6
「昼食の準備が整いました。旦那様もお戻りになりましたのでダイニングルームへお越しください。」
衝撃の光景を目撃してしまった後は窓辺の椅子に座りなおすと、ソフィアが昼食を伝えに来るまで窓の外へ顔を向けていたようです。
テーブルの上を片付けたりお茶を入れなおしたりしていたミーナからは、旅の疲れがまだ残っている…と思われていたようです。
顔色が悪いままミーナの案内でダイニングルームに向かいました。
ドアを開けてもらうと旦那様が一人、席について飲み物を片手に何か書類をめくっていました。
旦那様の向かいの席に案内されそこに座ると、書類を見るためにかけていた眼鏡を外しながら旦那様が私に目を向けました。
「ゆっくり休めたかな?昨日は着いたばかりだったというのに朝食の約束をしてしまって悪かったね。しかも約束も守れなかったし。結果的にはよかったようだけど、配慮に欠けていたね。」
柔らかい笑顔と優しい言葉をかけてくださいました。
そもそも「あの女性は誰なの?」などと詰め寄る立場も資格もありませんものね…と不安な気持ちに蓋をして笑顔を作ります。
「ありがとうございました。自覚は無くても少し疲れていたようです。すっかり寝過ごしてしまいました。お気遣い頂きました。」
感情なく作った笑顔で無難な答えを紡ぎだす口は、まるでここに来る前の私に戻ってしまったようです。
私の前にお茶が用意されカトラリー類も置かれ始めたところでダイニングルームの扉が開けられ、あの女性が入ってきたのです。
「まあ!あなたはナタリアね。」
その女性は弾けるような笑顔と嬉しそうな声を上げて私に近寄り、突然手を取ったのです。
驚きのあまりに何も言葉が出ず狼狽えるしかない私に見かねた旦那様が助け舟を出してくれました。
「サラ、ナタリア嬢は昨日の夕方着いたばかりだし、君も留守にしていたから、まだ僕は何も紹介も説明もしていないからね。だから彼女もびっくりしているよ。」
そう。旦那様が言うその通りなのです。
普通嫁ぐ娘が知り得る最低限の情報さえ、そればかりかここがどちらにあるどこのお宅なのかも社交界に出されることがなかった私には分かりかねているのです。
今分かっているのは旦那様のお名前がサイラス様でこちらの領主様ということだけです。
「まあ!そうなの?ナタリアはどのあたりまで分かってここへ来たのかしら?」
サラ(?…先ほど旦那様がそう呼ばれていたので)様の質問に私はとても戸惑いました。
恥をさらすようですがここは正直に本当のことを述べてしまうのがいいと感じました。
「お恥ずかしいことですが、実は父からは嫁ぐことが決まったことと迎えが来ることだけ告げられまして、全く何も知らない状態でこちらへやって参りました。」
私の言葉に目の前のお二人とも…いえ、給仕をしていたメイドも旦那様の書類を預かった執事さえも一瞬動作を止めたため妙な静寂に包まれました。
「えっ?知らないって。ここの領地はどこ…そんなところからかしら?」
サラ様が綺麗なお顔の眉間に皺を寄せられています。
私ははっきりと言いました。
「いえ。領地はおろか家名も。どなたに嫁いだのかさえも知らない状態です。」