第一話 現役理系大学生の俺達が異世界に行ったら知識チートでハッピーな日々を送れるのではなかろうか?
現役理系大学生の俺達が異世界に行ったら知識チートでハッピーな日々を送れるのではなかろうか?
――結論から言ってしまえばそれは無理である。
貴久利斂史、羽良将大、比嘉乃鈴丸の三名はそれぞれ己の浅慮を呪っていた。
どうしてこんなことになってしまったのか。せめてもっと周到に用意をしておくことは出来なかったのか。そもそも何故異世界に行こうだなんて思ってしまったのか?
考えれば泉のように後悔は湧いてくるが、元を辿ると結局それらは一つの過ちに収束する。
異世界に渡ることを題目として活動していた彼らは、しかしその内の誰一人として異世界の存在を真に信じてはいなかったのだ。
故にこれは当然の帰結なのである。見知らぬ森に放り出されるなんてことは軽率な彼らが受けて然るべき報いだった。
「なあ、どこだよ、ここ。俺達さっきまで洞窟にいたよな? それが森? 地震は? ……何が起こったんだ?」
「さっまで洞窟にいたのは確かだ、それは俺も覚えてる。でも他はわからん」
青年達は緑の上にあぐらをかいて黙り込む。三人が三人とも半ば放心状態だった。不意に一人が全身を地に投げ出すと、残りの二人も同じようにする。
そのまま約五分が経過したところで内の一人がガバッと上体を起こし、大荷物の大男に詰め寄った。
「そうだハラショー。GPS! GPSはどうだ?」
「あ、ああ。見てみる」
大男は座り直し、自分の腰辺りをぺたぺたと触り回ってポーチを見つけると、スマートフォンほどの端末を取り出し操作する。
「……どうだ?」
ハラショーと呼ばれた男は中々返事をせず、代わりにみるみる顔を青くしてゆく。彼の表情こそが何よりも分かりやすい応えであったが、問うた男はただ彼に視線を注ぐばかりだった。もしかすればもしかすると、彼の口から好ましい返事が出てくるかも知れないと思ったのである。また、取り乱すのはまったく無意で、ひたすらに状況を悪くするだけだということも二十一年の人生で既に心得ていた。
「ダメだ、機能してない……コンパスと圧力計は動いてるけど」
散々ハンディGPSをこねくり回した挙げ句どうにもならないことを大男は悟り、のっそりと面を上げる。先の男と目があった。
「それって屋外ならどこでも機能すんだよな?」
「……そのはずだ」
「じゃあアレだ、衝撃で壊れた可能性は?」
「俺達どこも怪我してないのにか? アウトドア用だぞこれ」
ことの発端は二週間前に遡る。それは大学の前学期が終わった直後、お疲れ様会と称して大学近くに住む羽良将大の家に集まって、いつもの如くゲームをしていた時だった。
∵ ∵ ∵
「なあおいお前ら。夏休みは何か予定あるのか?」
この男の名は羽良将大、通称ハラショー。大学の名は彼らのプライバシーのために伏せておくが、理学部化学科三年の学生である。身長は182センチあり、中学から野球を続けてきたお陰で体躯も良い。横の二人と並べると違和感を覚える程にだ。そんな彼は大学入学当初もちろん引く手数多で、一年生の間に計七つもの運動部を渡り歩くのだが結局何処にも居着かず、居着けず、最終的には筋トレが趣味のインドア派オタク(肉達磨)という奇妙な生き物に成り果てた。端から見て非常に残念な男である。
「いや別に」
次なるこの男は比嘉乃鈴丸。同大学の工学部電気電子工学科所属。身長172センチ、体格はどちらかと言えば細い方。悪く言えばひょろい奴。田舎から上って来た口であり、大学デビューをせんと努力した結果何処をどう間違えたか女性に手当たり次第声を掛け、しかし踏み込んだことは何もしない中途半端なナンパ男になってしまったという悲しい経歴を有する。彼は生粋の小心者であった。刻苦虚しく、入学より二年と四ヶ月が経過した今では学友の女子達の間ですっかり”すずっち”という仇名に立場が定着してしまい、女に女扱いされる男にはやはり一度だって彼女は出来ていない。
