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「林檎にブルーベリーにオレンジに小麦粉、あと赤ワインも頼む」
ちょうど昼前で大忙しの厨房を背に、バードックが相変わらずの険しい顔で買い物カゴとメモを差し出す。今日はエレノアが帰って来るので夜はささやかなパーティーが開かれるそうだが、彼女の大好物のパイを作る材料が足りないという。そこで運悪く通りかかったライトマンとエネルが買い出しを頼まれてしまった。
「ワシは別に構いませんけど、エネルはどうする? 先にエレノア様に会いに行くかい?」
「博士一人では野垂れ死にするかも、です」
「の、野垂れ死にはしないよ」
「しかし最近ますます顔色が悪くないか? 仕事が忙しいのもわかるが、少しは休んだ方がいいぞ。私の特製栄養ドリンクでも利かんようになってきてないか」
「あはは。まあたまにはのんびり温泉にでも浸かりたいですけど、国中の神殻修理工がアカデミーに囲われちゃってますからね。マトモな値段で修理できるのワシしかいないし、仕方がないんですよ」
「奴らの考えていることがさっぱりわからん。一体どういうつもりなんだ」
「彼らはマトモな人間の集まりではないです」
エネルがぽつっと呟くように言う。
「実験のためなら人の命など簡単に奪います」
そう話すエネルの目はどこか冷たく、表情もいつも以上に硬い。ライトマンはすぐに彼女の表情の変化に気づき、バードックも僅かに違和感を感じた。なので二人は目配せしてからすぐ話題を変えた。
「とりあえずじゃあ買い物に行って来ますね」
「ああ。急がんでいいぞ、夕方までに帰って来てくれればいいからな、たまにはのんびり散歩でもしてこい」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ頼んだぞ」
そう言って、バードックは厨房に戻った。
「じゃあ行こうか、エネル」
ライトマンが優しく声を掛けると、エネルは無言で頷いた。
その彼女の表情はいつもと変わらないように思うが、だが彼には分かる。
ライトマンは彼女があの場所で過ごした数年間のことはよく知らない。ただ、彼女があの場所で勝手な大人達の都合で実験台にされていたことだけは知っている。そう、それは、よく知っている―――
今でも彼女をよく知らない人から見ればその表情は人形か仮面のように見えるだろうし、言葉を交わしたところで気持ちは少しも伝わらないだろう。だがこれでも彼女と出会ったころのことを思えばよく感情が表に出るようになった方なのだ。表情も、彼女をよく知らない人間にはわからないかも知れないが、ライトマンには彼女の喜怒哀楽がはっきりとわかるのだ
と二人がしばらく歩いていると、後ろから、明るく元気な声が飛んできた。
「ライトマン様、エネル!」
二人もよく知ったその声に、ライトマンとエネルは振り返る。
そこには満面の笑みを浮かべて大きなぬいぐるみを抱えて走ってくるエレノアの姿が。彼女は息を切らしながら二人の前で立ち止まり、うっとりとした表情でライトマンを見つめた。
「お久しぶりですライトマン様、体調の方は大丈夫ですか? 仕事のしすぎで倒れてはしないかとずっとずっと心配で仕方ありませんでしたわ? なんだかますますお窶れになったんじゃありません? 栄養は大丈夫ですか? お食事はちゃんととってます? 眠れていますか?」
体がくっつきそうなくらい接近し、潤んだ眼差しでライトマンを見つめるエレノア―――そんな彼女の勢いに押され気味に彼は「お帰りなさいませエレノア様。エネルが首を長くして待っていましたよ」と答えた。そこでようやくエレノアはエネルに気付き、
「まあ、エネル! お久しぶりですわ、元気でしたか? 私も会いたくてしかたがありませんでしたのよ? お土産もホラ、こんなにいっぱい!」
エレノアはそう言って強引にクマのぬいぐるみを持たせ、さらに指をパチンとならせばどこからともなく数名の使用人が現れ大量の衣装を彼女に差し出した。そして彼女は瞳を輝かせながらエネルにそれらの衣装を差し出す。
「ほらエネル、さっそく着てみてくださらない? 絶対にかわいいですわよ、この衣装! エネルなら似合うと思ってついつい買い過ぎちゃったんですの!」
「あ、ありがとうございます………です」
そう言って差し出された衣装を一枚広げてみた。
黒を基調とした衣装で白いフリルと赤いリボンが可愛らしいドレスだが、正直、エネルの趣味ではない。が、似たような衣装を大量に抱えた目の前の皇女様は頬を赤らめ嬉しそうににこにこしていて、だから、無下に断ることなどできるはずもなく。絶対に一生着ないだろうと心の中で呟きながら「ありがとう、ございます………」相変わらずの無表情で、礼を言った。
「そうだ。今夜、パーティーが開かれるんですの。よかったらその衣装を着て出席してくださらない? 絶対、可愛いですわよ?」
きゃっきゃっ、と嬉しそうに提案するエレノア、ほとんど変わらない表情ながらもショックのあまり肩を震わせ若干青ざめるエネル。もちろんその感情の変化がわかるのは、ライトマンだけだ。エレノアは嬉しそうにきゃっきゃとはしゃぎ、衣装を着たエネルの姿を想像してうっとりしている。
「よ、よかったねエネル」
心の中では絶望しているんだろう、と思いながらも皇女様の手前、そう言うしかなかった。が、そんなライトマンの一言に腹が立ったらしく、エネルは、無言で思いっきり足を踏んづけてやるのだった。
「うぎゃあっ? ワシなんで踏まれたのっ?」
痛みに思わず蹲り足を押えるライトマン。
「なんとなく、です」
「うう。君のなんとなくは相変わらず怖いなぁ」
ライトマンはとほほと肩を落とした。
「あ。そういえば。紹介しますわ、この子は私の新しい専属騎士のカッツェ―――」
とエレノアが紹介しようと振り向くが、そこには、使用人以外誰もいなかった。
「あら。おかしいですわね、どこに行ってしまったんでしょう?」
「専属騎士さん、ですか?」
小首を傾げ、エネルが訊ねる。
「ええ。小さくてとっても可愛い男の子なんですの。エネルもきっと気に入ってくださいますわ」
「よかったねえ、エネル。新しいお友達だよ」
ライトマンは優しく笑う。
小さくて可愛い男の子、ということは自分より年下なのだろうか? ちょっと想像してみて、なんだか少し嬉しくなるエネルだった。