め取り、山道具の手入れである。
カンニャンの背負子は大きいのだ。繭をたくさん入れるためだ。軽いけれどかさばる繭だから、背負子はどうしたって大きいのだ。
それに、なたの手入れもある。いざという時のため、なたは切れ味を鈍らせるわけにはいかない。多少油を塗らなければ錆びるのが刃物の宿命で、それらの手入れも怠らない。
縄の長さも確認が必要だし、のろしを焚くための粉も湿気ないようにしなければならない。
やる事はたくさんあった。
男はそれから三日ほど、時折せき込む以外ひゅうひゅうと呼吸をするばかりで、起きる気配を見せなかった。
メイホァ婆ちゃんの診断によると
「腫れが酷いのさ。峠は越しただろうから、そのうち喋れるようになる。そうしたら起き上がらせて、もう少しちゃんとした物を食べさせるべきだね」
とのことだった。おむつもそれまでカンニャンが巻く事になっており、意識がほとんどない人間の世話なので、仕方がない。せめて自分の下の世話は早くできるようになってほしいと、カンニャンは誰でも思う事を思っていた。
自分より大柄な男のおむつを巻くのは、相手の体が弛緩している事もあってなかなか難儀なのだ。
「これになれれば赤ん坊のおむつなんて楽勝だろ」
「ばあちゃん、私子供たちのおむつの面倒、結構見てるから」
「そうだった。あんたはちびどものおむつの面倒をみていたっけな」
というやり取りもあったわけである。
そうして辛抱強く看病して、十日目。カンニャンが壁に体を持たれかけさせ、うとうととしていた時の事だ。
「う……」
彼女は確かに聞いたのだ。うめき声ではない、意識を持った人間の男の声を。
それにすぐ気づいて目を開けると、物音に反応しなかった男が、彼女の身動きした音に反応して、頭をこちらに向けていた。
「ああ、気が付いた?」
「……」
「ああ、喋らないで。って言っても、包帯を結構しっかり巻いてあるから、喋れないだろうけど」
「……」
包帯の隙間から覗く、瞳のきらめきは理性を感じさせた。ちゃんと意識があるようだ、何より。
「あんたは、子供たちの罠の穴に、落っこちていたのを見つけたんだ。穴に落ちたの覚えてるか?」
かすかに男が頷いた。
「で、落ちたあんたを私は見つけて、手当てしてる。あんた顔も体もただれてて、酷いありさまだったよ。この村一番の薬師の、メイホァ婆ちゃんが塗り薬を作ってくれたんだ。だから炎症とか、ましになってるはず。まあ、ちょいとばかり匂いはきついけど我慢してよ」
カンニャンは深刻そうな声を出さなかった。彼女が元気つけようと、明るめに笑うと、男は指も動かせないほど、消耗した自分に気付いたらしい。
瞳が、焦りを帯びているのが、カンニャンにはよく見えた。
「あんた意識が戻らないから、あんまりたくさん粥も飲ませられなくって、すっかり弱ってんだ。起きたなら、座れる? ああそうだ、あんたの事、雷公って人が探してた。見つかってすごく喜んでたけど、あんた酷い状態だったから、運べないってメイホァ婆ちゃんが判断したから、よくなるまでこの村で療養生活って事になってるよ。雷公って人、物凄く心配してたし、見つかって喜んでたから、良くなったらきっと迎えに来てくれるよ」
彼の焦りに似た空気が少し柔らかくなった。雷公はちゃんと知り合いだったようだ。
それが伝わったのか、がちゃがちゃと音を立てて、ジィズゥが彼女の脇にやって来る。そしてカンニャンの肩によじ登り、背中に張り付いた。定位置についたわけである。
しかしいきなりこれを見せられると、結構村の住人以外はびっくりするのだ。
彼が目を見開く気配を感じ、カンニャンは手を振った。