「特には」
そして三人目の男の名は貴久利斂史。工学部機械工学科所属で身長168センチ、太ってはおらず、痩せてもおらず、つまり普通の体型である。この男は特筆すべき過去を持ち合わせていないが、だからといって彼の人生に汚点がないというわけではない。どういうことか説明すれば、彼の汚点は未だ過去ではないのである。貴久利斂史は現在進行形で中二病、それも痛いと知っていながらわざと言動をとるにわかではなく、真性。
まずファッションからして違う。洒落ているのは間違いないのに、何故かいつもどこでも浮いている。一般の装いからは何かズレているのだ。本人は知らないが、あんな衣装を一体全体どこから仕入れているのか、という疑問はもはや幾人に話の種とされたか分からない。言動だってもちろん違う。言葉遣いは少なくとも学生らしくないぐらいには堅いし、まるで達観したような口ぶりもしばしば、友人である将大と鈴丸も大体一ヶ月毎に換わるこの男の趣味には苦笑いである。
ちなみに目まぐるしく換わる趣味と彼の病気には実際何の関連もなく、単に貴久利斂史という人間が移り気なだけであったが、周りからすればどちらも奇行の一種でしかなく、同じ類の物と見なされていた。
「だろうなあ、まあ俺もそうなんだが」
将大はそう言って一人、なっはっはと妙な笑い方をする。中学時代に野球部コーチの笑い方が移ったものだった。
「何だお前、笑いたくてわざわざそんなこと聞いたのか?」
「いやいやまさか。お前らに一つ提案があってさ」
羽良は更に間を置く。勿体を付ける意味もあったが、躊躇いの表れでもあった。そして、開口。
――あんさ。異世界、行ってみたくないか?
「「は?」」
貴久利斂史と比嘉乃鈴丸は全く同じ音を発しながら同時に羽良将大の方に顔を向けていた。将大がいわゆる隠れオタクで、かつその手の物を好んでいることもなんとなく二人は承知していたが、対戦ゲーム中に視線を画面から引き剥がすほど彼らを驚かせたのは隠れオタクが隠れオタクたる所以。羽良は普段そのようなことを口にしないのである。
二人が呆気に取られている間に画面の中では将大の操作するキャラが二人のキャラを撃墜していた。
「お、勝った」
久々の勝利に将大が微笑み、画面の中では将大の操作するキャラが勝利のポーズを極める。
「ずるいぞハラショー。勝てないからって精神攻撃か」
「羽良にしては巧妙だな。してやられたぞ」
「冗談だと思ってるのか? 違うぞ、俺は本気だ。疑り深いお前らの為にまず前提から話すが、親父の登山仲間に絵描きが趣味の三崎さんって人がいてな? 偶に親父がウチに呼ぶから俺も何度かあったことがあるんだけどこれがまあお堅い人なんだよ。あんまり笑わないし冗談なんてもってのほか、みたいな感じの石頭なわけ。まあ悪い人じゃないんだけどな。んで、こっからが本題。こないだ親父と吞んでた時にふっと三崎さんが話題に挙がってさ、親父が言ったんだ、そういやこないだ三崎さん妙なこと言ってたなあって。三崎さんに貰った絵を自慢しながら」
将大が立ち上がって少し離れた所の壁に掛けられた小さな絵画を手に取る。
「それが異世界への行き方だったってのか?」
「その通り。俺が知る限り三崎さんはそんな冗談絶対言わない人だし、付き合い長い親父もそんときゃ何かに取り憑かれたみたいだったってさ。ちょっと信憑性が出てくるだろ?」
「なあハラショー、こんなこと言いたかないが、テスト勉強のしすぎでここがどうかしちまったんじゃねえか?」
鈴丸が右の人差し指で自分の頭をつつきながら言う。
「そう邪険にしなくても良いだろう比嘉乃。偶のことだ」
「何だよオサフミまで乗り気かよ」
「とりあえず聞くだけ聞けって、金取るわけじゃないんだからさ。これがその絵だ」
