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巨大な蟲がいっぱい出ます。食虫描写あります。ご注意ください。
その日は夜明け前から、なんだか村が騒がしかった。
カンニャンは自分の上にのしかかっている、子供のイノシシほどの大きさもある彩燦蚕をどかしながら、彩燦蚕の小屋の中で、大きく欠伸をした。昨日ろくに髪にくしを入れなかったからか、髪の毛は寝ぐせでぐしゃぐしゃである。
周囲では、彩燦蚕たちが、空腹からか、餌を求めてもぞもぞ、ごそごぞと這いまわっている。カンニャンはちらりと天井を見やり、それから、とりあえず身支度を整えるため、自分の背中によじ登っていた一匹の彩燦蚕をおろし、小屋でゆっくりと立ち上がった。
彩燦蚕の数は百より多く、その大きな体の虫がわらわらと動くため、小屋は彼女の自宅の部屋よりもはるかに広い。カンニャンは部屋にいるよりも、彩燦蚕と同じ場所に寝る事の方が好きなため、ここの隅っこに莚を敷いて、上からわらの布団をかけて寝ているのだ。
彼女は欠伸をし、適当に指で髪の毛をすき、顔を洗うべく小屋の入り口にある靴を一つひっかけ、早朝の村へ向かっていった。
「なんだ、やけに男たちが物々しいな……」
村の井戸を目指して歩いていたカンニャンは、通りながら男たちが、山に入るための装備を整えているのを、何度も目にした。彼等はいざという時のために飼っている犬蟲たちに朝の餌をやり、彼等が山の蟲と区別できるように、首輪を巻いている。
首輪を巻くのは、山に入る時だけだと知っているカンニャンから見れば、間違いなく、男たちが山に入る支度意をしている、という事になった。
「……まだこっちの銀月蚕の世話があるのに、なんで男たちが山に入ろうとしてるんだ?」
カンニャンはぼそりとそんな事を思った。この村は最高峰の絹糸を作る蚕を育てている事を、誇りに思っている村で、その村の住人が、世話をする蚕を放ったらかしにして何かするなんてありえない。
何かよっぽどの事情があるに違いない。
しかしカンニャンは女であるため、それらに参加する事もない。というか、面倒を見なければならない、可愛い可愛い彩燦蚕がいるのに、放ったらかしで山に入るなんてありえない。
そのためカンニャンは、井戸端でおば様方が、炊事のために瓶に水を入れているのを見て、声をかけた。
「おはよう、おばちゃん達」
「ああ、おはようカンニャン。そろそろあんたの彩燦蚕は、終熟を迎えるんじゃないの? って皆で話していたんだ、こんな所でのんびり、顔を洗っていていいの?」
「見立てでは今日の昼頃からまぶしに入るんじゃないかって思ってる」
だからその前に、まぶしの準備をするのだと言ったカンニャンに、おば様方はそれなら安心、と言いたそうにうなずいた。
「あんたは、娘としての色々な事はからっきしだけど、蚕の事なら村一番の腕だからね、心配はしていないわよ」
「七つの頃から、ばっちゃに連れられて彩燦蚕の世話しかしてこなかったから、炊事も裁縫も洗濯も、それなりにさえできないんだよな」
「まあね、カンニャンって呼ばれるようになったらもう、娘としての嫁入りはないも同然だしね」
ちなみに終熟とは、蚕が育ち切り、繭を作る時期に差し掛かったという事である。
その頃になると、蚕たちの体は一番大きい時から少し縮むのだ。
カンニャンはそれを見極めて、そろそろまぶしという、蚕に綺麗な繭を作ってもらうための、木でできた枠の準備をするのだ。
そこに、繭が作られると圧巻の光景である。
「にしても、毎年毎年、あんたの彩燦蚕は大変でしょう。私たちが育てている、銀月蚕と違って、うねうねうぞうぞ、元気いっぱいに動き回るんだから」
「どんだけ掛け合わせても、あの、色とりどりの繭になれる奴らは、もともとの大蚕と同じように、活発に動くんだよ、だから当たり前の事じゃないか」
ばしゃばしゃと乱暴に顔を洗ったカンニャンがそう言うと、
「あんたがそれで納得しているならいいんだけれどね」
とおば様たちはそれ以上言わなかった。
そしてカンニャンは顔を洗い、ざっと濡れた手で髪を撫でつけ、軽く服の袖で顔を拭くと、それじゃあ、と簡単に頭を下げて、井戸を後にした。
その途中の道でも、男たちは犬蟲を連れて、次々と族長の……彼女の父が暮らしている家の方に向かっていく。
カンニャンはそれを横目で眺めながら、何か大事な知らせがあったら、蚕小屋の方にも来てくれるだろうと判断し、そのまま蚕小屋の方に戻って行った。
蚕小屋へ戻ったカンニャンは、そこでがしゃがしゃという音を立てて、屋根裏から下りてきた蟲が、もちゃもちゃと何かを咀嚼していたため、軽く笑って声をかけた。
「ジィズゥ、ごはんをもう済ませたのか? お前は早いな、私はまだだ」
もちゃもちゃ、と何かを咀嚼するその蟲は……彼女の背中ほどもある大きさの、一匹の大きな大きな蜘蛛であった。
「おこぼれある?」
