事故
俺の名前は、芹山 佻
今年で38になる独身貴族だ。
まあ、一度は結婚もしていたんだけどな。
自分でいうのもなんだが、学生時代は勉強、運動ともに結構優秀で、100人の人がいたらその中では必ず5本指にはなってやる!なんて自負も持っていた。
でも社会に出ればそれくらいの人間なんて大したことないもんだ。
自信を持って入社した会社では、新人の頃はエリート目指してガンガン仕事もしたが、やっぱ上には上がいて、自分の身の程を思い知らされた。
それでもなんとか頑張って、3年前にやっと一つの課を任されるくらいには出世できた。
再婚する気もないし、このまま中間管理職としてボチボチ生きていくのが自分にはお似合いなのかなって妥協してしまっている今日この頃だ。
「よし、帰るか」
週末、仕事を終えて帰宅しようとした時に後ろから声を掛けられた。
「芹山課長ー。この後何人かと飲みに行くんっスけど、一緒に如何っスか?」
「なんだ?給料日前にか?もしかしてまた俺にたかるつもりか?誠二」
「あっはっは!バレちゃいましたー?なーんて冗談っス冗談!睨まないで下さいよ!今日は経理の辻ちゃんとお美紀さんも来るんっスよ。あの二人、タイプは違うけどすっごい美人じゃないですか。絶対良い酒になりますから課長も一緒に行きましょうよー」
コイツは里田 誠二。
俺の部下の中の一人で、軽い感じの言動に、見た目も洒落っ気が目に付く、いわゆるチャラ男って奴なのか?そんな感じの男だ。
人を食った様な態度が敵を作りやすい奴だが、仕事はできる。
人とは違った観点から物事を見れるその感性には幾度となく唸らされたもんだ。
女癖が悪いという欠点もあるが、まあ他人の恋愛には干渉しない主義の俺は基本的に放置だ。
目の届かない場所においてはな。
「全く・・・わかったよ。付き合うとしようか。ただし、俺が行くんだ。女子社員に変なちょっかい出せると思うんじゃないぞ」
やれやれ。といった感じに答えてやると、
「えー、いいじゃないですかー。実は今、辻ちゃんの事狙ってるんっスよー」
「ダメだ。それなら俺は行かんぞ」
「わかりました!大人しくしときますから是非一緒に来て下さい!やっと飲みに行く約束取り付けたのに、金がなくていけないなんて恥ずかしいっスから!」
誠二が拝むように俺に頼み込んでくる。
コイツ、やっぱり最初から俺の財布あてにしてやがったな。
「お前なぁ・・・。まあいいか、で?どこに行くんだ?」
「駅前の黒木屋っス。とりあえず席の予約はしてありますよ。19時からの3時間飲みほっス。辻ちゃんや他のメンバーは先に店の方に行ってるっスよ」
「19時から?間に合わんじゃないか」
今が18時50分。
駅前まではどれだけ急いでも20分はかかる。
「課長をお誘いしたくて待ってたんっスよ!早く行きましょう」
「この確信犯め。仕方ない、他のメンバーには先に始めておくように電話入れておけよ」
そう言うと、誠二はビシッ!と敬礼のポーズをとりつつ、
「了解っス!電話したら後を追いかけますんでお先に行ってて下さいっス」
と言って先に行っているメンバーにだろう、電話をかけ始めた。
「わかった。では先に行っておくからな」
俺は駅前に向かって、すこし足早に歩き出した。
駅前に到着し、店の案内役に誠二の名前を出してみる。
「すみません、19時からで里田 誠二の名前で予約が入っていると思うのですが」
「19時からご予約の8名様ですね。席までご案内致します」
来客を対応してくれた女の子がそういって俺を案内してくれる。
