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闇の抱擁  作者: 横江秋月
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 俺は小林直人、十九歳。K大学二年生。成績は中の上、どちらかといえば運動のほうが得意。ルックスは……ご想像にお任せする。

 友人の若尾貴行とは、高校以来のつきあいだ。はじめは単なるクラスメートの一人にすぎなかったが、ある奇妙な体験をきっかけに急速に親しくなった。

 若尾は集団の中ではあまり目立つことがない。能力、容姿ともに平均的で、人づきあいもほどほどにいい。だが彼には、人を落ち着かなくさせる雰囲気があって、そのため周囲から敬遠されがちだった。

 その独特の雰囲気が何に由来するのか、知っている者はほとんどいない――。

「あの、君たち」

 呼ばれて振り返ると、先日の男が正門の陰から姿を現すところだった。

「こないだはどうも……」

 男は小さく頭を下げた。

「その、よければちょっとその辺で……」

 誘われるまま、若尾と俺は近くの喫茶店に入った。

「朝倉亮一といいます」

 席につくと、男は礼儀正しく頭を下げた。

 差し出された名刺には一流企業の課長の肩書きがあった。年齢を考えればまずまずのエリートといったところだろうが、目の前の男はそんなふうには見えない。頬がこけ、服もあちこちしわが寄って、全体にくたびれた印象がある。

「君たち、杉本杏子さんとは親しいんですか?」

 しばらくためらったあと、男――朝倉はそう切り出した。

「いえ、そんなには」

 俺は言った。

「講義でよく顔を合わせるぐらいですけど」

「そうですか」

 朝倉はがっかりしたように目を伏せた。

「それじゃ、朝倉祐二のこともご存じないですね。私の弟なんですが……」

「あのう」

 若尾がちょっと身を乗り出して聞いた。

「よかったら、詳しい話を聞かせていただけませんか?」

 朝倉は唇の端をなめ、俺たちの顔を見比べた。

「じつは……弟が行方不明になったんです」


 朝倉祐二が姿を消したのは、ちょうど二か月ぐらい前のことだった。

 祐二はK大学の院生だった。堅物というのがぴったりの真面目な男で、研究のことしか頭にないと思われていた。それが、ある日突然、何の前触れもなく大学に現れなくなり、家族との連絡も途絶えた。

 心配して祐二のアパートを訪れた家族は、中を調べて首をひねった。部屋の中は整然としていたが、特に片付けられた様子はなく、衣類や貴重品を持ち出した形跡もなかった。流し台には汚れた食器が重ねられたまま、ベランダには洗濯物が干されたままで、部屋の主が長く部屋を空けるつもりではなかったことがうかがわれた。

 ただ一つ、家族を驚かせたものがあった。それは、几帳面な祐二が毎日つけていた日記で、その中は杉本杏子という女性のことで占められていたのだ。半年前に初めて出会ったときから、失踪する前日まで、祐二は熱烈な愛の言葉を綴り続けていた。

「弟にそんな一面があったとは知りませんでした」

 朝倉は頼んだコーヒーも放ったまま語り続けた。

「私たちは、さっそくその杉本杏子という女性について調べました。彼女が同じK大の学生だということを知り、連絡をとったのですが、祐二とつきあっていたのは本当だがどこへ行ったのかは知らないということでした」

 だが朝倉は納得できなかった。杏子の答えに不信の念を抱いた彼は、杏子についてさらに調査を進め、驚くべき事実に突きあたった。

 杉本杏子は過去に、祐二を入れて少なくとも三人の男とつきあったことがあった。そしてその三人は、いずれも謎の失踪を遂げていたのだ。

「彼女は絶対に何か隠しています。いえ、祐二が行方不明になったのは、絶対に彼女のせいなんです」


「杉本杏子……か」

 若尾がカップラーメンをすすりながらつぶやいた。

「ん? 何?」

 俺はその向かいで、明日までに提出しなければならないレポートを必死になってまとめていた。

「いや、杉本杏子のことさ。ちょっと調べてみようと思って……」

 また若尾の詮索好きが始まったかと、俺は内心苦笑した。俺も好奇心は旺盛なほうだが、若尾には負ける。若尾は、奇妙な出来事は何でも調べてみないと気がすまないたちだった。しかも、時と場合をわきまえない。

