第一話 始まりの森
「そんな事じゃあ、森を出て暮らす事なんてできやしないぞ。この世の中は所詮、弱肉強食じゃ。油断すれば後ろから切りつけられ、慎重に距離をとっても魔法で黒コゲにされる。人に溢れた町で暮らすという事はそういう事なんじゃ」
どういう事だよ。このクソじじいが。ていうか、この世界は狂っていやがる。
何が剣だ。何が魔法だ。
目の前にいるクソじじいが手から放った炎を避けながら、マンテは心の中で悪態をついた。
何を隠そうこのマンテ、実は日本というこことは違う世界で生きていたという前世の記憶があったりするのである。前世の記憶が目覚めたのはマンテが8歳の時。修行という名の拷問で生死の境を彷徨って、生還した時に流れ込んでくるかのように思い出したのである。
最初マンテはあまりの修行の辛さから、こんな世界があったらいいなぁという空想に取り憑かれたのかと思った。しかし、その記憶の中にあった『くっきぃ』なるものを作ってみたところ、その味や食感は一度も食べた事がないはずなのに、予想していたものと全く同じで、懐かしさすら感じられたのである。
その後いろいろと試した結果、自分が手に入れた前世の知識は本物の異世界の記憶である事が分かったのである。
こうして手に入れた記憶はマンテにとって、厳しい修行という名の拷問を乗り切るための菓子というささやかな楽しみという利点をもたらした。しかし、それと同時に、悪い点もマンテにもたらした。それは、くそじじいが話すこの世界に疑問と恐怖をもたらしたのである。
マンテがくそじじいと呼んでいる男の名前はヴォワザン・ディ・フランチェスコという。マンテの母親の父、つまり血のつながった祖父である。
マンテは物心ついた時から、このくそじじいと森で2人で暮らしていた。くそじじいの話では、マンテの両親は殺されてしまったため幼いマンテをひきとったという事らしい。
そして、自分と娘がそうであったように、マンテを一流の魔術師にするべく、魔術の英才教育を幼少より叩きこんだ。それはもう、異世界の記憶が蘇ってしまうほどに過酷な修行である。何度も死にかけ、治癒魔法で蘇った。それは前世の記憶が蘇ってからも続いた。
前世の記憶が戻る前は、皆こういうものかと思って疑問に思っていなかったのだが、こんなに生死の境を彷徨うのはおかしい事だと思うようになった。
森の中でずっと育ったため外界との接触は皆無である。そのため前世の記憶がスタンダードになり、この世界の方がおかしいと考えるまで時間はそう長くはなかった。
マンテはその心情をクソじじいにぶつけた事もある。
「じいちゃん。何でこんな事をしなけりゃいけないんだよ。こんな事しなくても生きていけるだろっ!!!」
マンテは泣きながら訴えた。
「何を言っておるんじゃ。この試練を乗り越えられなければ、魑魅魍魎が跋扈する人の世界では生きてはいけん。ここを生き延びたとて、いずれ殺されてしまうのじゃ。早いか、遅いかの違いしかないのじゃ。儂はそうならないように、お前を育てなければならんのじゃ」
マンテは前世の記憶があるが、この世界の人とは関わった事がなかった。だから思った。この世界の住人は何て恐ろしいんだろうと。
「熱い、熱いよ」
マンテの立つ地面には魔法陣がかかれておりそこから炎の火柱があがっている。
「もっと魔力を体に纏わせるのじゃ。気を抜いたら一瞬で黒コゲじゃぞ」
マンテの流す涙は頬から離れると一瞬で蒸発する。
「ひっく、ひっく。もう無理だよ。限界だよ」
泣きながらマンテは訴える。
「まだほんの数分しかたっておらんぞ。そんな事では、魔法使いと冒険者ギルドで因縁をつけられたら灰も残らんぞ。大丈夫じゃ。お前はやれる。それにお前には、獣人の血も少し入っておるから、生身でも少々の火傷くらいじゃあ、後も残らんわい」
マンテの父親は獣人という亜人種であった。つまり、マンテは獣人と人のクォーターという事になる。獣人はその身体能力もさることながら回復力も人のそれよりは遥かに高い。
しかしそうは言っても熱いものは熱いのである。人と同じように苦痛は感じる。
前世の記憶の中ではこんな苦行等ありえない話である。そしてこんな過酷な事を乗り越えなければ、人の世界で生きていけないというこの世界は何と修羅のような世界である事か。
いつしか前世の記憶も手伝って、苦行に耐えられなくなったマンテは自分の祖父をクソじじいと呼び、修行の事故を装ってクソじじいを亡き者にせんとオリジナルの魔法の開発に勤しんだ。
それがクソじじいの望みでもあったからである。
儂を倒せば一流の魔術師として認めてやる。すなわち、倒した時に初めて、修行という名の拷問から解放されるという事である。
マンテは前世の記憶も利用し、新魔法の開発を頑張った。
そして月日が流れてマンテは15歳になった。
目標であったクソじじいを倒すという目標はついに叶えることはできなかった。しかし、拷問からは解放されるという長年の願いは成就される事になる。