8名か、そういえば人数を聞いていなかったが思ったより多いな。
名前を聞いていない残りの4人は誰が来ているんだろう?そんな事を考えながら飲み屋の喧騒の中を奥に向かって進んでいく。
お、あそこの席だな。見知った顔がある。
「やあ、天草君。久しぶりだね。元気にしてたかい?」
と、一番手前にいる女性に声を掛ける。
彼女は天草 美紀。
入社してから3年程は俺のいる総務課に籍を置いていたが、とある理由で2年前から経理課の方に転属となった。
女性らしい均整のとれたプロポーションに、腰あたりまで伸びる艶やかな黒い髪。
ややつり目で切れ長な目はクールビューティーをいう言葉がとても良く似合う。
容姿端麗・成績優秀。才色兼備を身に纏ったようなその存在は若い男性社員にとても人気が高く、また後輩の面倒見が良く年下の女性社員からも人気が高い。
そんな彼女は畏怖と尊敬の念を込めて、一部の人間から「お美紀さん・お美紀様」などと呼ばれているようだ。
「芹山課長、お無沙汰しております。今日は宜しくお願いします」
天草君は立ち上がり、頭を下げてくる。
「ははは、そんなに畏まらなくていいよ。今日は酒の席だろう?あまり固いことは無しでいこうじゃないか。ところでその隣にいる女性が、えーと茜君かな?誠二から参加していると聞いていたのだが」
「はい、今年入社した私の後輩の茜です。ほら、こちらが芹山課長よ。ご挨拶なさい」
「は、初めまして!今年経理課に新入社員として配属になりました、辻 茜です!きょ、今日は、宜しくお願いします!」
ふむ、辻君か。
小柄で華奢な体とややあどけない感じの童顔が、実年齢よりもかなり若く見られそうだ。
肩で揃えられた髪が新入社員の初々しさ感じさせる。
大きな目が印象的で、新卒で入社したのなら21歳のはずだが、高校生といっても通用しそうだな。
しかし、うちの会社で働くよりも、6アイドルでもやっていた方が良いだろうと思うほどの可愛い女の子だ。
なるほど、誠二が目を付けるわけだ。
辻君は天草君が挨拶を促すと、慌てた様子で立ち上がり深々と頭を下げてきた。
あまりに慌てて頭を下げたせいで、バランスを崩し転びそうになっている。
すんでのところで天草君のフォローがはいる。
「はっはっは、辻君だね。宜しく頼むよ。君ももっと楽にするといい。私などそんな大した人間ではないのだからね」
「いいい、いえ!そ、そんな事はないです!その、あ、ありがとうございます!」
辻君は転びそうになったのが恥ずかしいのか、盛大にどもりながら、顔を真っ赤にさせて再び頭を下げてきた。
少し落ち着かせてあげたいが、どうしたものかと言葉をかけてみる。
「仕事の方は慣れてきたかい?天草君は厳しいだろう?彼女はなかなかの女傑でな。よかったら私の課にいた頃の武勇伝でも聞かせてあげよう」
「え!?そんなお話があるんですか?是非聞きたいです!!」
お、食いついてきたな?先ほどの真っ赤な顔は何処へやら、餌を目の前にした子犬よろしく、その目を輝かせている。
横で天草君が「ちょっと!課長!?」と俺への非難の声を上げるが、辻君はさらに言葉を続ける。
「でも、美紀先輩はとても優しい方です。ミスばっかりの私をいつもフォローして下さっていて・・・。私の憧れなんです。いつか美紀先輩の様な人になりたいって思ってます!」
天草君をチラッと伺いながら、辻君はすこし恥ずかしそうにそんな事を言った。
対する天草君も、そんな辻君を優しい目で見ている。どうやらいい関係を築いている様だな。
