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「ふんふんふんふふーん」
上機嫌に鼻歌なんぞを歌いながら、カッツェは中庭を歩いていた。中庭には美しい花が咲き乱れ、ふわふわと蝶が飛んでいる。その蝶を追いかけて歩いていると、近くの茂みから猫が飛び出してきて、にゃあっと一声鳴いて、走り出した。その猫があまりに可愛くて、カッツェは蝶のことなど忘れて今度はその猫を追いかけた。
「猫さーん、猫さーん。一緒に遊ぼー」
猫を追いかけて、地面を這って茂みの中を行く。やがて猫は茂みを飛び出して城壁に飛び乗って走り出し、カッツェも急いで茂みを飛び出し高く跳躍して難なく軽々と城壁に飛び乗り後ろを追いかける。だが猫はそれが嫌だったのかまた城壁を飛び降りて、裏庭の方に走っていく。
カッツェは夢中で猫の後を追う。
裏庭を疾走する猫。その後ろをぴったりくっついて走るカッツェ。すると猫はまた茂みに飛び込み、彼もそれを追って飛び込んだ。そして再び身を低くして後ろをついていく。が、そこに、突然、水が降って来た。
驚いて茂みの中から外を見ると、数人の使用人が大きなじょうろで茂みに水を撒いているところだった。
「にゃああ! 冷たいいいいいいい!」
カッツェはくしゃみをしながら茂みから飛び出した。
まさかそんなものが飛び出してくるとは思わなかった使用人は小さく悲鳴を上げて尻餅をつき、そこから零れた水の上にカッツェは着地・だが足を滑らせて尻餅をつき、半べそをかいてしまう。
「うわあああん! お尻痛いようっ」
「あ、あなた誰?」
使用人は目を丸くして驚いた。
カッツェは涙をぬぐいながら「僕はカッツェ、エレノア様の専属騎士だよ」と説明した。が、当然、こんな尻餅ついて泣いてる子供が皇女様の身辺警護など任せてもらえるはずがない。きっとどこかから勝手に入り込んだ街の子供だろう―――使用人はそう思い、ちょっと怒った顔をして彼の首根っこを掴んで立ち上がる。
「あのね、君。そんな嘘がこのお姉さんに通用すると思ってるの?」
「本当だもん、じゃあエレノア様に会わせてよお」
「無理に決まってるでしょう。それで君の家はどこ? 親御さんにもちゃんと注意しとかなきゃ」
「僕の家はアロ一族の森にあるよ。グリングラウンド帝国の隅っこにあるアロ族の住む集落だよ」
「はあ? あのね、そんな嘘が通用すると思ってんの」
「本当だもん、本当だもん! お願い信じて」
涙目で訴えるが、使用人は全く信用しない。まあ、当然だろう。
「もう、しつこいわね! そういう遊び流行ってるの?」
「遊びじゃないもん、本当なんだもんっ」
「とにかく! お城の外まで連れてってあげるから、もう二度と入ってきちゃだめよ! まったく騎士団の人達もなにやってるのかしら、こんな小さな子一人見過ごすなんて」
「お願い信じて、ねえ信じてー!」
「はいはい、信じたわよ信じました、すごいわねー」
喚くカッツェを適当にあしらいながら、首根っこ掴んでぶら下げながら歩き出す使用人。どれだけ喚いても使用人は効く耳持たず、むしろ喚くほどに機嫌が悪くなる。
だがすぐに、騒ぎを聞きつけたライエンが二人に声を掛けた。
「おいおい、一体どうしたんだ。騒がしいのう」
「あ! ライエン様! いえ実はこの子が自分はエレノア様の専属騎士だとかなんとか言って騒ぐんですよ。まったく最近の子供の遊びは性質が悪いですよ」
「うぅう。本当だもん、信じてよぅ」
大きな目に涙を浮かべ、哀しそうな顔してぶつぶつ訴えるカッツェ。だがすぐ使用人にひと睨みされ、押し黙る。
ライエンは顎に手を当てて、ふむ、と彼の顔を覗き込む。
「まあ、あの姫さんも思いつきで行動することが多いからのう。よし、そこまで言うならワシが確かめてやろう」