「こっちは私の大事なジィズゥ。あんたを最初に見つけたのはジィズゥなんだ。私は見つかったあんたを落とし穴から引っ張り出して、村まで運んだだけ。一番すごいのは、見つけてくれたこの蜘蛛だから。それに安心してよ、ジィズゥはあんたを襲ったり噛みついたりしないから。病人に噛みつく趣味の悪さはないんだ」
そうだそうだ、すごいだろう、と言いたそうに蜘蛛が複眼をきらめかせた。男はかなり驚いていたようだったが、彼女の言葉に欠片も嘘がないと察したらしい。
緊張しているこわばりが、少しだけ緩んでいた。
そして少しだけ、眠たそうだった。なんとなく、カンニャンは赤ん坊が眠たい空気に似たものを感じたから、優しく言った。
「眠いの? だったら眠ればいい。あんたに必要なのは休む事だし」
「……」
自分の状況が分かり、きちんと知り合いにも見つかっているという事で安心したのだろう。
男は大きく呼吸し、体の力を抜いた。そしてそのまま、眠ってしまった。
「次に起きたら粥だな」
カンニャンが呟いた時である。
「カンニャンいる?」
掘立小屋の入り口で、子供たちがこちらを覗き込んでいた。
「どうしたの」
「メイホァ婆ちゃんの所行ったら、そろそろ男が起きるだろうから、起きたか聞いて来いって」
「起きたけどまた寝たよ」
「ちゃんと生きてた? カンニャンの言葉通じた?」
「通じてるみたいだったし、意識もはっきりしてる感じがした」
「なんか、それによって飲ませる薬の苦さ変えるんだってさ。意識がちゃんとしてれば、早くよく効くにがーい薬作るってばあちゃんが言ってた」
「ばあちゃんの薬のにがーいのって、洒落で済まない苦さだろ……婆ちゃん何煎じる予定だよ」
「なんか、早く四合院に運びたいんだって」
「確かに、ここ婆ちゃんの仕事場の一個だもんな」
「ばあちゃんここで日影干ししたい薬草とか、小屋で調合したくない薬とか、あるんだって。男のために作りたいのに、占領されてると作れないって」
「じゃあ早くよくなってもらわなきゃな」
カンニャンはそう言って、熾火になっている囲炉裏の灰をかき回した。そして慣れた手つきで枝を追加し、子供たちに言った。
「粥煮たいから、見ててくれる?」
「ジィズゥに見ててもらうのはだめなの」
「お前たち、興味津々でこっち覗き込んでるくせに、中に入るのは嫌だっての」
「そりゃ気になるけど」
「だって臭い」
子供たちの率直な言葉に、カンニャンは噴出した。確かに、自分はすっかり匂いに馴れてしまって、あまり感じ取れていないが、メイホァ婆ちゃんの塗り薬は、物凄い匂いなのだ。
入口から覗きこむのは出来ても、中に入るには根性がいるというわけか。
「臭いのは警戒させるためだって兄ちゃん言ってた」
「蟲除けの調合が作ってる時、蚕が臭さで死ぬくらいだから、婆ちゃん細心の注意を払うって言ってた」
「ジィズゥすごすぎるよ、なんで俺らが平気じゃないのに見張りになれるの」
「カンニャンを一人にしておけないからだろ」
「普通の男とかより根性あるー」
「お前ら、怪我人の側でそんなでかい声を出すな」
カンニャンが言うと、子供たちは、
「おまえがうるさいんだろ」
「お前だろー!」
「あんたじゃない!」
と各々責任を押し付け合い始めた。全員中々うるさい。そして彼等ははっとそれに気が付いた。
子供たちは、そんな騒がしい状況になっているのに、目を覚まさない男を見て言う。
「すごく厄介なただれ方してたんだね」
「母ちゃん言ってた。全身ただれてると、痒さとかでものすごくつらいって。父ちゃん漆にかぶれた時より、この兄ちゃんひどそうだって」