「うん、仲良くやっている様だな。天草君は辻君の目標なんだな。頑張ると良い」
俺も微笑みながら、そう伝えると辻君は「はい!」と気持ちの良い返事を返してくれた。
大分落ち着いた様だな。
その様子に安心した俺は二人から目を外し、奥の方に目を向けると、俺が来たことを認識したのだろう、メンバー全員が席を立ちあがっていた。
「さて、他のメンバーは・・・、おお、裕磨か。あと君は受付の子だったね。それにそちらの二人は確か人事に所属していたかな?うん、気にしなくていいから皆、席に座ろうか」
「初めまして、人事の本条 要と言います。今日は宜しくお願いします」
「同じく、人事の水上 翔太と言います。今日は里田君のお誘いで参加させて頂きました。どうぞ宜しくお願いします」
本条君は好青年そうだがあまりパッとしない印象だし、隣の水上君は、まあいわゆる肥満というやつだな。
この二人チョイスはなんだか誠二の悪意というか下心を感じるぞ。
「何度かご挨拶はさせて頂いておりましたけど、こうしてお話しするのは初めてでしたね。受付をしております小鳥遊 麗奈と申します。宜しくお願いします」
小鳥遊君は、さすが受付をしているだけあって、挨拶するのにも品があるな。
受付は会社の顔になる。それなりの教育を受けてきたのだろう。
天草君、辻君と比べてしまうと少し見劣りしてしまうが、十分に美人だといえる顔立ちに、肩の下あたりまであるウェーブのかかった明るい茶色の髪は華やかな印象を受ける。
しかし先程、『受付の子だったね』と言った際、一瞬とても不機嫌そうな顔になった。
まあ覚えていなかったとは言え名前で呼ばなかったのだから気を悪くしたんだろう。
受付してるくらいだから自分に自信のあるタイプだろうし、あとで謝っておくか。
「課長、どうぞこちらの席へ」
と、俺の席に促してくれるのは部下の一人である工藤 裕磨だ。
俺の部下の中でもかなり大人しい部類に入る人間で、あまりこういう席には出てこないタイプのはずなんだがな。
しかし、実のところ俺と同じくゲームやアニメが好きで、プライベートな部分でも付き合いがある。
同じゲームをプレイしていたり、お勧めのアニメを教えてもらったりしている。
「みんな、わざわざありがとう。今日は宜しく頼むな。とりあえずここは会社ではないのだから無礼講で行こう。楽しい席にしようじゃないか」
俺は皆に席に着くように勧めながら、自分も席に着く。
ちょうどそのタイミングで誠二が遅れてやってきた。
「課長早いっスね!全然追いつけなかったスよー。あーノド乾きました。早く飲みましょ!俺の席ここ?麗奈ちゃん、ちょっと俺と席代わってほしいなー」
「え?うん、いいけど・・・」
誠二は着いた早々自分のペースで話を進めつつ、さらに席まで自分の思うように変えていく。
席順は一番奥が俺、隣に裕磨、本条君、水上君と並び、対面の席は俺の正面に小鳥遊君。その横に誠二、辻君、天草君と並ぶ形となった。
誠二・・・あからさますぎやしないか?まあいいか。
「ではみな揃ったことだし乾杯といこうか」
こうして、飲み会は開始されていった。
飲み会が始まってからかなりの時間が経過したある時、誠二がおもむろに
「課長、ちょっとタバコ吸ってくるっスねー。要と翔太も吸いに行こうぜ。裕磨もちょっと付き合ってくれよ」
「僕も?わかった」
「ああ、すまんな。気を使ってもらって」
と、席での喫煙を遠慮してくれていた誠二が、同じ喫煙組であろうメンバーを誘いながら煙草を吸いに行った。
あれ?裕磨は吸わなかったハズだけどな?