ライエンは豪快に笑い、腰から剣を抜き差す。
「って、正気ですかライエン様っ?」
「まあまあ、そこまで言い張るなら腕に覚えがあるということだろう。なに大丈夫だ、ワシも子供相手に本気は出さんよ」
そう言われ、仕方なく使用人はカッツェを下し、二人の邪魔にならない場所まで下がった。ようやく解放されたカッツェは腕でぐいっと涙を拭い、サーベルを抜いた。
「ほう、サーベル使いか」
「よろしくお願いします」
涙を必死に堪えながら相手の目を真っ直ぐに見るカッツェ。その顔つきは幼いながらに確かに剣を握る者の顔だった。生半可な気持ちではない、真っ直ぐに相手と向き合い本気の勝負をする覚悟のある、そんな顔だ。
「では、行くぞ」
先に、ライエンが動いた。
鍛え上げられた巨体が風を切り息を呑む間もない程の素早さで相手の眼前に迫る。さすがに勝負あったかと使用人が思うと、その考えは刹那で覆された。カッツェの小さな体は相手が眼前に迫った瞬間に風に舞う花びらの如く軽やかに宙を舞い、あっという間に彼の背後に降り立ったのだ。だがすぐにライエンは巨体を翻し、剣を振り下ろす。カッツェは素早く飛び退きその剣をサーベルで受け止めた。
「すごい、まさか互角………?」
驚いて息を呑む使用人。
だが次の瞬間。カッツェは膝から崩れ落ちた。
「手………痛いよぉ」
「すまんすまん、かなり手加減したんだがな」
ライエンは豪快に笑う。
使用人の目にはわからなかったが、ライエンの攻撃はあれでもかなり手加減したものだったのだろう。カッツェは手を押えて座り込んでいるが、おそらく、振り下ろされた剣の威力は枝のように細い彼が受け止めるには相当の力が必要だったのだろう。
「ふむ。しかし確かに実力はあるようだな。まあ一度エレノア様に確かめてみた方がいいな」
「本当っ? ありがとう、おじさんっ」
「こら! 僕、この方は獣騎士団の総長さんなのよ? そんな口の利き方しちゃだめっ」
「へえ、だからすごい強いんだね!」
「だから、話ちゃんと聞いてるっ?」
使用人は人差し指をピンと立てて、弟を注意するお姉さんみたいにぷんぷん怒る。だがライエンは豪快に笑ってカッツェの頭をくしゃくしゃと撫で、
「まあよい。堅苦しいのは嫌いだ。それよりお前の名はなんという? ワシはライエンだ」
少し膝を屈めて、笑顔を見せた。
「僕はカッツェ! よろしくね、ライエンっ」
「だーかーら! 本当、躾のなってない子ね」
「子供は元気が一番じゃ。それよりエレノア様に会いに行く前に風呂に入れてやろう、なんだか随分汚れとるじゃないか」
「そうだった。エレノア様の後をついてってる途中で蝶々見つけて、それで追いかけるの夢中になってて忘れてた」
「なんだと? もしお前さんが本当にエレノア様に選ばれたんなら、それではいかんぞ? 騎士と言うのはな、命を賭けて人を護らなければならんのだからな。例えお前さんがまだ未熟な子供であろうが、騎士を名乗る以上はちゃあんと使命を全うせねばならん。よいな?」
「うん。わかった」
しょんぼり俯き、素直に返事をするカッツェ。
「ようし。じゃあさっそく風呂に入ろうか、カッツェ」
「うん!」
「ああ、すまんが後でコイツの服洗濯しといてくれんか?」
ライエンはカッツェをひょいと肩に担ぎ、使用人に頼んだ。
「わかりました。ねえカッツェ君? ちゃんとライエン様の言うこと聞くのよ?」
「はーい………迷惑かけてごめんなさい」
「よし。わかればよろしい。じゃ、お風呂入ってきれいにしといで」
「はーい!」
さっきまでしょげていた少年は、あっさり笑顔になって元気に返事をする。注意されたことも何もかも、もう全部忘れてしまったかのように。まったく子供は元気でいいな、そんなふうに使用人は彼を少し羨ましく思うのだった。