将大は元の位置に座りながら鈴丸に件の絵画を渡す。言い草に反して鈴丸は素直に受け取り、横から斂史が覗き込んだ。
「中々良いな」
「な、その辺のちょっとした賞くらいなら取れそう」
「実際地元の絵画コンクールじゃ大会荒らしって呼ばれてるらしい。親父が嬉しそうに額縁入れちまったから出さねえと見えんけど、その絵の裏にタイトルが書いてあって、それが”異なる世界へ続く、35.4なんちゃらかんちゃら、138.6うんちゃらかんちゃら”。数字の部分はよく覚えてない。あ、でもメモはちゃんと取ってあるから安心してくれ。どうしても実物を見たいってんなら開けてもいいが基本的にやめてほしい……元に戻すのすげー面倒だった」
鈴丸が額縁を裏返し、複数のピンで留められているのを見て確かに面倒そうだなと表に返す。
「その数字はどういう意味だ? 何かの暗号か?」
「座標だよ、座標。Googleマップで調べてみたらこれがどうやら青木ヶ原樹海のど真ん中辺りなんだ。いわゆる富士の樹海な。写真と絵を見比べてみても雰囲気が似てるからこの解釈は間違いないと思う」
「便利だなGoogleマップ」
「ほんとに。前学期は英作文のレポートほとんど全部Google翻訳にやってもらったけどA判定もらえたし」
俺も俺も、と羽良が比嘉乃に相槌を打つ。その横で斂史は苦い顔をして、
「そういう事実は教育上宜しくないから控えておけ……せめて胸の内に仕舞っておくべきだ」
「マジメだなぁ、オサフミは」
貴久利斂史は誰の手も借りず計3000語ほどにも及ぶ英作文群を仕上げた、極めて優良な生徒であった。
「で、どうだ? ちっとは行く気になったか?」
「いやならねえよ。今の話を信じる奴がこの世界に何人いると思う? 答えはゼロだ。その辺走り回ってるガキンチョだって馬鹿な話だなーって笑うぞ。なあオサフミ」
「そうだな。現時点でこの話は全く信頼できるものではない」
やり場を無くした将大の目線がくるくると宙を舞う。そのまま目を瞑ったり首をくねくねさせたりという無意味な動作をひとしきりすると大男は頭をわしゃわしゃ掻きながら口を開いた。
「あー、なんて言えば良いのかな! 俺口下手だから上手く説明出来ないけど二人が俺の立場だったら、こりゃマジかもなって思うような話だったんだって! それに富士の樹海だぜ? 見に行ってみたいと思わんか?」
あべこべだと思われるかもしれないが、実はこの時点で将大は異世界の存在を信じていない。奇妙な情報達がこの男の胸を踊らせたのもまた事実であるが、ここまで言わしめたのは時間である。三人でどこかちょっと遠くに旅行に行きたいな、という話は今から二ヶ月も前のことで、父親との会話から青木ヶ原樹海に興味を持ったのが半月前。そこから今日に至るまで勉学の合間を縫って旅先の情報収集にいそしんでいた彼としては、こんなにあっさり提案を却下されてしまうのは何とも口惜しいことに違いなかった。
「ふむ……一つ訊ねるがお前の父親からハンディGPSやらの装備一式は借りられるのか?」
斂史の態度が好意的なものになると将大の表情がぱっと和らぐ。
「ああ、たぶん。ウチの親父最近忙しいっぽくて全然山にも行ってないしな。最悪黙って拝借するって手もある」
「……なら俺は行っても良い。お前の言う通り前々から行きたいとは思っていたんだ。装備の都合が付かなかったから先送りしていたが、その問題もクリア出来るようだし」
視線が鈴丸に注がれる。あとはお前だけだぞ、という雰囲気が場に漂っていた。
「かーッ! 冗談キツいぜ二人とも! オーケーオーケー分かった俺も行きますよ! マジで異世界なんてもんがあったとき俺だけ置いてけぼりを喰らうのはやだし」
比嘉乃鈴丸という人間は流されやすく、そして大の寂しがり屋なのである。
「決まり、だな!」
「くそ。そのキメ顔だせえぞ! ハラショー」
かくして理系大学生三人組の異世界行きは決定したのだった。