煙草をまったく吸わない俺は、気を使ってくれていたことに感謝をする。
「あ、私も行くー。すみません席を外しますね」
と小鳥遊君も一緒に吸いに行く様だ。
おかげで席には俺と辻君、天草君の3人だけになってしまった。
ちょうどいいな。すこし辻君とも話をしておこうか。
と、飲み始めてからずっと誠二に話しかけられていた辻君に話しかけようとすると
「あの、芹山課長、すこしお願いがあるのですが・・・」
辻君から何か頼みたいことがあると話しかけてきた。
「どうしたんだ?俺に聞ける事なら良いんだけどな。とりあえず教えてくれるかい?」
「はい、あの、里田さんにこの後2次会に一緒に行かないかと誘われているんですが、私、できれば遠慮したくて・・・」
「ああ、さっきそんな話をしていたようだね。ふむ、では何か断る口実が欲しいから協力して欲しいというわけかな?普通に断れそうにはないのかい?」
「はい、なんかすごい強引で・・・。実は今日の飲み会も、最初はお断りしてたんですけど、何度も誘われて断り切れなくて・・・。申し訳ありません」
「私からもお願いします。茜にあの変な虫をくっつけたくありませんから」
辻君がひどく申し訳なさそう頭を下げ、天草君からも協力を頼まれる。
うん、これは無下にできるものじゃないな。
しかし天草君の誠二に対する評価がすごいぞ。
「わかった。しかしまあ、変に理由を付ける事もないだろう。気分が悪くなったから帰ると言って、駅のホームまでは俺も付き合い、家までは天草君が送り届けるという形で問題ないと思うがどうかな?もし誠二が変に食い下がってきたのなら、俺が少し強引に話を進めるようにしよう」
安心させてやれる様に、俺は微笑みながら辻君にそう言うと、彼女も安心したのか笑顔を返してくれた。
「お客様、すみませんがラストオーダーになります」
「わかりました。えーと、二人はなにかいるかい?」
「あ、別に大丈夫です」
「私も特には」
「そうか、ではオーダーは良いので人数分のお冷を頂けますか?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
ちょうど時間になりそうだな、まだ誠二達は戻ってきていないので水だけ頼んでおいた。
ついでに俺は辻君たちに手洗いに行くと言って席を立った。
俺が戻ってくると、誠二達も戻ってきたので、ラストオーダーは済ませてしまった事を伝える。
「了解っス。んじゃもう次行っちゃいましょうか。それで会計なんですが・・・」
「もう済ませておいたぞ。よし、まずは店を出るか」
先程、手洗いのついでに会計を済ませておいたのでそれを伝える。
「「「え」」」
「「「おお」」」
「やった!流石は芹山課長!!漢っスね!!流石っス!!」
他の面々が戸惑うなか、誠二だけは満面の笑みを浮かべて俺を持ち上げてくる。
しかしわざとなのか?褒めのボキャブラリーが少ないぞ。
流石を2回も使っているのはあれか?大事なことなのか?
俺はそんな事を思いつつ、苦笑しながら「よしいくぞ」と先に動くと他のメンバーもついてきた。
店を出たところでメンバー全員が頭を下げてきた。
「「「「「「「芹山課長、ご馳走様でした(っス)!!」」」」」」」
「ああ、まあたまにはな。それに俺も楽しい時間を過ごさせてもらった。これはその礼だと思ってくれれば良いさ。それで誠二、さっき次がどうとか言ってたがまだどこかに行くのか?」
俺は皆に気にするなと答えつつ、誠二に後の予定を聞く。
「はいッス。とりあえず裕磨以外のメンバーでカラオケに行こうかなって思ってるッス。課長も来るっスか?」
「ふむ、そうだな。若い連中だけで付き合うのも良いだろう。・・・俺は帰ってから少しやりたいこともあるし、邪魔はせずに帰るとしようかな」
そう言ってみんなの顔を見渡すと、辻君が「え?」と言いたげな表情になっている。それを認めた俺は
「うん?辻君はあまり顔色が良くないようだな。大丈夫なのかい?」
「え?あ、えっとあの・・はい、ちょっと飲みすぎちゃったみたいで・・・」
辻君は俺の言葉にすこし慌てたものの、先の打ち合わせの通りに話を合わせてくれた。
天草君も「大丈夫?」と声を掛けつつ、辻君を支えるように身を寄せる。
「えー?辻ちゃん大丈夫?じゃあさ、カラオケの部屋で横になってなよ。俺が介抱してあげるからさ」
おっと、予想通りに誠二が食い下がってきたな。
「おいおい誠二、無理強いは良くないぞ・・・・・なんだこの音は?」
俺が誠二を抑えようとした時に、徐々に大きくなっていく何か甲高い音に気が付く。
周囲を見渡しても、ビルに囲まれたこの場所では何も確認できない。
大通りに目を向けると、そこにいる人は上を見ながら必死に走って何かを叫んでいる。
俺は何が起きているのかを確認するべく、大通りまで全力で走る。
音はこの間もどんどんと大きくなっていく。
大通りに出て、視界が開けたところで上を見上げる。
そこで見たものは、墜落してくる飛行機の姿だった。