「ちょっと出かけてくる」

 カップラーメンも食べかけのまま、そそくさと立ちあがる。

「え? 今から?」

「うん。……二、三日帰らないかも。講義のノート、頼むよ」

 若尾と俺は、2DKのアパートを借りていっしょに住んでいる。一人でワンルームのアパートを借りるよりずっと安上がりだからだ。お互い気心が知れているので、わずらわしいということはない。

 何より、若尾はアパートにいることのほうが少なかった。いつもこんな調子で、気が向くとふいと消えてしまう。その間アパートは俺一人の城となるが、代返とノートとりの役を仰せつかるのはいつも俺だ。便利屋に成り下がっている気が若干しないでもない。

「あー、英語の代返は駄目だよ。こないだばれたから」 

「OK。適当にやっといてくれ。それじゃな……と、鍵、かけといて」

 若尾の足音が聞こえなくなると、俺は小さく溜め息をついて、ドアの鍵をかけるために腰を上げた。


 翌日の英語の時間に、俺はたまたま杉本杏子と隣同士になった。

 寝坊してぎりぎりに教室に飛びこんだ俺は、空いていた二つ三つの席のうち、いちばん手近なところに滑りこんだ。ふと横を見ると、ちょっと驚いたような顔をしている杏子と目が合った。

 杏子は目礼するとすぐに前を向いた。しばらくしてメモ用紙が回ってきた。

 ――よければ四時に《アイリス》で――。


 指定された時間ちょうどに喫茶(アイリス)の扉を開けると、先に来ていた杏子が、奥の方の席から小さく手を上げて合図した。

「今日はあの人いっしょじゃないのね」

 俺が歩いていって向かいに腰を下ろすと、そう杏子が言った。

「ああ、うん。あいつに会いたかった?」

「え? やだ、そんなんじゃないのよ」

 杏子はくすくす笑った。

「だってあなたたち、いつもいっしょにいるじゃない? 一人は珍しいと思って」

 俺がちょっと憮然としていると、杏子はさらに続けた。

「若尾・小林コンビといったら、女子のあいだではけっこう有名なのよ。何ていうかさあ、周囲におもねるところがなくて、カッコいいじゃない? 二人とも、何か近寄りがたい雰囲気持ってるし……」

 そんなふうに見られているとは思いもよらなかった。俺はどぎまぎして話題を変えようとした。

「あ、あのさ。こないだあの、朝倉って人に会ったよ」

 杏子の表情がすっと暗くなった。

「そう。何か聞いた?」

「弟さんがいなくなったわけを、君が知っているんじゃないかって」

 杏子はついと目をそらした。

「あたしのほうが教えてもらいたいくらいなのよ」

 つぶやくように言った。

「なんにも言わずに、突然いなくなっちゃって。今度の連休、いっしょに旅行しようって約束してたのよ。なのに……」

 そこで一つ溜め息をつくと、杏子は俺を見上げて苦笑した。

「あーあ。あたしって男運ないのかなあ」

 わざと明るい口調で言う。

「ねえ、聞いてよ。あたしね、前にも何人かとつきあってたんだけどね、みんなこうやって、黙っていなくなっちゃうの。ひどい話よねえ? 嫌いなら嫌いって、はっきり言ってくれればいいのに。あたしだって、そんな物分かりの悪い女じゃないつもりよ」

 嘘を言っているようには見えなかった。

 その日俺たちは、いっしょに夕食をとり、二、三時間パブで酒を飲んでから別れた。

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