9話 剣聖と戦ってみた
「クロム、僕と手合わせしてくれないか?」
ラビリスとの模擬戦のあと、シリウスさんがそう言ってきた。
「君の師匠ではなく1人の剣士として、君の本気を見てみたい」
「…………」
少しだけ、迷った。
ただ、今さら不自然にならないように取りつくろっても仕方ないだろう。
それに今の肉体でどれだけ戦えるのかも気になる。
そして、なにより。
(……シリウスさんに成長した俺を見てもらいたいしな)
1周目では、弟子としてふがいない姿しか見せることができなかった。
俺みたいなのを弟子にしたせいで、シリウスさんが陰で悪く言われていたことも知っている。
それなのに、立派になった姿を、最後まで見せてあげることができなかった。
だから。
「わかりました。本気でいきます」
「……ありがとう」
シリウスさんはそう微笑むと、静かに剣をかまえ――。
――ふっ、と消えた。
「……っ!」
気づけば、すぐ目の前に剣が迫っていた。
間合いはかなり離れていたのにだ。
(――“時間加速・Ⅲ倍速”!)
本能が危険を察知し、倍速術式をとっさに発動する。
ぎぃん――ッ! と、反射的に剣を振り、斬撃の軌道をそらす。
まともに剣を受け止めたわけでもないのに、腕がびりびりと痺れた。
「すごいな……今のクロムはこれも防げるのか」
シリウスさんが肩をすくめる。
「それと……やっぱり、君の魔術は“身体強化”の類ではないね。あれだけ速く動いていたわりに、剣に重さがなかった。それに筋力が上がっているというより、行動を早回しで見せられてる感覚だ」
「……本当に、目がいいですね」
たしかに、倍速術式は身体強化とは決定的に違う。
“速く”なるのではなく、“早く”なるだけ。
あくまで、行動時間の短縮――行動の早回しにすぎない。
攻撃力や防御力が増すわけではない。
2倍の早さでパンチしたところで威力は2倍にならないし、高いところから半分の早さで落ちても衝撃は変わらない。
「さて、それでは本番といこうか――“身体強化Ⅶ”」
シリウスさんがそう唱えた瞬間――。
ずん――ッ! と、シリウスさんの体から膨大な闘気が放たれた。
「……これが僕の本気だ。君も本気で来い、クロム」
まだこんなものじゃないだろう、と言うかのように。
シリウスさんが、すぅぅと静かに剣をかまえ――消える。
(速い――ッ!)
気づけば、また目の前に剣が迫っていた。
ムーンハート流の間合いを幻惑する歩法から放たれる、半月型の斬撃。
(――“時間加速・Ⅳ倍速”!)
とっさに倍速を1段階上げる。
魔力がばちばちと体の表面で放電する。
まだ魔術に慣れていない肉体に負荷がかかり、全身がびきびきと悲鳴を上げる。
それでも――。
(……この倍速でも追いつかれるのか)
シリウスさんの剣は、速いだけでなく――早い。
反応も、判断も、技の切り替えも。
剣が変幻自在の軌道で迫りくる。
足さばきの1つ1つが、間合いを幻惑してくる。
避け方を先読みされ、全ての攻撃を防いでいるのに流れるように体勢を崩されていく。
剣を振る速度は変わらないのに――対応しきれない。
(……強いな、やっぱり)
――剣聖シリウス・ムーンハート。
元宮廷騎士最強と呼ばれていたのはダテじゃない。
剣に愛された者がさらに長年研鑽を重ねて、ようやくたどり着ける高みだ。
(まだ剣の技量だけじゃ敵わないか……)
昔は、雲の上の存在だと思っていた。
強くなった今だからこそ、より彼の強さがよくわかる。
「はァア――ッ!」
シリウスさんの烈火のごとき気迫のこもった剣撃。
「……っ」
ぎぃん――ッ! と、火花が散るともに俺の剣が弾き飛ばされる。
その衝撃で、ぐらりと俺の体勢が崩れる。
すかさず、シリウスさんの次の剣が迫る。
回避できる間合いではない。剣がなければ受け流すこともできない。
(…………ここまでか)
スローモーションで迫りくる剣身。
俺はそっと目を閉じ、そして――。
「――――“時間加速・Ⅻ倍速”」
その一言で、全てが終わった。
「……っ! 消え……ッ!?」
シリウスさんが剣を空振りしてうろたえ……。
それから、ぴたりと動きを止める。
ようやく気づいたのだろう。俺がすでに背後から剣を突きつけていたことに。
「――これが、俺の本気です」
シリウスさんはふり返らずに、しばらく立ち尽くしてから……。
「……そうか」
と、ようやく呟いた。
「…………降参だ」
やがて、からんと剣を地面に落とす。
「うん……強くなったね、クロム」
「……はい」
俺は、頷く。
「……あなたが、剣を教えてくれたから」
優しさを、強さを、温かさを……教えてもらったから。
シリウスさんに育てられなければ、俺は何年経っても何者にもなれなかっただろう。
この人みたいになりたいと思って、ずっと剣を振ってきた。
あなたのおかげで強くなれたのだと、ずっと伝えたかった。
だけど……。
「――クロム」
名前を呼ばれて、はっとする。
顔を上げると、シリウスさんがこちらを見ていた。
「君が強くなったのは、僕のおかげなんかじゃないよ」
「……え?」
「どうして、クロムがいきなり100年分も強くなったのかわからない。言いたくなければ話さなくてもいい。だけど……僕はいろいろな人の剣を見てきたからね。剣の振り方を見れば、今までその人がどんなふうに剣を振ってきたか、なんのために剣を振ってきたかがわかるんだ」
シリウスさんが優しく微笑む。
「君の剣は、剣に愛されなかった者の剣だ。どれだけ弱くても、どれだけ怖くても、どれだけ痛くても……たくさん涙を流して、たくさん血を吐いて、たくさん誰かを守ろうとしてきた――とても優しいクロムの剣だよ」
「……っ」
……おそらく、シリウスさんはもう察している。
この体に、“この時代のクロム”ではない何者かが入っていることを。
それなのに、気味悪がることもなく……。
その大きな手が、俺の頭にぽんっと乗せられた。
「――立派になったね、クロム」
温かくて優しい手だった。
「たくさん、頑張ったんだね」
「…………はい」
「周りがクロムをなんと言おうと……君みたいな弟子を持てたことを、僕は誇りに思うよ」
……初めてだった。
俺の力を見て、そんなふうに言ってもらえたのは。
その言葉だけで、これまでの全てが報われたような気がした。
(……やっぱり、この人には敵わないな)
なにも事情なんて話してないのに。
全てを見通したように、ずっと欲しかった言葉をくれるなんて。
「剣については、もうあまり教えてあげられることはなさそうだ。今後この稽古の時間は、君のなすべきことのために使いなさい」
それから、シリウスさんが優しく笑う。
「でも、もしも僕の力が必要なら、いつでも頼ってほしい。家族の力にはなりたいからね」
「……はい。そのときは、きっと」
自然と頭が下がった。
「――ありがとうございました」
俺はこの人たちから、もらってばかりだ。
それなのに、1周目ではなにも返すことができなかった。
いつか、この人たちにもらったものを返せるだろうか……。
(いや……過去から少しずつでも返していくんだ)
そのために、俺はこの時代に戻ってきたのだから――。
次回あたりから本格的に物語が動きだします。