カンニャンは軽く笑いながら、ジィズゥに問いかける。数多の目を持つその蜘蛛は、あきれた、と言わんばかりの視線を彼女に向けた後、くわえていた何か……蟲の欠片をずいと近づけた。
「ありがとう、お前は狩りの名手だな」
カンニャンはそれを片手で受け取る。どうやらジィズゥが食べていたのは、天井に潜んでいた、飛蝗か何かだったらしい。足の形からそう判断し、カンニャンはそれを小屋の片隅に置かれている焼き網の上に乗せた。
そして慣れた手つきで手際よく、火を熾し、これまた小屋の片隅にそっと布に包まれて保管されている、丸く平たい餅を取り出した。
香ばしく餅と飛蝗の足が焼かれていく。カンニャンはそれらが、ちょうどよく香ばしく焼きあがったところで、餅を取り上げて飛蝗の足を包み、それに噛り付いた。
川で言うところの海老に似た食感と匂いと味である。さながら海老入り餅と言った風味らしいが、海老を実際にはあまり食べないカンニャンは、よく分からないたとえだった。
そんな風に彼女が手早く朝ごはんを済ませ、小屋の窓を開けると、小屋の中にいた数多の彩燦蚕たちはうぞうぞと蠢き、何匹かは本当に、屋根裏によじ登っていた。
繭になるためのちょうどいい場所を探しているのだ。
「この感じだと早くまぶしの準備をしなくちゃな……」
カンニャンは彩燦蚕の動きからそう判断し、口元をこすっている相棒に声をかけた。
「ジィズゥ、悪いけど屋根裏に昇ってるやつら、追い立てて来て」
しかたねえな、と言いたげな動きを見せた蜘蛛が、がしゃがしゃという音を立てながら、屋根の方にするすると身軽に登っていき、屋根裏の方に昇っていた彩燦蚕の前にいき、がちがちと顎を鳴らし、足をこすり合わせて、がしゃんがしゃんという音を立てた。
すると、その音は危険だと本能的に知っている蚕たちは、うぞうぞとそれなりに機敏に動き出し、やがて落ちた方が楽だと判断したのか、ぼろぼろと屋根から落っこちてきた。
「……よし、数も合ってる……」
相方に追い立ててもらっている間に、カンニャンは彩燦蚕の数を数えていた。一匹でもいなくなったら大変な事なので、数を数える時は間違わないようにしているし、数百匹以上いる蚕たちは、実は全部見た目が違っているため、それらを覚えているカンニャンからすれば、いないかどうかの判断は割と楽だった。
よし、数もあっているし、皆そろそろ繭を作りそうだ。これは早くまぶしを出してこなければ。
カンニャンはそんな判断をして、服にたすきをかけて動きやすいようにし、服の裾をくくって走りやすいようにしてから、蚕小屋の向こうに積み上げてある、まぶしを一人で持ち上げた。
まぶしは木製の枠組みである。かなり重たいものではあるのだが、滑車などを上手に組み合わせてある蚕小屋なら、彼女一人の力でもいい位置に動かせるのである。
カンニャンはえっさほいさと一人で次々とまぶしを設置し、彼女がまぶしを設置し終える前から、すでに気の早い彩燦蚕に至っては、まぶしの木枠の中に入り込もうとしていた。
ここからが重労働なのだ。カンニャンは気合を入れ直し、大きなまぶしにどんどんと、彩燦蚕を乗せ始めた。あとは彼等が勝手に、ちょうどいい枠を見つけて繭を作ってくれる。
中には蚕小屋の隅をそれと決めた奴もいて、繭を張りだすため大変だ。カンニャンは見つけ次第、そっと彼等を持ち上げて、繭ごとまぶしの中にそっと入れてやる。
そうして明け方、日が昇る頃から動き出し、やっと昼を過ぎた頃、カンニャンの作業は完了し、彩燦蚕達は全部、まぶしの中で繭を作り始めていた。
「……今年の繭は青色っぽいのが多そうだな」
カンニャンは蚕たちの作り出す繭の色の傾向から、そんな事を思った。
そう、この彩燦蚕たちは、歴代のカンニャンの研究と努力の結果、美しい色とりどりの色彩に、強靭で細く長い糸を持つ繭を作り出すようになった蚕たちなのだ。
元は野蚕たちが、本当に数多の色彩の繭を作っていた事から、発想を得た事である。
しかし野蚕たちの繭は小さめで、育ててもたくさん糸がとれない。そのため、当時のカンニャンが掛け合わせをはじめ、今に至っているわけである。
しかし、野蚕たちは活発に動き回る習性を持っていたからか、そこから生み出された彩燦蚕たちは、どれだけ掛け合わせてもその活発に動き回る事を止めず、さらに餌の在る木を目指すという特徴も持っているため、家の中、建物の中だけでは育てられない、手間のかかる蚕たちなのであった。
ならばどうするか。答えは簡単で、カンニャンが蚕たちを羊よろしく連れて歩き、餌場まで連れて行くのだ。
日が暮れる前にその蚕たちを集めて、夜は気温も湿度もちょうどいい蚕小屋で休ませる。
そう言った育て方をしているからか、カンニャンの育てる彩燦蚕達は、皆健康優良児なのだった。
さて、カンニャンとして一番大事な、彩燦蚕に繭を作らせるという作業を終えたカンニャンは、やっと一息つけるようになり、そこから大きく息を吐きだした。これから、床の掃除をしなければならない。みれば蚕の糞がたくさん、床に落ちていた。