予期せぬクソじじいの死であった。
朝ベッドに起こしに行ったら、全く返事が返ってこなかったのである。前日まで元気に動き回っていたのが嘘のように静かに横たわっていた。
「クソじじい……」
冷たく、動かなくなった祖父を見つめながらマンテは呟いた。
その時、遺体が発光を始める。
「これは……クソじじいの魔術!!」
死後なんらかの条件で発動するように仕掛けられていた事が予想された。魔法陣を一見して、起こりうるいくつかのパターンを瞬時に解析し、マンテはそれに備えた。
大きな爆発音とともに遺体は大きな黒い火球に包まれる。
マンテは流れるような魔力操作で自分の身の回りを防禦する。
数分後、半径40mの焼け野原の中心にマンテは立っていた。マンテとその身につけていた衣服は無事だったが、木造の小屋は見事に見る影もなかった。
「最後の最後まで……」
マンテは独り言を言い切る前に1枚の紙がひらりと舞うのに気が付いた。あの炎で焼かれなかったのだ。何かクソじじいの残したものであろう。
紙を手に取ると文字が刻まれていた。クソじじいの字である。
これを読んでいるという事は儂はもう死んだという事じゃろう。
そして、最後の試練をお前は乗り越えたという事じゃ。儂を包んだ黒い火炎、あれは儂の最大の魔法【ヘル・フレア】じゃ。
お前なら乗り越えられると信じ、儂は全力で行かせてもらったぞ。そして、それにお前は応えた。見事じゃ。
この手紙を書いたのはお前が12歳の時じゃ。
儂には全て分かっておる。お前が儂との戦闘で手加減しておるという事はな。だが、その考えは甘すぎじゃ。例え血のつながりがあろうとも、全力で殺りにいかなければ、殺られるのは自分の方じゃ。何度も教えたが、そうしなければ、この世界では生きてはいけないのじゃ。
お前がその甘さを克服した時、お前は“究極の魔術師”として名を轟かせることじゃろう。
さぁ、行け。人の世界に旅立つのじゃ。
儂の死を悲しんでおる場合ではない。
前を向いて進のじゃ。
お前ならば上手くやれると信じておるぞ。
ヴォワザン・ディ・フランチェスコ
マンテは全てを読み終わると、その紙をくしゃりと握りつぶした。そして、目に溜まる涙を腕でふき取ると、顔を前にあげて歩を進める。
そうである。
これから、狂気の魔術師に育てられたマンテの冒険が今始まろうと…………………………していなかった。
「ふざけんな! 12歳だと?! その時にあれを喰らってたら絶対死んでたぞ!! 何だよ“究極の魔術師”って、ダセェよ! 何でそんな修羅のような人の世界に行く必要があるんだ? 死期の近かったクソじじいでこれなんだから、他の魔術師となんて闘えるわけないじゃん。ここで気ままに暮らした方が良くないか。それに、儂の死を悲しんでおる場合ではないだって? いやいや、全然悲しんでないんだけど。涙が出ない自分の非情さに涙がでてきたわ。ふ~、それにしても、家ごと焼き払うとはなぁ。丁寧に魔物除けの魔法陣も焼き払っているな。強制的にここから追い出そうって事か……でもね」
マンテは地面に消えた魔法陣を再構築して、魔力を流す。すると、あっという間に魔除けの魔法陣を復元させる。
「これでよしっと。お次は家だな……どんなのにしよう。まぁ、いいか。後からでも変える事ができるしね」
マンテは土魔法で建物の土台を作り始める。
「魔法って、こういう風に使ったら便利なものだよね。岩を飛ばしたりとかがメインの使い方だなんて、本当に野蛮な世界だよな」
マンテは前世の知識を持っている。それはこの世界でいいのか悪いのかは今のところ分からない。でも、その知識はマンテの倫理観をも根底から覆していた。そのせいで、クソじじいを殺すことも躊躇ったし、魔法を攻撃用途としてではなく、生活が便利になるように開発し続けたのである。
「おお、なかなかいいね」
マンテは一日かけて作りだした建物を見て満足の笑みを浮かべる。
土魔法で作られたその建物は元々あった木造の小屋とは雲泥の差であった。そう、まさに西洋の城と言うに相応しい建物が出来上がっていた。
「城壁とかは……まだいいか、拡張するかもしれないしな!!」
玄関から中へと入る。
「広っ!! 一人じゃあ、こんな広さはいらなかったかなぁ、まぁ、いいか。ふぁーあ、今日は疲れたから寝ようかな」
大広間を抜けて適当な一室の中に入る。
部屋の中には家具はまだ作っていないので、土を硬質化させて作ったベッドがあるだけであった。
マンテはそこに横たわる。
「ん~、硬いな。布団とか、いろいろと作らないといけないな……。でも、まぁ眠れないこともない。今日は、これでいいや」
マンテは一日を振りかえった。
拷問のような修行を今日は行っていない事に気が付いたのだ。それは今日だけではない。明日も明後日も、これからもずっと続くことを考えた。
これからの事を考えると、マンテは安らかに寝息を立てて眠りに落ちた。