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闇の抱擁  作者: 横江秋月
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 朝倉亮一が再び俺たちの前に現れたのは、それからひと月ほどしてからだった。

 どうやって調べたのか、朝倉は直接俺たちのアパートを訪れた。前に会ったときよりもさらに頬がこけ、目も落ち窪んで、さながら幽鬼のようだった。

「君、最近、杉本杏子とつきあっているんだってね」

 朝倉は開口一番そう言った。

 何やら様子が変だった。以前の紳士的なところはみじんもなく、まるで絡むような物の言い方をする。

「……杉本杏子の出身地へ行ってきたんだ。そこで妙な噂を耳にしたよ。彼女が昔、吸血鬼に襲われたという噂を」

 朝倉は睨むようにして俺たちを見つめた。

「もう一つ変な話も聞いた。しばらく前、若い男がやってきて、彼女のことをいろいろ調べていったとね。……それは、君たちのうちのどちらかじゃないのか?」

 彼の言わんとしていることが、おぼろげにわかってきた。

「それは俺です」

 若尾が答えた。

「……それじゃあ、なぜ黙っているんだ? 何で彼女とつきあってるんだ? わかっただろう? 彼女は化け物なんだ、吸血鬼なんだよ! それなのに――それとも、何か隠してるのか? 俺の知らないことがまだあるのか?」

 感情的になった人間は、ときに鋭いところをみせる。いわゆる第六感というやつかもしれない。

 若尾はゆっくり首を横に振った。

「何も……俺が調べてわかったのも、そういう噂があるということだけです。でも、噂はあくまで噂で、真実はわかりません」

 朝倉の頬が小さく痙攣した。

「噂……噂なものか。弟はまだ見つかっていない。ほかの男たちもだ。彼女が殺したんだ。彼女がやったに決まっている。彼女が……彼女……彼女は……」


 俺は杉本杏子に夢中だった。

 彼女の人間的な魅力は俺を安らげ、彼女の背後にある黒い秘密は俺を酔わせた。

 俺は毎日のように彼女のアパートに通った。彼女の隣が、自分の本来いるべき場所のように思えた。彼女といっしょにいること――それがすべてであり、絶対だった。

「不思議」

 杏子は言った。

「あなたといると、何もかもしっくりする。誰かといっしょにいて、こんなに自然で、こんなに安心した気持ちになったのは初めて」

 まったく同感だった。俺は手を伸ばして彼女の髪に触れた。彼女は首を傾けて、頭をそっと俺の肩に載せた。

 おまえは闇を求めている、と、以前若尾が俺に言った。おまえが闇を受け入れるから、闇もおまえのもとに集まるのだと。

 だから、正確にいえば、これは恋愛ではないのかもしれなかった。だが、何が本当の恋愛だろう? 互いが互いを求め必要としているのなら、根底にあるものが何であれ、それは恋愛と呼ばれていいのではないか――?

 と、俺の夢想はそこで断ち切られた。杏子が俺の上にのしかかってきたからだ。

 これまでそんなに積極的な彼女を見たことがなかったので、俺はちょっと驚いた。

 彼女はいつになく興奮していた。わずかに鼻孔をふくらませ、切なげな目をして腕を絡ませてくる。両手で俺のシャツの前を開き、むさぼるように胸元に唇を押しあてる。

 熱い吐息が首筋まで這いのぼってきたとき、俺は痛みを感じて顔をしかめた。首に、何か硬い物が食いこんでいた。

 俺は黙ってそれを受け入れた。ついに来るべきものが来たという感じで、恐怖や後悔はとくになかった。いや、たぶん俺は、むしろこの瞬間を待っていたのだと思う。

 強烈な快感と眠気が同時に襲ってきた。もう目を開けていられなかった。杏子の名を呼ぼうとしたが声にならなかった。俺は至福に包まれ、底知れない甘美な死の淵へと、まっさかさまに落ちていった――。


 そっと目を開いた。状況がのみこめないまま、のろのろと目を動かした。

 ほとんど真っ暗だ。だが杏子の部屋だということはわかった。手を伸ばし、枕元にある電気スタンドのスイッチを押した。たちまちあたりが黄色い光で満たされる。

 苦労して身を起こした。体が鉛のように重い。

 掛布団を剥いでベッドから下りようとしたが、激しい目眩に襲われてまた倒れこんだ。

 ベッド? さっきは確か、カーペットの上に座っていたはず……。

 何があったか徐々に思い出してきた。

 生きている? 杏子がいない。どこへ?

 サイドテーブルの上に、折りたたまれた便箋があった。俺は震える手でそれを取り上げ、広げた。

 ――さよなら――。

 それだけだった。俺は時計を見た。午前二時。あれからもう五時間以上たっている。

 喪失感に打ちのめされ、俺は仰向けになって天井を見上げた。首筋に痛みを感じて手をやると、絆創膏が貼ってあるのに気付いた。

 俺は声に出して笑った。涙がこみあげてきた。

 一人置き去りにするぐらいなら、最後までいってくれればよかったのに……。

 涙があとからあとから溢れ出た。

 どこかで犬が遠吠えしていた。

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